巽 孝之
(上智大学英文学科同窓会長/慶應義塾ニューヨーク学院長)
昨年、中野記偉先生がお亡くなりになり、
昨年11月末には同窓会で、関根悦雄神父様の司式によるミサと茶話会を主催する機会があった。先生のご令嬢とご令息とも初めて歓談し、出席者たちの思い出話にも花が咲いた。こんな時、十年前にこの同窓会を発足させて、本当に良かったと思う。
中野先生は、父・巽豊彦の教え子である。父は生涯の研究対象であったオックスフォード運動の指導者ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿の代表作『アポロギア』の本邦初訳をエンデルレ書店から刊行しているが、発行年を見ると、上巻が
1948年、下巻が
1958年。高度資本主義文学市場が所与のものとなって久しい
21世紀では、翻訳に十年もの歳月を費やすテキストというのは珍しいかもしれないが、父には理由があった。それは、結核による闘病生活である。そして、まさにその闘病生活の折に、中野先生が見舞いに訪れてくださっている。
1955年に私が生まれるよりも前のことだ。父が還暦を迎えた時の英文学科紀要『英語学と英文学』(1976年)の特集号には、先生は力作論文「芥川龍之介における
R・ブラウニング体験」を寄稿しておられる。父はワズワース、トムソンとともにブラウニングを愛読していたから、そのロマン派的系譜と比較文学者・中野記偉の関心を絡み合わせた、これ以上にふさわしいテーマ設定はない。
したがって、学部時代の私がぼんやり帰属意識を持っていたのは、中野記偉先生の授業である。上智英文の欧米系学匠司祭たちは、ヨゼフ・ロゲンドルフ先生にせよフランシス・マシー先生にせよウィリアム・カリー先生にせよ、みなそろって比較文学者であり、特にカリー先生がミシガン大学へ提出された博士号請求論文『疎外の構図』(1975年)に深い感銘を受けたために、私の卒論はサミュエル・ベケットと安部公房の比較文学的研究になっている。しかし少なくとも日本で比較文学をやるにはどうすればいいのか、どのような学会に参加すればいいのかを、きちんと授業で理論的に講義なさっていたのは、当時の教授陣の中でも中野先生だけであった。
具体的に授業で扱われた取り合わせは、
R.L.スティーヴンスンの『新アラビアン・ナイト』と夏目漱石の『彼岸過迄』、そしてウィリアム・フォークナーの『野生の棕櫚』と遠藤周作の『沈黙』。スティーヴンスンを介するとまさか漱石が探偵小説のように読めるとは思ってもいなかったし、アメリカ南部作家と日本のカトリック作家が二重小説という視点から連動するとはまさに知的な驚きだった。
あれは
1977年だったか、ちょうど四谷キャンパスで日本比較文学会が、中野先生自身を実行委員長として開かれたことがある。それに出席したのが、私の最初の学会体験だった。さらに大学院に入ってからは、同じく中野先生が関わっていた日本キリスト教文学会にも顔を出すようになった。いまではアメリカ文学を専攻する私が、たえずどこか比較文学を意識し、どこかキリスト教文学研究を意識しているのは、そのためである。ご著書『逆説と影響』(笠間書院、1979年)は何度読み返したかわからない。
以後、コーネル大学大学院で師事したジョナサン・カラーも、ボードレールやフローベールを愛しつつ、英米文学とフランス文学を横断し、構造主義以後の批評理論に強い比較文学者であった。昭和の日本では、たとえばシェイクスピア一筋、フォークナー一筋といった個人作家研究を掲げる文学者が多かったが、よくよく考えるに、文学研究というのは、突き詰めると、どこかで比較文学的にならざるをえない。その意味で、卓越した比較文学者が集っていた上智英文に9年間在籍したことは、まことに僥倖であった。
以上の思いと学恩への感謝を込めて、中野記偉先生の御霊の平安をお祈りする次第である。
巽 孝之
われわれの同窓会の準備委員会が発足した 2013年は、上智大学創立百周年の年だった。
とはいえ、 それは、個人的には大変な年だった。
4月には、かつて上智大学英文科で教え、上智短期大学では英語科長も務めた父・巽豊彦が寝たきりになったため、われわれ夫婦は 20年ほど暮らした港区三田のマンションを完全に引き払い、渋谷区恵比寿の自宅における同居生活に入った。
6月には、ワシントン DCで開かれた第9回ハーマン・メルヴィル国際会議に出席し、パネルに出演するとともに、二年後の 2015年には日本で行う第10回のため、北米メルヴィル学会幹部たちと綿密に計画を練った。
7月には、母方の従弟が勤務する建設会社の命でシンガポール転勤になるも、その長男が大学受験生だと言うので、7月より我が家で預かることになった。
同じく7月には、日本 SF作家クラブの 50周年事業の一つとして、過去二年ほど準備してきた第二回国際 SFシンポジウムを実行委員長として仕切らねばならず、約2週間にわたり、海外作家たちとともに、広島、大阪、京都、名古屋、東京、福島を巡回した。
10月には、カリフォルニア州サンフランシスコの学会出張から帰国するや否や、かつて恩師・刈田元司先生が 1960年代には結成に尽力され第3代会長を務められた日本アメリカ文学会の年次大会において、第 16代会長に選出されてしまい、年末からは翌年に向けた新たな学会運営に本腰を入れねばならなくなった。
そして 12月の 9日には、ついに父が逝去し、高柳俊一先生の司式により、イグナチオ教会で葬儀が執り行なわれた。
かくも多忙を極める折に、平野副会長から同窓会発足と会長就任の話が来たのだから、並の神経であれば断っていただろう。にもかかわらず引き受けたのは、決してワーカホリックというわけではなく、やはり父の逝去が大きかった。
東京帝国大学文学部出身であるから、父は生え抜きではない。明らかに外様なのだが、しかしローマン・カトリックの敬虔な信仰者という点で、戦後すぐの就職以来、上智大学を愛してやまなかった。
私自身が上智大学へ入学するのも、当然ながら父の影響である。なにしろ幼少期から、食卓では刈田先生、ミルワード先生、英語学科の野口先生の名前をしばしば耳にし、電話を取り次いだことも一度や二度ではない。渡部先生の著作はデビュー以降、その全てが献呈されていた。
高柳先生によれば、かつて父が「英語青年」に寄稿した論考の原稿料を、まだ助手だった先生ご自身が恵比寿の拙宅へ届けた経験もあるという。それほどに「上智大学」は、空気のごとく「自然」なものだった。したがって、現副会長が「いずれは英文科の歴史をふりかえる企画もやりたい」と語ったのが、決定打になった。
その構想が、加藤めぐみ氏を編集長に迎えた『上智英文 90年』(彩流社、 2018年)にまとまったのは、まだ記憶に新しいだろう。以後十年が経とうとしている。だが、同窓会十周年の回想そのものは、来年に回そう。
今年、どうしても言及しておかねばならないのは、2021年に小林章夫先生、 2022年に高柳俊一先生が、相次いでお亡くなりになったことである。
小林先生は、直接お習いする機会はなかったが、常に仰ぎ見る先輩だった。 18世紀英文学を足場に研究でも翻訳でも広く範囲を広げていかれたのは周知の通りだが、『コーヒー・ハウス――都市の生活史、18世紀ロンドン』(駸々堂出版、 1984年)は、それまで新批評的精読が支配的だった我が国の英語英米文学研究の世界へ投じられた新歴史主義批評としても文化研究としても出色だった。
2015年に慶應義塾大学文学部 125周年記念シンポジウム「文学部の将来像――日本の大学におけるリベラル・スタディーズの意義」にお招きした時には、現在の人文系を批判的に発展させるにはどうしたらいいか、具体的なヴィジョンを示されたのが印象に残っている。
他方、高柳先生は、刈田先生、秋山先生と並ぶ博士課程時代の恩師である。ノースロップ・フライもフランク・カーモードもウォルター・オングも、高柳先生を通して知り、リーディング・コースの課題となった。 ご専門は T・ S・エリオットだが、主著『精神史のなかの英文学――批評と非神話化』(南窓社、 1977年)の知的射程は驚くほど幅広く、何度読み返したかわからない。日本語でも英語でも難なく多くの論文や書評を発表され、グローバル時代に日本人英文学者があるべき一つの理想像を確実に体現されていたと思う。
2017年 5月に静岡大学で行われた日本英文学会第89回全国大会では、畏れ多くも先生の招待発表「 T・ S・エリオット研究の展望――過去、現在、未来」の司会を務めさせていただいたが、この時先生は、ジョンズ・ホプキンズ大学出版局から刊行が始まったばかりの詳注付エリオット全集も熟読しておられ、そのたゆまぬ知的鍛錬には感銘を受けた。
おふたりが残した学統は、上智英文で長く引き継がれていくことだろう。
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2022年06月15日
英文学科同窓会副会長で金融アナリスト、前衆議院議員の今井雅人氏(1985文英卒)の講演会を開催いたします。活躍する卒業生シリーズの第一回として、幅広い視点に立った未来への思いをソフィアンと共に考える、というテーマでお話しをいただきます。講演会に続き、ニューヨークから一時帰国されている英文学科同窓会の巽孝之会長との対談、参加者との意見交換などの交流会、そして懇親会を予定しています。
対面での開催は3年ぶりとなります。この貴重な時期に、貴重な講師による講演会を通して、久しぶりに旧交を温める機会になればと準備を進めているところです。
英文学科卒業生に限らず、学生を含め他学科卒業生など、どなたでもご参加いただけます。
多くの方々とお会いできるのを楽しみにしています。
日 時: | 2022年7月10日(日) |
場 所: | 6号館6階ソフィアンズクラブ |
申込み: | 以下のエントリーフォームからお申込みください。(申し込み締め切り6月末) |
問い合わせ:英文学科同窓会 eibun-alumni@sophiakai.gr.jp