2019年1月アーカイブ

上智英文同窓会 2019

 

新春のご挨拶

巽 孝之

(上智大学英文学科同窓会会長)

 

 英文学科同窓会が発足して、早くも五周年。

 その間、渡部昇一先生やピーター・ミルワード先生、高柳俊一先生や中野記偉先生の講演会を主催し、そのつど多くの同窓生たちと交歓することができたのは本当にうれしいことでした。

しかし何と言っても昨年 2018年といえば、同窓会が総力を結集して調査し編纂した英文学科の歴史と資料の集大成『上智英文 90年』(彩流社)がついに陽の目を見た年として、しかも6 16日にはソフィアンズ・クラブを借り切り出版記念シンポジウムが行われた年として、長く記憶されることでしょう。大塚寿郎副学長から開会挨拶を賜り、英文学科の過去・現在・未来をめぐって、加藤めぐみ編集長の司会の下、徳永守儀、今里智晃、宮脇俊文、石塚久郎、西能史の各氏とともに語り合った一時間余は、まことにかけがえのないひとときでした。

さて、これまで私は毎年この「新年の挨拶」で、同窓会の意義について考えをめぐらしています。それは、単に昔懐かしい同窓生と再会し旧交を温める場というだけでではない。戦時中にあっても上智大学が学問の灯を絶やさなかった人文学研究の牙城であったことや、戦後、私たちが入学した 1970年代以降に黄金時代が到来したこと、ゼミのない英文学科ではそれこそ黄金時代以来、英文学研究会など学生中心の組織が活発で合宿し雑誌まで刊行していたことなど、同窓会は母校に対する誇りを改めて実感させてくれます。

のみならず、今回の『上智英文90年』を一読すればわかるとおり、同窓会とは、これまで自分たちがよく知っていると思っていた英文学科に、全く知ることのなかった多難にして実り多い時代があったことを再確認する場でもあります。したがってわたしは、同書の巻頭言「そこは何処にもない国」において、文学作品を読むことと同窓会で集まることはよく似ているのではないか、という仮説を提起しました。学生時代にたった一度読んだきりの作品でも、卒業後 10年が経ち 20年が経ってから読み返してみると、あれ、これって本当にこんな話だったっけ?と驚くような再発見に事欠かないものです。それは同窓会を経て同窓生たちと、そして何より大学そのものと再会した時の驚きにも似ているでしょう。文学作品も同窓会も、懐かしさだけが魅力ではない。これまで知らなかった魅力を再発見させてくれるところに、その楽しさが潜んでいます。そして実際、『上智英文 90年』の有能なる編集委員諸兄姉は、次から次へと、これまであずかり知らなかった英文学科の多様な側面を掘り出してくれました。

振り返ってみれば、同窓会が発足した 2014年の時点より、平野由紀子副会長の発案で、いつかは英文学科そのものをめぐる本を作りたい、という構想はあらかじめ活動計画に組み込まれていました。けれども、それを具体的にどのようにまとめるかについて、毎回の役員会であれこれ討議していたところ、アッと言う間に五年目を迎えていたというのが本当のところです、とはいえ、五年もの歳月をかけたからこそ、調査を徹底し記述を洗練させ新発見の数々に恵まれたこともまた、事実なのです。

言ってみれば、同窓会にとって悲願の『上智英文 90年』はとうに締切を過ぎた宿題のようなものでした。そのため、渡部先生にもミルワード先生にも、残念ながら実物をお目にかけることが叶いませんでした。けれども、五年間という「遅れ」が本書の品質をはるかに高めたことも、疑いえません。   

そのような思いを込めて、この遅過ぎた宿題を、両先生の御魂に謹んで捧げます。