COOLJAPANの原点は縄文土器にあり:紀尾井の森カルチャー倶楽部第2回

祝・上智大学創立100周年 上智大学 マスコミ・ソフィア会主催
紀尾井の森カルチャー倶楽部 第2回
日時:5月16日(木)18時00分開場:18時30分開講
講演テーマ:「日本陶磁器文明の世界的な影響力:日本のCOOLJAPANの原点は縄文土器にあり」
講師:加藤春一さん('68経経)(東京エグゼクテイブ・サーチ株式会社)

※この講演録は当日の模様から主な箇所を文章に書き起こし加筆したものです。

加藤
           加藤春一氏

■縄文土器と岡本太郎

加藤春一です。縄文土器・弥生土器ということで、まずは縄文からスタートしたいと思います。縄文土器を最初に発見したのは、日本人ではなく、エドワード・S・モース(アメリカの動物学者)という人です。

彼はハーバード(大学)を出たあと、日本の東京大学に教授として招聘されました。彼が新橋から横浜に電車に乗っていたとき、電車の窓から大森あたりの風景を眺めていたとき、ばーっと山みたいになっていたんですね。彼の学者的な本能から、ここ(大森貝塚)に土器が埋まっていると確信して、相当、層が厚かったにもかかわらず、採掘をして土器を掘り当てました(1877年6月19日)。

最初は彼は、縄文という言葉は使わず、「cord marked pottery」(索文土器)と命名しました。これを後日、神田孝平という博士(東京人類学会会長なども務めた明治時代の洋学者)が学会誌で「縄文土器」と使ったことによって、世間に知られるようになりました。

この縄文土器がさらに世の中に浮かび上がって来るのは、そのあと戦争を経て、1951年、岡本太郎という強烈かつアバンギャルドな画家で芸術家の働きによるものなんです。

彼は独特の本能を持っていて、フランスから帰って来たとき、当時の上野の博物館で、日本の歴史ある、掛軸や巻絵などを見る中、たまたま目に止めたのが縄文土器、それも中期の火焔土器(かえんどき)と言われるものでした。これは越後(新潟)でしか出土しないものなんですが・・・。

岡本氏は、直感的に、この土器は一体なんなんだ・・・?。こんなものを日本人が作っていたのか、このパワーとエネルギーと生命力、すごいじゃないかと言い出したそうです・・・。

彼はこれがきっかけで、日本の北から南まで、持ち前の行動力で縄文土器のことについて調べました。当時日本の高度成長の真っ只中、採掘も進んでいたおかげで、日本各地から次々と縄文や弥生時代の土器が大量に出土されていることを知ったわけです。

これほど生命力のある、縄文土器はまさに日本人の原点・ルーツに違いないと思うようになりました。そこで彼は文部省に掛けあって、縄文土器、縄文時代のことを、小学校の教科書に載せるべきだと訴えることになるんです。(このときまで教科書には縄文文化については特に載ってなかった)

その後、京都大学の谷川徹三先生、哲学者で様々な美学について見識のある方、が本を書きました。「縄文的原型と弥生的原型」(岩波書店 1971) ご子息は詩人の谷川俊太郎。

彼によれば、日本の美意識は、縄文と弥生の時代に形成されたものだ、と書いています。この本は現在絶版となっています。縄文は男性的、そして装飾的、弥生は女性的、機能的、繊細で優美である、こう定義がされています。のちの古墳時代以降のほとんどが、この縄文的原型と弥生的原型を「用と美」の中に取り入れて日本文化が発展してきたと言及しています。私も同感です。

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会場の様子


■縄文土器に陶酔していく・・・

縄文土器に魅せられてしまったもうひとつのエピソードがあります。

今、放射性炭素年代測定で調べると、一番古い縄文土器は、青森で出土されたものなんだそうです。青森県大平山元I遺跡(おおだいやまもといちいせき)と言われています。16,500年前のものと推定。これが世界の相対比較の中でも、最も古い土器だとされているんです。

放射性炭素年代測定とは、炭素が5730年で半減していくという性質などから物質の年代測定を可能にする方法のことですね。

なぜ私が縄文遺跡にこだわるようになったかというと、1993年(20年前)、当時商社に勤務しており、ベルギーのブリュッセルでのとある事件がきっかけなんです。

当時の商社マンの仲間に、ニューヨーク8年、ロンドン7年、ブリュッセルで3-4年いらした私の先輩がおりまして、彼と飲んでいたんです。彼は欧米派。ギリシャローマから続く強烈なオーナメント、幾何学的対称のものが最も素晴らしい、日本の様式美などたいしたことないと言うわけです。

それに対して、私は当時から「陶磁器」に関心があり、ヨーロッパのほとんどの陶磁器の場所に訪れていたので、いやそんなことはない、縄文と弥生があるんだと、その大先輩に食ってかかったんです。

深夜でワインも4-5本は空いていた・・・。そんな中、熱烈に議論を交わし、私の気持ちはそれだけでは治まらず、そのときの強烈な思いを綴った「散文詩」を書くことになるんです。

加藤さん散文詩
加藤さんの当時書いた散文詩 ※クリックで拡大
※当日はご友人の作詞家の加藤さんが朗読くださいました。

ということで、20年前の私の美意識はこんなところにありました。これがきっかけで、縄文土器へのこだわりは絶大なものになって行ったのです。

■シリコンバレーと縄文土器

ここからはひとっ飛びにシリコンバレーに話は飛びます。アメリカのシリコンバレーには、私も何度も足を運んでいるんですが、私が長く駐在した西豪州のパース(西オーストラリア州)。こことアメリカのシリコンバレー、この2つの地域を、縄文弥生にこだわりながら、連関性を述べさせていただきたいと思います。

私は西豪州に2度駐在したことがあるのですが、ここは兼高かおるさんが世界一美しい町と言わしめた場所。私も20数年前に「世界一美しいまち―オーストラリア‐パースへのいざない」という本を書いたんですが、余り売れなかったんですが・・・、そのくらい素晴らしい場所です。

ここは鉄鉱石やアルミナ、LNG(天然ガス)やウラン、プラチナ、ジリコン、セラミック、カッパ、マンガンなどなど、様々な資源が採れる世界有数の場所でもあります。日本はここにものすごく依存しています。

私は鉄鉱石の売買を中心に駐在をしていたのですが、アルミナの世界最大プロジェクトなどにも関わったこともあります。

鉄鉱石は、日本の需要の半分くらいは、ここ西豪州から輸入しています。ピルバラ地区と呼ばれる場所です。ここから10万トンや20万トンのタンカーで年間5-600杯、日本の北から南までの製鉄会社に運ばれ、自動車部品や航空機部品などに加工されます。

当時私は、フィンランドのエルケム(ELKEM)という世界一のシリコンの製造会社と取引することになったんです。西豪州には鉄鉱石のほかにもシリカ(シリコン)があるだろうと・・・。そのとき鉄とシリカを比較対象してみてびっくりしました。シリカのものすごい可能性、めちゃくちゃな付加価値。これがのちのシリコンバレーにつながっていくわけです。

地殻の5つの要素は、酸素、シリカ、アルミナ、鉄、カルシウム。この順に多く含まれています。鉄は還元されてFe2O3からFeOに変わり、シリカは金属シリコンに変わります。どちらも原料では1トン3000円くらいなんですが、加工された鉄製品はだいたい10万円程度のもの(約30倍)になりますが、シリカは半導体などに製品化されて付加価値が2000倍近くなるわけです。

シリカは精製して多結晶から単結晶に、純度ナインイレブン(99.99・・9が11個続く)で、半導体のウエハー(信越化学は世界最大の半導体ウエハーメーカー)に使われるものに変わります。これが原料の2000倍以上の価値になるということなんです。

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加藤さん所有の数少ない陶磁器


■IT産業の根底に、縄文土器の16000年の歴史を垣間見る・・・

私は2000年に、ITPという国際会議がシリコンバレーであるということで、サンフランシスコからサンノゼに行きました。ここで、コーンフェリーという人材ヘッドハンティング会社の副社長のポール・コー氏と出会います。

彼と会ったときに「アメリカでヘッドハンティングという職業は、一度やったらやめられないのを知ってるか」と言われました。

現在私は人材派遣会社にいますが、こうなったきっかけはまさにこのシリコンバレー。シリコン、すなわち陶磁器の原料、そしてそのルーツが縄文土器。私の人生もどうやら縄文土器にあるようなんです。

私の先祖の話になりますが、鎌倉時代、1222年、道元禅師という福井の永平寺の開祖(日本における曹洞宗の開祖)にくっついて、我が祖先は中国に6年間渡ったとされます。そのとき中国は南宋の時代。南宋の時代はすでに陶磁器文明は相当洗練されていたようです。

祖先である、当時の加藤藤志郎景政は中国で、日本の陶器の技術がこれほどまでに遅れていたことに愕然とした。それは技法の面だけでなく、釉薬(ゆうやく)の面においてもでした。これらを徹底的に中国で学んで来たというわけです。私はこの加藤藤志郎景政の末裔で分家の23代目。本家は31代目の人間国宝の陶芸家加藤孝造氏(78)(5月30日付けで(岐阜県)多治見市の名誉市民に選定すると発表)です。

最終的な磁器の完成は江戸後期の3人の陶芸家、青木木米(もくべえ)、仁阿弥道八(どうはち)、永楽保全(ほぜん)によるものが大きいとされていますが、そうした素晴らしい日本の陶芸を評価したのは、実は日本人ではなく、最初に紹介したモース氏だったり、彼の紹介でその後来日したアーネスト・フェノロサ氏。彼は岡倉天心とともに古寺の美術品を訪ね、彼と東京美術学校(のちの東京芸術大学)設立にも尽力されました。そしてもうひとりはゴットフリード・ワグネル氏。彼はドイツ出身。おかかえ外国人として長崎に招聘され、有田町で窯業の技術指導したことが、陶磁器(伊万里焼)を飛躍的に発展させることになります。窯の温度を上げる技術や、コバルト顔料を使った塗技術などで貢献しました。

3人の外国人によって飛躍的な進歩を遂げることになった陶磁器ですが、そんな縄文土器以来の歴史的継続性、新たな技術の習得から独自の開発、そして自然美に基づく様式美の徹底追求、特に海外から技術を入れたら、吸収し、咀嚼し、選択し、日本の風土に応用、そして日本的な形に想像していく、これが日本文化の「用」、そこに「美」も加わって「美と用を伴う文化」が日本の原点。

縄文土器で発掘した粘土。これがシリカやアルミナ、鉄などとともに、火を使って、水を使って、空気で、酸素を送って、陶器を作ったわけですが、それが現代でも、基本的な構造、メカニズムは全く変わっていない。

即ち、日本の陶磁器文明は日本が誇るべき文明・文化だと確信しています。これらの技術があったからこそ、コンピュータが出来た、今の時代がある。その根底には16000年間も続いたとされる縄文時代より存在した縄文土器の息吹が流れているんです。(まとめ:土屋夏彦 '80理電)

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懇親会にて


■紀尾井の森カルチャー倶楽部とは

上智大学の創立100周年を記念して、マスコミ・ソフィア会としてこれまで行ってきた母校発展のための活動に加え、私どもの培ってきた知恵や力を、卒業生や上智大学関係者はもとより、広く近隣のみなさまとも分かち合おうと開校したプチカルチャースクールです。現在の約1000名のマスコミ・ソフィア会会員には、マスコミを中心に、いずれも様々な分野で偉業を成し遂げてきたツワモノぞろい。ツワモノらの貴重な体験談や生の声をお伝えすることで、少しでも皆さまの人生のお役に立てればと考えております。

写真など

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