2017年1月アーカイブ

上智大学法学部卒業生の皆さんの「学生時代の思い出」を不定期に掲載開始しています。あんな人、こんな人、いろんな人が登場しています。


3回目は辻伸行さんです。

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9704月に上智大学法学部に入学したころはまだ大学紛争が続いており、その翌年の秋であったと思うが、ヘルメットをかぶった学生の乱入より授業が中断され、別の教室に移動して授業を受けた思い出がある。短期のロックアウトもあり学期末試験は3月に入ってから行われたのではなかったかと思う。


1973
年にはオイルショックがあり、町のネオンサインが消え、冬の授業は暖房のない教室で先生も学生もオーバーコートを着込んで行われた。キャンパスを行き交う今の学生の姿を見ると、隔世の感がある。


その後上智の大学院を出て、上智に戻ってきたのは
15年後の19954月である。上智に学ぶ学生の数も私の学生時代より大幅に増え、また、図書館をはじめとして新しい建物が次々建てられていた。大学の知名度もいっそう高くなっていた。


学生として学んだ期間を合わせると
31年間上智大学にお世話になったことになる。良き師、良き学生に恵まれて幸せな大学人であったと思っている。

 

伸行(つじのぶゆき) 
法法
1973卒(19743月)

元上智大学法学部教授

上智大学法学部同窓会 会長

 

辻伸行_n.jpg

新年あけましておめでとうございます。


昨年
12月から上智大学法学部卒業生の皆さんの「学生時代の思い出」を不定期に掲載開始しています。あんな人、こんな人、いろんな人が登場しますのでお楽しみに。


2回目は菅原裕二さんです。

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私は、岩手県の公立高校を卒業して
19764月に法律学科に入学しました。学園紛争はほぼ収束し、ピタウ先生が学長になって8年目の年でした。その頃は、法律学科4クラス(35から38クラス)で、現在に比べると推薦入学の学生の割合も、女子学生や現役合格の比率も低かったように思います。4年次のゼミは佐藤功先生でしたが、ゼミ以外は課外活動(陸上部・体育会本部)とアルバイトばかりで真面目な学生とは言えませんでした。


学長になってからもピタウ先生は「政治思想史」の講義は続けておられ、クリスチャンの私は
1年生の時から目をかけていただきました。法学部には粕谷友介先生やホセ・ヨンパルト先生、仙台教区の安井光雄先生など、神父様もいらっしゃいましたし、カトリック学生の会に所属し、学生寮に住んでいたこともあって、上智会館3階の聖三木聖堂にも教授館(SJハウス)内のクルトゥル・ハイムにも足繁く通いました。


在学中にたくさんの信者の学生と多くのイエズス会員に出会えたことが私の生涯の方向性を定め、卒業して
7年後、神学の勉強のために送られたローマでピタウ先生と再会することになりました。

 

菅原裕二(すがわらゆうじ) 
法法
80年卒 

イエズス会司祭
教皇庁立グレゴリアン大学教会法学部教授

現在、法学部長

 

サイズ変更近影(菅原裕二).jpg

写真など

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