ブログをご覧の皆様、こんにちは!
2015日10月16日、ネオソフィアンでは恒例の上智OG/OBによるトークイベントを開催いたしました。
今回は、多岐に渡りご活躍されるお二人のソフィアンに主に学生時代や現在までの経験談をお話しいただきました。
様々なご経験をされている二人ならではの人生経験や就職活動のお話しは必見です!
それでは当日の様子をお楽しみください♪
ネオソフィアン・ライブインタビューvol.02
玉谷祥子(LITALICO) × 菅原大介(LUXA)「Life with Social ソーシャルなライフワークを楽しむ!」
※ 写真左より
アシスタント/反後花美(仏文17卒予定)
インタビュワー/金谷武明(法法95卒)
ゲスト/玉谷祥子(総社12卒)
ゲスト/菅原大介(文新04卒)
活躍する若手ソフィアンをゲストに招いてのトーク・イベント「ネオソフィアン・ライブインタビュー」、第2回目のゲストは、発達障害のある子ども向けの教育事業などを手がけるLITALICOの玉谷祥子さん(12総社)と、複数の企業で新規事業のプロデュースを担当する傍ら、子どもへの教育をテーマに社会貢献活動を行っている菅原大介さん(04文新)。20代前半にして事業部の全体統括や新規事業立ち上げを経験し、新卒入社した会社で教育事業に取り組む玉谷さんと、会社の業務とは別にライフワークとして社会貢献活動を行う菅原さん。異なるスタンスでソーシャルというフィールドで活躍する2人の若手ソフィアンからお話を伺います。 お二人がどのような経緯でソーシャルビジネスや社会貢献活動に興味を持ったのか、どんな学生時代を過ごしてきたのか、そして現在どのような社会問題に取り組んでいて将来どのような夢をお持ちなのか。第一線で活躍するソフィアンの過去現在未来を深く掘り下げることで参加されるみなさんのキャリアや生き方について色々考える機会になればと思います。 |
金谷: 今日は、障害のある方の支援を軸に事業を展開するLITALICOで活躍されている玉谷さんと、ご自身の仕事とは別に自分の時間を使って社会貢献をされている菅原さんというこのお二方の取り組み方の対比を中心に話を進めていきたいと思います。基本的には、取り組んでいらっしゃる事業内容の話をしてもらうのではなく、その人の人物像に焦点を当てて進めていきたいと思っています。お二人がどのようにして今の心境に至ったのか、そこを掘り下げていきたいと思います。
1. ~ 高校時代 ~
反後: はじめにお二人の原点についてお伺いしたいと思います。まずは高校の頃はどのような学生生活を過ごされていたのでしょうか。今の心境に至る何かきっかけやエピソードなどはありますか?
玉谷: はい。私の出身は石川県金沢市で、金沢大学附属の学校に、小学校から高校まで通っていました。そこはいわゆる進学校で、高校では学年の三分の一近くが医学部進学を希望、それ以外は東大京大を目指して当たり前、というような学校でした。私はというと、勉強自体は嫌いではなかったので、周りの環境の影響もあり、東大を目指そう!と受験勉強に励んでいました。でも、受験にあっさり落ちまして(笑)、その当時の私の目の前には「東大合格」という目標しかなかったため、かなり落ち込みました。そこで、当時お世話になっていた塾の先生に「浪人しようかと思って・・・」と相談に行ったところ、「きっとお前には、大きな使命があるはずだ。東大に行かなければできないことなんてないから、早く社会に出て、その使命を探しておいで。」と言われたんですね。そしてその時、ビジネス書を10冊くらい推薦してくださいまして、それらを一気に購入しました。たとえば、神田昌典さんの『成功者の告白』や、本田健さんの『ユダヤ人大富豪の教え』だったり。それらを読んだとき、初めて「ビジネス」という世界があることを知ったんですね。それまで、医学部進学や東大に行く、というところまでしか選択肢を知らなかった田舎の女子高生でしたから、とても衝撃的でした。「こんなに面白そうな世界があるんだ」と感化され、「この世界だったら、自分に合うかもしれない。自分の使命があるかもしれない」という裏付けのない自信を得て(笑)、まずは大学に進学して、ビジネスの世界に飛び込んでみようと考え、進路を決めました。
金谷: ありがとうございます。とにかく、「勉強が嫌いじゃなかったんで」という発言がすごいなと思いました(笑)。僕は嫌いでしかなかったので。
玉谷: 実は秘密があってですね。その金沢大学附属の小学校に入るとき、受験をしているんです。ですから、幼稚園からずっと塾へ通っていたのですが、その塾では毎週プリントが5枚くらい配られて、それを解いて丸付けをしてもらう、というような形で教えてもらっていたんですね。で、そのプリントで100点を取ったら、お小遣いが1,000円もらえる、という制度を祖父が発案してくれまして(笑)。
金谷: なるほど(笑)。
玉谷: で、がんばるわけですよ。1,000円って、結構嬉しいじゃないですか。私の母はいわゆる教育熱心な母親ではなくて、受験勉強も祖母の影響で始めたくらいでしたが、そんな母も私がプリントで100点を取ったら「さっちゃん、すごいね!」と褒めてくれて。100点取ったら、おじいちゃんからお小遣いもらって、母とクレープを食べにいく。で、「さっちゃん、すごいね。美味しいね。」と(笑)
金谷: 要約すると、やっぱり世の中カネだ、と(笑)。
玉谷: いやいや、そういうことではないです(笑)。当時はゲーム感覚で取り組んでいたんだと思います。だから楽しく勉強できました。
金谷: ごめんなさい(笑)。いや、いい話ですね。話を戻しますと、東大を受験されて、ダメだったと。でも塾の先生に進学を勧められて大学へ進学することになったのだと思いますが、どのような理由で上智に進学しようと決断されたのですか?
玉谷: 受験した当時、私立の早稲田や、理系だったので理科大なども受かっていたのですけど、その中でも上智を選んだ理由は、社会学という学問に惹かれて選んでみました。
金谷: 色々なところに受かっていたんですね。でもその中でなぜ上智なのか疑問が残ります。もう少し詳しく聞いていいですか。なぜその中で上智を選んだのか。
玉谷: 高校では数学や物理が好きで理系を選択していたんですが、きっとやりたいことは文系に近いだろうなと思っていて。この性格・キャラクターで、試験管ふったりデータ解析しているイメージが、全く沸かなかったといいますか。東大を受けたのも3年生から文転したいと思って受けていました。上智は社会学科を数学で受験することができ、ちょうど文系と理系の間くらいの立ち位置の学問と認識していたため、どっちに転んでも自分の興味関心に近いことが学べるなと思って選びました。
金谷: ありがとうございます。それでは、次に菅原さんの高校生時代を教えてください。
菅原: はい。高校は横浜市立南高校というところを出ていて、市立校なのですが、卒業後に中高一貫化したことで話題になった人気校です。公立校にしては珍しく、野球のスタジアムがあったり、病院のようにエレベータがついていたり、プラネタリウムがあったりと、結構リッチな校舎を持っていて、部活もすごく盛んでした。中学の時に文化祭実行委員会に所属していたので、高校でも何か委員会活動をやりたいなと思っていました。生徒会という中心的な組織には向いていない性格なので、学内広報紙を作る委員会に入って委員長をやっていました。その中で各部活の人にアンケートを取って分析をしたり、特集の企画を立てたりそういうことを自主的にやっていたので、今のマーケティングの仕事に通ずるものがありますね。あと高校といえば、ひとつ忘れられないのが、市立南高校を受験するときのことです。僕からすれば少しレベルが上の学校だったんですね。で、どうしようかなと思っていたところ、一つ下のランクの高校がボランティアを必修義務化にしていまして、当時「ボランティアなんて絶対にやりたくない」と思って、そういう経緯もあって市立南高校を志望したことを今でもすごく覚えています。今はプライベートの時間を割いてまでボランティアをやっている自分からすれば、それはすごく面白い 変わりようだと感じています。
金谷: 人は変わる、と(笑)。高校受験であれほど嫌だったボランティアを今していると。まあでもそれは成長ですよね。その後大学へ進学して社会人になって色々思うところがあって。その辺はまた掘り下げて聞いていきますが、菅原さんの場合はなぜ上智を選んだのですか。
菅原: 僕は新聞学科に進学したのですが、当時ジャーナリズムにすごく関心を持っていました。で、僕が卒業する当時は少年犯罪が結構ニュースに取り上げられることが多くて。報道を見ていて、被害者側がクローズアップされるのは当然ですが、加害者側もやっぱり人生があって、 どんな原因を抱えてそうなってしまったのかをジャーナリズムの視点から追っていきたいと思いました。もともと「子ども」と「教育」が自分の中の生涯の関心テーマだと決めていたので、その観点もあって上智の新聞を選びました。
金谷: ありがとうございます。それでは上智時代の話に移りたいと思います。
2. ~ 大学時代 ~
反後: それでは、大学時代のお話をお願いします。
金谷: いざ、色々な思いを抱えて大学に入学しました、と。実際のところ、高校時代に抱いていた思いは、上智に入ってから実際に活動などに繋がったのか、逆に入ってみたら全然違った、などのエピソードはありますか。では、菅原さんから。
菅原: 大学入学後、僕はソフィア祭実行委員会に入りました。例によって、中学・高校と委員会をやってきたので、大学でも委員会をやりたいなと思いまして。それで、フレマン期間中にソ実の部室を訪ねて行ったときにすごく雰囲気が良くて。企画もできるし、運営もやりがいがありそうだと。ソ実の先輩が誘ってくれたということもあり、自分もやってみたいなと思いました。
金谷: 中学、高校と委員会をやってきて、その流れで大学でも、ということですね。もともと文化祭みたいにみんなで何かひとつのものを作り上げるというところに興味があったということですよね。
菅原: そうですね。企画をするとか何かを調べる、みたいなのがすごく好きで。
金谷: なるほど。先ほどおっしゃられていた、少年犯罪の加害者被害者に対する意識っていうのも、それはそれで別に研究を進めたりはしたのですか。
菅原: もし上智に進学できなければ別の大学で心理学のような勉強をしたいとは思っていました。
金谷: 入ってからは特になかったですか。どちらかというと、ソ実の活動がメインだったという。
菅原: そうですね。
金谷: なるほど。ありがとうございます。玉谷さん、いかがでしょう。
玉谷: 先ほど、私が大学入学前にビジネス書をたくさん読んで、「ビジネスにチャレンジしてみるぞ!」と意気込んでいた話をしたと思うのですが、入学してからも引き続きその思いは持っておりまして。とはいえ、上京したばかりで一人暮らしも初めて、何もかもわからないような状態だったため、まずはビジネスの世界に飛び込めるコミュニティに入ろうと考えました。そこで出会ったのがOVALという学生団体です。日本・中国・韓国の学生を数百人集めてビジネスコンテストを開催する、という活動を1年半くらいやっていました。その活動を通し、様々な起業家や経営者とお会いする機会があり、そういう方々からお話しを伺う度刺激を受け、やっぱりこの世界でチャレンジしたい!という想いが強くなっていきました。
一方、社会学は社会学で、勉強してみるとすごく面白くて。少子高齢化や環境問題など、様々な社会課題を社会学的な視点から紐解いていく作業が面白くて、結構はまっていったんですね。
宮台真司さんという社会学者の方がいるんですけど、その方の本がすごく面白く感銘を受け、講演会に足を運んだことがありました。講演のあと宮台先生のところに駆けて行って、「宮台先生のところで、勉強がしたいです!」って言ったら、「じゃあ来週からうちのゼミおいでよ」って言っていただいて。それからは他大学で開催されている宮台ゼミに毎週通って、上智での勉強よりもそちらのゼミでの勉強の方が中心になっていきました。
金谷: その行動力ってすごいですね。実際他の大学のゼミにいきたいって思っても、まあ思うことはあると思うんですよ、でも本当に行くかって言うと、実際は行かないですよね(笑)。行かないし、実際いいよって言われても行けないし。ということは、上智での活動はあまりなかったんですかね。
玉谷: そうですね。学内での活動はあまりした覚えがなくて。先ほど申し上げたOVALというインカレの学生団体の活動と、学外のゼミへ通うことが学生生活の中心でしたね。
金谷: 話を伺っていると、常に視点が外へ向いているという印象を受けました。上智のいいところのひとつだと思うんですけど、上智の中で閉じてしまうこともできるじゃないですか。上智の人とだけ付き合って。たとえば六大学みたいな形での学外とのつながりも少ないので。そういう意味では、外への視点を持って活動していたのは、きっと玉谷さんのその後の人生に大きく関わっているんじゃないかと思います。それでは、次のトピックに行きたいと思います。
3. ~ 就職活動について ~
反後: 次のテーマは、私が伺いたいことなんですけれども、私はいま現役の2年生でして、そろそろ就活を意識しなければなと思っているのですが、漠然とした焦りのようなものしかなくて、自分のやりたいことというのも特に決めることができない状態にあります。お二方は、どのように就活を始められて、どういった就活を送られたのかお聞きしたいです。
玉谷: 私は社会学を勉強するにつれて、こういった社会課題を解決できる人間になりたい!という想いが強くなっていきました。その頃学外のゼミなどで、社会学者や研究員の方とお話をする機会もあり、こういう道もいいかもしれない、と思ったこともありました。でも、そういった研究者の方たちの頭の良さに到底自分は及ばないと実感した、ということに加え、「研究」で止まってしまうことへの歯がゆさを感じていました。「この社会課題は、こういう背景要因で起きている。だから、こういう制度があったらいいのではないか」と、現状分析をしたり未来へ示唆を出すところまでは、自分よりもはるかに頭の良い研究者の方たちがやってくれるだろうと。じゃあ、自分はどこがやりたいのか?と自問自答してみると、実際に自分の手で、社会をしっかりと変えていけるような仕組みを作っていくところをやってみたい、と考えるようになったのです。ちょうどその頃、アメリカでソーシャルビジネスが流行ってきているという話を聞いて、実際調べてみると、"Teach for America"をはじめ、様々なムーブメントが沸き起こっていることがわかりました。「社会課題を解決したい」という思いと、「ビジネスにチャレンジしたい」という高校生からの思い。これがちょうど合わさった夢の様な形を見つけられた!と思って、とても嬉しかったのを覚えています。
金谷: ちなみに、そういった意識は他の大学のゼミに参加している中で育まれたものですか。
玉谷: そうですね。
金谷: 上智の中ではどうしていたのですか。
玉谷: 上智の中でもゼミに所属していました。社会学の中で色々な分野をかじりながら、勉強していました。
金谷: なるほど。僕も大学院に通っていた時に、アカデミックな場における研究って仕事の現場と随分違うんだなあと改めて感じましたね。自分もやっぱり現場の仕事とアカデミックに研究するのとどっちがいいかっていうと、現場がいいなあと思ったりして。もちろんどっちが良い悪いではなく、向き不向きで。ただ僕がそのことを意識したのは、43歳になった今年、去年くらいなんですけどね(笑)。玉谷さんはそのことに20歳くらいのときに気付いたと。
玉谷: そうですね。向き不向きの問題で言っても、自分はあんなにずっと研究していられない性格だなと思っていて。浮気症といいますか、いろいろなことに興味関心が移るので、現場でいろいろな分野に携わる形が合うかもしれない、と思ったことも大きいです。
金谷: 就活はその方向でやっていったのですか。
玉谷: 当時2010年くらいで、ソーシャルビジネスを日本でやっているところがないか探してみたんですが、実際なくて。NPOも探したんですけど、経済的な面がひっかかり、すぐには飛び込めませんでした。いろいろ考えた結果、3〜5年スパンで、自分がやりたい・解決したい!と思えるテーマに出会ったとき、自分が主体となって解決できるような土台の力をファーストキャリアで築こうと思いました。ですから、就活の軸は、「自分がいかに短期間で成長できるか」というところ。具体的にはIT系のベンチャーを中心に就活をし、ぎりぎりまでDeNAさんに行くつもりでいました。
金谷: でも最終的には今のLITALICOに就職することにしたと。実際、決め手はなんだったんですか。
玉谷: 決め手は、2011年の震災ですね。そのとき東京にいて、身は無事だったのですが、生まれてはじめて、自分や大切な人の死を最も近くで感じた経験でした。実際、非常に多くの方が一瞬のうちに亡くなられる光景を目の当たりにし、考えが変わりました。
それまでは、自分のキャリアが今後50年、60年続くと思っていたので、その中のファーストキャリアの5〜6年は、自分の力を蓄えるため、とにかく自分の成長機会として過ごせればいいかなと思っていたんですね。ただ、あの震災を経験してしまうと、前提にあった50年、60年というキャリアが、ある日突然無くなることもありうるんだなと思って。今日、この一瞬も後悔しないよう、自分が本当に興味のある事業をやろう、と考えるようになりました。
そこで当時内定をいただいていたLITALICO(旧ウィングル)に連絡。現在1,300名ほど社員がいる会社が、当時は従業員が100名程という規模でしたが、そこだったら自分の想いに近しいことができるんじゃないかと考え、震災の3日後くらいからその会社でインターンシップを始めたんですね。そこからそのまま働き始めました。
金谷: DeNAというのは当時ソーシャルゲームの世界では本当に勢いがあって、そこに受かって、その内定を蹴るっていうのは相当周りから反対があったんじゃないかと思うのですが。
玉谷: そうですね。DeNAさんでは非常に優秀で素敵な方にたくさん出会い惹かれていたため、心苦しい気持ちが強かったです。当時のメンターさんからもご連絡をいただいたり、家族からも全く名前も知らない会社に行くことに対して、そんな早まった決断をするのではない!と言われました。
他にもメガベンチャー等から内定を頂いていたのですが、祖父からは「球団を持っているような会社はなかなか潰れないから、絶対そこに行った方がいい」と力説をされまして(笑)。それに障害のある方の支援をする会社だったので、親や祖父母世代からすればただただ大変というイメージもあったようで、当初は理解してもらえませんでした。
金谷: それはどう説得したんですか。それとも説得はしなかったんですか。
玉谷: あんまり、聞かなかったですね(笑)。でも、インターンを始めてから、私がとてもイキイキとしていることが家族にも伝わったようで。「そんなに楽しそうなら、幸せそうなら、全力でやっておいで」と、今ではとても応援してくれています。
金谷: なるほど。では次は菅原さんにお聞きしましょう。新卒の1社目ってどちらでしたっけ。
菅原: 出版社の学研に就職しました。
金谷: そこに至るまでの就活のエピソードをお願いします。
菅原: 自分の生涯のテーマが「子ども」と「教育」だったので、まず新卒で学研に入り、幼児教育の部門に希望通り配属されました。そこでは幼稚園・保育園をクライアントとして、幼児教材や絵本などの教材や遊具、園服などの商材を取り扱う企画と営業の両方をやるような仕事をしていました。なので、やりたいことを仕事にできていました。
金谷: それはその分野に絞って就活していたのですか?
菅原: そうですね、「子ども」と「教育」に絞って、他は玩具とかプロダクションとかそういった業界をいくつか受けていて、その中で学研はちょうど上智の先輩が編集職で入っていてその方にお話を聞いたりしていて、これはなかなか面白そうだなというご縁はありました。
金谷: 話を伺っているとやりたいことや方向性がしっかり決まっていたんだな、と感じました。では、やりたいことが決まって絞っていれば就活は上手くいくのかといえば、そうでもないじゃないですか。絞った上で何らかの準備が必要だと思うのですが、自分の関心に対する裏付けというのは何かあったんですか。
菅原: それはもしかしたら、学生生活の間にソ実で活動した経験がよかったのかなと思っています。学生の内から企画とか運営とかに携わって、実践的にやれていたので。それから当時は上智から学研に毎年1人くらい採用がかかっていたので、その先輩たちの信用力というのもあったと思います。
金谷: なるほど。玉谷さんはどうですか。
玉谷: それに関して私は、就活は恋愛や結婚と同じだと思っていて(笑)着飾った状態で会うと本当の相性って見えにくいし、それにいくらごまかしても、いつかは本当の自分が見透かされるとも思っていました。人事の方たちの目利きは、学生の"ごまかし"を容易く超えると思っていて。ですから、自分の考えや性格をそのまま伝えるということをすごく大切にしていました。その上で、いいなと思ってくれる企業さんと出会えたらいいな、と。某ゲーム会社さんでは、最初の面接から最終面接まで一貫して、「私はゲームが苦手だし、日頃やりません。だけど、なんか成長できそうだから来ました。」みたいなことを最初から最後までお伝えしていて。今思うととんでもなく失礼な奴ですけど、それでも何かしら「合いそうだ」と思っていただいて内定を頂いているので、だったら楽しく働けるかなと思って。
金谷: それはすごい勇気ですよね。普通は好きじゃなくても好きですって言って面接に臨みますよね(笑)。それでも嫌いですと。
玉谷: そうですね。すごい嫌な学生に見えたかもしれないですけど(笑)。でも思っていることは率直にお伝えするようにしていました。
参加者同士の交流タイムを兼ねたグループディスカッションタイムの様子
4. ~ 社会人になってから ~
金谷: なるほど。反後さん、どうですか、参考になりましたか。
反後: はい。すごくとても興味深いお話でした。それでは、社会人になった頃について伺いたいと思います。
金谷: ここからはもう少し踏み込んだ話をしていきたいと思います。お二人のキャリアのポイントは結構違うと思うのですが、菅原さんは転職を経ながら自身のキャリアアップを果たされていて、その中で自分のやりたいことは仕事だけじゃなくて、仕事以外の時間を使って色々自己実現されていると。一方玉谷さんは、自身の会社を自分が成長できるという視点で選んでいると思うんですけど、実際仕事の中で社会問題に取り組んでいて、新卒1年目から新規事業の立ち上げに携わっているんですよね。
玉谷: そうですね。私が入社を決めたタイミングでは、まだ成人の方の就職支援の事業しかやっていませんでした。でもそこから、発達障害のある子ども向けの教育事業や、子どもにプログラミングやデザインを教える教室等を展開して。会社が急成長するタイミングでしたので、新規店舗の立ち上げやその店舗の教室長やエリアマネージャーも歴任させていただき、時には教材を作る部署を立ち上げたりもしました。新卒で入社後の3年間は、ひたすら「立ち上げ屋さん」でしたね。4ヵ月以上同じところにいたことがありませんでした(笑)。
金谷: 本当にベンチャー企業が成長するいいタイミングで入社して、拡大するときに色々な経験ができたんですね。そういう運というか、タイミングって本当に大事ですよね。それでは、菅原さん、話は戻りますが、ご自身が社会貢献のボランティアに取り組み始めたきっかけは何でしょうか。20代って仕事も忙しいので自分の時間ってなかなかできないんじゃないかと思うのですが。
菅原: 学研で幼児教育の担当をした後に、いったん教育の分野からは離れて、「職種」を大切にしようと思うようになりました。それで、インターネットリサーチのマクロミルという企業に、当時は200名くらいの規模の時に転職しました。そのあとぐるなびの中で事業企画の仕事をさせてもらって、そこで自分は特務機関的なスタイルで仕事をこなすことが合っていることを発見しました。会社が抱えている様々な事業課題に対して、マーケティングをベースに解決提案をしていました。そうこうしているうちに、僕はこのタイミングで震災を迎えて、このとき「もう一度子どもの役に立つことをやりたい」と思い、ただ仕事(職種)は変えずにやる方法はないか思案していました。 当時、上智のキャリアセンターが主催する現役生向け就活 イベントにOBとして呼んでもらう機会があり、同じくゲストで呼ばれていたある先輩に自分自身のライフデザインについて相談したことがひとつのきっかけとなりました。当時のボランティアといえば、被災地に行ってがれきを撤去することがメインだったのですが、東京にいて本質的に子どもたちと関われる方法はないかと打ち明けると、「今度TEDxKidsというイベントをやるんだよ」ということを伺い、それに参加したのが今の活動の原点になっています。
金谷: その後も働き方を変えていますが、仕事自体は子どもにかかわるものではないですよね。あえて仕事にしないことになにかポリシーがあるのですか。
菅原: もちろん、業種と職種が絡み合っていればベストです。 でも、なかなかそれって難しいなと思ったんです。特に教育の分野は、割と昔ながらの古めかしい業界の気質が根付いていて、そういうものが自分とは合わなかったんです。僕自身、特務機関的に「この課題を解決してくれ」という依頼を受けて新規事業を開拓していくスタイルが持ち味なので、文化的な壁や会社内での壁が邪魔に感じるようなときがあったので。
金谷: 話を伺っていて、ご自身に合った働き方をすごく理解されているのだと感じました。では、実際にお二人が取り組まれている活動というのは具体的にどういう内容なのでしょうか。玉谷さんからお願いします。
玉谷: 私は障がいのあるお子様向けの塾の立ち上げに携わっていたと申し上げたと思うのですが、障がいのあるお子様たちがもっと自分らしく生きられるような世の中にしていくために、お子様の支援をさせていただいていました。2014年の秋くらいから転機がありまして、インターネット事業を会社としてしっかり立ち上げることになり、そこにジョインすることになりました。それまで3年間、リアルな店舗の現場をずっとみていたので、私にとってはとても新しく、わくわくするチャレンジです。現在は、Conobieという子育て中のママ・パパに向けた育児メディアを運営しています。
Conobie: https://conobie.jp/
金谷: ありがとうございます。菅原さんはどうですか。
菅原: ボランティア活動では、TEDxKidsを二年間やり込みました。サラリーマンを辞めてフリーランスになるくらい。今現在は、イベント・リサーチなどの面で親子支援を行う団体のお手伝いをしています。こういった技術面のリソ―スは結構不足している場合が多いので、過去の自分の経験を活かしながらやっています。仕事はサラリーマンに戻って、ECサイトのルクサで働いています。ITベンチャーで5年目の会社なのですが、リアル店舗を出すことになりまして、今度11月に渋谷にセレクトショップをオープンさせるため、店舗開発の担当をやっています。会社の主力事業はあくまでECサイトの方なのですが、チャレンジ事業であるリアルの方を担当してくれと社長から言われまして(笑)。ある意味でここも今までの自分の生き方と一貫していますね。
金谷: なるほど。ありがとうございます。それでは最後に今後の働き方も含めてご自身の展望をお願いします。まずは玉谷さん。
玉谷: 入社1,2年目は自分自身の成長でいっぱいいっぱいでしたが、今は発達障害のあるお子様向けの事業や教育分野の事業にのめり込む形で携わらせていただいて、やっぱりそこに対する課題意識が強くあります。ですから、その分野でこれからも頑張っていきたいと思っています。目下1年くらいでやっていきたいのは、発達障害のあるお子様の親御さま向けのオンラインプラットフォームを作ること。一般的に子育てをする、といっても、誰しも右も左も分からず大変な状況なのに、子どもの発達に困り事を感じている親御さんは、より困難な状況です。誰に相談していいか分からない、どこで適切なサポートが受けられるか分からない・・・そんな親御さまにしっかりと情報をお届けできる場所を作っていきたいと思っています。
※当対談から数ヶ月、2016年1月26日に「LITALICO(りたりこ)発達ナビ」をオープン
金谷: 面白そうですね。菅原さんの場合は。
菅原: ボランティア活動を通じて嬉しかったのは、自分よりも下の世代の人たちがネットワークを作ってやっていこうとしていることがわかったことです。自分たちの世代にはなかった動きなので。今後も、若い人たちを支援していくことが自分たちの世代の使命だと思っています。僕自身、この分野の最大の課題は、家庭の中だけで子育てが完結してしまうことが問題だと思っているので、それを生涯をかけて取り組みたいと考えています。今後ともボランティア活動は続けつつ、仕事は店舗開発を任されている立場を活かして、お店でイベントをやったり、調査結果をリリースする活動もやれるので、子育て支援などの教育の分野をうまく絡めていけたらいいなと密かにたくらんでいます。
(ECサイトLUXA(ルクサ)が初出店するライフスタイル雑貨のセレクトショップ【Timemart(タイムマート)】@渋谷モディ5F http://timemart24.com/)
5. ~ インタビュー後の一言 ~
金谷:「今回のインタビューは2人のソフィアンの生き方を対比させながら行ってみたのですが、実際に自己実現を図るやり方も色々あるんだ、ということはお伝え出来たんじゃないかな、と思います。お二方ともまだお若いので30代、40代と今後のご活躍が楽しみですね。」
反後:「学生時代から自分の道を一直線に進んでいるお二人のお話は、将来を考える時期の私にとって刺激になりました。人前に立つことに慣れず緊張してしまいましたが、アットホームな雰囲気の中、魅力的なソフィアンの方々と出会うことができ、とても楽しかったです。ネオソフィアンに関わったのは今回が初めてですが、学生にも絶対に良い経験になると思いました。また色々な形で参加したいです。」
玉谷:「学外での活動が多い学生時代でしたが、上智というアットホームで自由な場所がベースにあったからこそ、今のキャリアに繋がるきっかけをたくさん得られたのだと思います。今回の対談を通し、ソフィアンの素敵な先輩方ともたくさん出会うことができました。ここからまた新しいご縁が広がっていくといいなと思います。ありがとうございました!」
菅原:「新卒で入った学研への就職、子どものボランティア活動、いずれも大事な意思決定の際に、ソフィアンの先輩が関わっていて、上智との不思議な縁を感じます。縁と言えば、大好きな企業であるリタリコに玉谷さんがいたこともそう。今回のインタビューを通じて、自分のスタイルを再認識することができました。ありがとうございました。」
玉谷さん、菅原さん、お忙しい中のご講演ありがとうございました!
ネオソフィアンではソフィアン全員が垣根なく交流でき、上智大学全体を盛り上げられるようなイベントを行っております。
また、引き続き各界で活躍するソフィアンにスポットライトを当てたトークイベントを行ってまいりますのでぜひご注目ください。
※過去のトークイベントは下記リンクよりご覧ください。