2016年12月アーカイブ

これから上智大学法学部卒業生の皆さんの「学生時代の思い出」を不定期に掲載していきます。あんな人、こんな人、いろんな人が登場しますのでお楽しみに。

 

第1回目は新井満さんです。

 

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れんぎょうの花


19
歳の6月、もう少しで死ぬところであった。ふるさと新潟の高校を卒業して上京し、上智大学に入って2か月後のことである。四谷キャンパス内にある男子学生寮に住んでいた私は、深夜もうれつな腹痛で目を覚ました。喉から腹の中に無理やり生け花に使う剣山を突っ込んでかきまわしたような痛さと言えば想像がつくだろうか。救急車で病院にかつぎ込まれ、直ちに開腹手術を受けたのだが、腹の中は血の海だった。急性の十二指腸潰瘍である。一命はとりとめたものの、術後の経過が思わしくない。結局、故郷に帰され、大学一年生を休学することになった。

     

翌春、復学した。もう一度、大学一年生をやりなおすのだ。しかし私には体力も気力もなかった。手術前80キロあった体重は半減して、まるで幽霊のようであった。生きるために必要な目標や希望や理想や感動や情熱は、何もなかった。たったの19歳で、すでに充分な歳月を生きてきたような気がした。死のうと生きようと大した違いはなさそうだ。そうだ、いっそ死のうか...。毎日死ぬことばかり考えていた。

 

よく晴れた日曜日の午後、久しぶりで四谷キャンパスの横にある土手の上を歩いてみた。ふと足が止まった。何かひどく珍しい光景がいきなり目に飛び込んできたからだ。心をしずめ、もう一度よく見ると、それはれんぎょうの花なのである。黄色いれんぎょうの花が土手の上の小径をおおいつくすように咲き乱れていたのだ。

 

〈美しい...〉心底から思った。それは一所懸命咲いている小さないのちと、生まれて初めて真正面から向き合った瞬間だったかもしれない。こんな美しいものと出会えるならば、この世もまんざら捨てたものではないな。そうして私は決心したのだった。〈もう少しだけ、生きてみよう...〉

 

写真など

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