2015年2月アーカイブ

多くの方々からのお申し込みの結果、定員に達しましたので、今回の募集を締め切らせていただきます。

この企画は、ミルワード先生のご都合、ご体調を考慮しながら今後定期的に開催する方向です。

今後とも英文学科同窓会へのご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。

 

                              英文学科同窓会 担当 平野由紀子 蓮沼尚子

先日ご案内いたしました「ミピーター・ルワード先生 英詩を語る集い」につきまして、

既に大勢の方からご参加申し込みを頂いております。

会場の都合上、また先生のお体の具合により、募集定員を先着30名とさせていただきます。

尚、月例の開催も企画中です。

よろしくお願いいたします。

 

                             英文学科同窓会 副会長 平野由紀子(82卒) 

                                        事務局長 蓮沼尚子(85卒)

 英文学科同窓会では、ピーター・ミルワード先生をSJハウスにお訪ねしてお話を伺う会を企画いたしました。先生は12月にご体調を崩されたものの今では回復され、SJハウス内限定ではありますが訪問客との面会を楽しみにされています。

 つきましてはミルワード先生のご要望により、「ミルワード先生英詩を語る集い」を開催することとなりましたのでご案内申し上げます。

 

日時:平成27315日(日) 16001800

場所:上智大学四谷キャンパス内SJハウス 第5会議室

会費:\1,000/人 (ティータイムあり)

お申し込み:eibun-alumni@sophiakai.gr.jp までメールでお願いします

申し込み期限:31日(日)

お申し込み時にはお名前・卒年・ご連絡先を明記してください。

 

 

        文学科同窓会 担当 平野由紀子 蓮沼尚子

 

 

※リンク先修正しました。ご確認ください。

1月17日の講演会の写真は下記リンク先から閲覧できます。

 
写真には個人情報など含まれているので取り扱いには十分ご注意ください。
 
閲覧期間は3月31日までです。

 

 今年85歳となり、ご自分で人生の最終段階に入ったと仰る渡部先生は、ふり返ると一つ分かることがある、と切り出されました。カントの神様の証明(「神の存在の唯一可能な証明根拠」)ということがあるが、「原因」から「結果」はわからない、ただし「結果」からは「原因」がわかるということと同じで、人生の結果からみると原因が実によくわかります、という話から講演会は始まりました。

かつて「ありがたじいさん」と渾名される人物がおられたそうです。何でも感謝する方で、ご自分は今それと同じで、特に「先生運」が良かったことに感謝の気持ちしかない。そこで、若かった頃のありがたかった先生方のエピソードをご紹介されました。

 

 最初の先生は中学時代の佐藤順太先生。山形庄内藩の高級武士で、東京高等師範で勉学し日露戦争の頃に卒業されました。教員をしながら鉄砲、特に猟銃の研究で日本では一番になった方です。こういう年寄りの先生を見ていたら、なんとなく、波長があうように思われたそうです。

先生の英語の授業は脱線が面白く、卒業後、ご自宅に招かれ、そこで本物の書庫を見たとのことです。戦時中ということもあり本が少ない頃、イギリスの百科事典やらラフカディオ・ハーン全集などなどがずらりとあって、電撃のような衝撃を受けました、とふり返られました。

先生は座布団に座り、碁盤があり、着物を着て、話しておられた。その老人の姿を美しいと思った18歳の渡部少年。自分もこのような老人になろうと。書斎で本を読んでいるじじいの姿、これが今日まで揺らぐことのない決意で、それこそが今に至る「原因」の一つだったと述べられました。

 

 渡部先生が上智大学に入学したときのエピソードも大変興味深かったです。高校の進学担当の先生が旅順あたりから戻ってきたばかりで日本を知らない。東京の様子を見てくることを学校から頼まれ、帰京後、たった一つ推薦校があると言われたそうです。それが上智大学でした。その先生によるとは、学校はどこも卑しかった、卑しくなかったのは上智だけだと言われたとのことです。

英文学科には刈田元司先生、ドイツ語にはライル先生、哲学にはロゲンドルフ先生と素晴らしい先生方がそろっていて、知的刺激をぼんぼん受けることができた渡部先生は上智が気に入ったそうです。

昭和20年代のことです。留学は珍しいことでしたが、英文科で成績一番の渡部先生は頑張ればアメリカに留学できると言われました。ところが行けなかった。身なりが貧しかったのが原因だったそうですが、当時の寮のニッカソン副舎監によると、Studyだけがよくてもだめだ、American way of lifeが重要、とおっしゃいました。

渡部先生は家庭の事情もあり授業料を払わずにすむ特待生を目指します。当時の上智は新制大学に変わったばかりで英文科でも物理、科学、数学、生理学が必須で、1番の成績をとるよりもすべて100点を取ることを目標にし、また実現させました。

 上智は語学を重視していました。ボッシュ先生には英語の他の語学も学ぶように言われ、そこで渡部先生はドイツ語を勉強することになります。

そんなある日、サミュエル・スマイルズのSelf Help(自助論)のドイツ語版を手に入れたことも、渡部先生のいう「原因」の一つなのでしょう。

当時、ロゲンドルフ先生のもとで雑務のお手伝いをしていた渡部先生は、ロゲンドルフ先生から、これを訳してみて、とドイツ語の文を頼まれました。そうむずかしいものでもなかったのですが、その文章の中にインディムという言葉がありました。接続詞で訳しづらいものでしたが、なんと前の晩にスマイルズ対訳本を開いていたときに出会っていた。訳したら、ロゲンドルフ先生が「君、ドイツ語できるね、ドイツへ行くか?」と言われたので「はい!」と即答し、ドイツ留学が決まったそうです。

当時のドイツは景気がよく、何か援助することはないかと聞かれた学長の大泉先生は、物質的な寄付よりも留学生をとってほしい、とおっしゃったそうです。3人の留学生の一人に渡部先生が選ばれました。英語学、言語学はドイツが中心でした。アメリカに留学しなかったことが、ここにつながっているわけです。

他にも運がよかったことをご紹介されました。ある日、ロゲンドルフ先生に、オックスフォードから来た教授の予防接種の付き添いを頼まれたそうです。大学の車に半日、大先生と英文科の貧乏学生が座っている。意を決して、サミュエル・スマイルズの話題を持ち出したら、そのことがきっかけで、その教授の推薦により、ドイツ留学のあと、オックスフォードに留学することになりました。

 

昭和27年、留学から帰って、住むところがない渡部先生は図書館に住まわせてもらうことになります。主任室で鍵の施錠確認の仕事の後は、図書館にこもって論文を書いていたそうです。大学の図書館のさまざまな分野の本に囲まれながら、ご自分の専門の書斎を作るという決意が実現に近づくのを感じていらっしゃったことでしょう。

 

奥様のお話もありました。いろんな縁談もありましたが佐藤順太先生のご忠告通り、素晴らしい伴侶を選ばれました。書斎をたてる目処がついたので結婚なさったそうです。

そして夢だった「書斎にいる老人」の話を聴いたアメリカ人の非常勤講師が驚いて、そんな早く人生の目的を達成したというヨーロッパ帰りの若者にアメリカを見せてやろう、ということになり、フルブライト関係の紹介から、4つの州の6大学で教えることになりました。学生として留学できなかったアメリカに、しかも教授として。いま考えると、学生としてアメリカへ留学しておれば、その後、ドイツやイギリスの古い大学に行くことはまずなかったでしょう。えらく儲けた感じですなぁ、と渡部先生は笑いながらふり返っておられました。

渡部先生の理想は、書斎にいる老人、そのイメージは以降も揺らぐことはありません。

大学で教鞭をとる傍ら、文部省国語審議会、大蔵省税制調査会、警察制度審議会、通産官房審議会などなど、続いたものもすぐやめてしまったものもありますが、さまざまな政府関係機関の委員をお引き受けになっています。

 

 奥様とのエピソードがもう一つ。Dictionary of  National Biographyがどうしてもほしかったのですが逡巡していたところ、奥様から、おかしな人ですね、と言われたそうです。男のひとが大切だと思っているものをなぜ買わないのか、と。今も、それが続いているそうです。これまでの一番epoch-makingな買い物は、チョーサーの『カンタベリー物語』初版で、これは英国で印刷された最初の物語であり、英国ではチョーサーから文学が始まったといってもいいでしょう。

渡部先生は古書学会に入っていらっしゃいます。蔵書について熱いお話が続きます。

古書学会の入会資格は蔵書を持っていること。西洋でも蔵書を持っているのは貴族、お金持ち、大図書館の古書部、特別な分野の会員です。会員は世界の図書館を見てまわるそうです。西ドイツのオット・シェファー書庫は見事なものでした。西欧で印刷された絵本が収集され専属の図書館員がいました。ピアズレーもあったのですが、ご自分の所持している方が貴重本だそうです。1570年のチョーサーが欲しいと思い続けていたそうですが、先生が65歳のとき、サザビーで3000数百万円の値でオークションが始まった。70歳の大学定年前でしたが退職し、退職金で手に入れたとのお話には会場全体に驚きが広がりました。渡部先生は嬉しそうに、世界で12冊しか確認されていないものだと付け加えました。この他に、アングロサクソンの法律書も研究のため300万円台で手に入れたこともご紹介されました。

また、渡部先生が最初にドイツで博士論文を書いたのは、英文法の歴史についてだそうです。一番古い英文法についての本はバトラーが書いた本ですが、オックスフォード大学のボードリアン図書館の他、クライストチャーチ学寮にも1冊あります。その後ある伯爵未亡人が売りに出したのをイギリスの古書店がカタログに載せる前に知らせてくれて買い取られたとのこと。英語の文法書は全部、自宅にあるのです、いい気分だ、と渡部先生は破顔されました。

 

奥様のご理解もあって別荘よりも書斎と書庫。渡部先生の理想は奥様によって支えられているのかもしれません。

本は散るもの、だそうで、渡部先生はご蔵書のカタログを作られたそうです。600頁くらいのもので、これを知ったケンブリッジのParker Libraryの館長から手紙が来ました。古書学の教授でもある館長からの手紙には、このような質量ともに揃ったプライベートライブラリは英国にはない、と書かれていたそうです。密かに喜んでいます、と嬉しそうにおっしゃいました。中学時代の恩師、佐藤順太先生に感謝しています、と続けて述べられました。

 

ここまで十分に迫力ある講演でしたが、最後に刀の話ですが、と、ご出身の山形の海坂藩酒井家の話を始められました。家老が大変偉い人で、ある年になってお城に仕えることになった時、母親が着物を新調したところ、そのまま質屋に行き、買いたかった刀を買ったというエピソードがあります。武士の子供が刀を買っていけないはずはない。そして後に家老になり酒井藩は栄えたそうです。その話から庄内藩では、刀と鍔は自慢してもいいということになっている。渡部先生は、私は武士ではなく文学部。文学部には本が刀。いいものを買ったら自慢しようと決めたと述べられ、満足そうな笑を浮かべられました。

いい先生に恵まれました。ふり返ってみると、人生の終わりから見ると、すべての理由がわかります。ありがたい理由です。そう締めくくられて、渡部先生の講演会は終了となりました。

 

 

質疑応答の中で

*英文学だけでもいいが、もうひとつ科をやったほうがいいのではないかと思う。

私は国語と漢文をとり続けた。2科目は知っていたほうがいい。

*米国留学中、専門では議論に負けないと思ったが、TIME誌を斜め読みできるとは思わなかった。そこで学問でない本を徹底的に読んだ。

*シェークスピアはライル先生。暗記ばかりさせられ嫌で仕方なかったが、ソネットを学んだ。その時はわけもわからず暗記しただけだったが、今でも覚えています(ソネット18番を暗唱)  

*ゴリラと人間はDNAが同じというが、違うところは言語。これは動物にないものとしての唯一の証拠ではないか。言語の純粋なかたちが詩だと思う。そうだとすると、文学とも違うと最近、強く感じる。

*今日ここに集まった皆さんと、また会うかどうかはわからないが、別れの和歌を詠んでみます。 

  別れれば あわんあわじぞ 定めなき この夕暮れや 神なるらむ

  別れては あわんあわじぞ 定めなき この夕暮れや 神なるらむ

 

 

 

 英文学科同窓会は、昨年5月の第一回会員大会に続き、2015年1月17日(土)に第二回会員大会を開催いたしました。上智大学中央図書館9階会議室においての会員大会は、北は北海道から南は広島まで、全国からの約100名の同窓生が参集しました。巽孝之同窓会会長から新年のご挨拶とこれからの同窓会の役割についてのご挨拶の後、ご来賓のソフィア会石川雅弥副会長のご祝辞をいただきました。同窓会活動報告と活動計画、会計報告と続き、最後に同窓会幹事の山本浩上智大学短期大学部学長からのスピーチがありました。

 引き続き、同会場で上智大学名誉教授渡部昇一先生の講演会が開催されました。上智大学英文学科同窓会主催、上智大学後援、上智大学ソフィア会後援で「『知的生活の方法』40周年―大学と世界―」というテーマでお話しいただきました。英文学科同窓生以外にも、他学部卒業生、学生、教職員等、幅広く200人以上の参加者で会場が埋め尽くされました。上智大学早下隆士学長、ソフィア会戸川宏一副会長のご祝辞の後、巽孝之会長による渡部昇一先生の紹介があり、ソフィアンでもある先生はご自分の学生時代のエピソード等を交えながら、学問を志す者の道を示して下さる有意義な講演となりました。85歳とは思えないパワフルな語りと、母校に対する熱い思いなど、私たちの学生時代の講義を彷彿とさせるひとときでした。最後にはシェイクスピアのソネット18番を暗唱され、会場が一体感で包まれました。
 

 その後、上智大学2号館5階学生食堂に移り懇親会が開催されました。渡部先生のご著書の販売もあり、滅多にないことですが英文学科のためということで特別にサイン会をしてくださいました。懇親会では先生の弟子の皆さんからいろいろなエピソードが紹介されたり、また4月から英文学科の学生となる一番新しい後輩の紹介などもありました。校歌を歌いエールを交換し、これからの母校と英文学科の発展を願い、新たな同窓会活動の始まりと同窓生の絆を確認し合い、懇親会が終了いたしました。