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活躍する若手ソフィアンをゲストに招いてのトークイベント「ネオソフィアン・ライブインタビュー」、第4回目のゲストは、FBC福井放送の川越智子アナウンサー。現在はFBC福井放送で「ふれあい若狭」を担当する川越智子さんをゲストにお招きし、これまでの人生や現在のお仕事、そして将来の目標について深く掘り下げます。第一線で活躍するソフィアンの過去現在未来を深く掘り下げることで参加されるみなさんのキャリアや生き方について考える機会になればと思います。


■ ゲストスピーカーご紹介
川越智子さん(法法 13年卒)
福井県在住。
学生時代にはsuperGT300 BMWチームスタディ Mpower girls(レースクイーン)として活躍。在学中に広島テレビで東京のトレンドを紹介するリポーターを1年半したことをきっかけに放送局でアナウンサーを目指す。父親の実家がある福井でアナウンサーに。FBC福井放送では担当番組「ふれあい若狭」(huluでも配信中)や天気コーナーやニュース等幅広く活躍中。


■ インタビュワー
岩佐大樹(14済済)

■ イベント詳細
【日時】2018年8月25日(土)16:15開始(16:00開場)
【場所】上智大学6号館(ソフィアンズタワー)302教室
【ゲスト】川越智子(法法13年卒)
【インタビュワー】岩佐大樹(済済14年卒)
【司会】鈴木満里奈(外英12年卒)
【料金】2000円 (当日現地にてお支払い)
【対象】上智大学現役生、卒業生、教職員の方。
【定員】限定30名(先着順)
【当日の流れ】
 16:00:開場
 16:00 - 16:15:受付開始&周りの方と自己紹介を兼ねた歓談タイム
 16:15 - 17:30:ライブインタビュー
 17:30 - 17:45 : Q&A
 17:45 - 17:55:終了
 18:00 : 完全撤収

■ お申込方法

下記申込ページよりお申し込みください。

※ ご予約後、現地で現金にてお支払い。
※ 早い段階でのチケット完売が想定されますのでご予約は早めにお済ませください。
※ キャンセルにつきましては、Peatixのキャンセルポリシーをご確認ください。

■ イベント幹事: 岩佐大樹(済済14年卒)、鈴木満理奈(外英12年卒) 、木目田優介(済営06年卒)、川手康弘(理電07年卒)、 久保祐斗(済営17年卒)、綿貫悠花(英文17年卒)
■ 主催: ネオソフィアン
■ 撮影協力: 芝 由希子 (上智大学写真部)


※ネオソフィアン・ライブインタビューのバックナンバーはリンク先からご覧ください。
※当日は時間通りご来場ください。定刻を過ぎますと入場に時間がかかる場合がありますのでご了承ください。
※当日のキャンセルや連絡なく欠席された場合は今後のイベントへの参加をお断りする場合もあります。
※各種ソフィア会「ネオソフィアン」は上智大学卒業生の出身学部・世代・立場を超えて、特に若手卒業生・現役生の有益な交流の機会を提供するべく、若手中心の異業種交流会など様々なイベントを定期的に開催しています。
※お申込みいただきましたみなさまに、今後のイベントをご案内させていただきたいと思いますので、ネオソフィアンのメーリングリストにも追加させていただきます。
※上智大学ソフィア会は、ソフィア会会員の個人情報(氏名、住所、メールアドレス、卒業年度、学部学科など、個人を特定できる情報)の適切な保護及び利用が非常に重要であると考えています。送信された個人情報は、ソフィア会会則にのっとった目的の範囲内において利用します。詳しくはソフィア会の個人情報保護方針をご覧ください。

ついに完成しました、新ソフィアタワー!ネオソフィアンでは新ソフィアタワーの完成を記念して、4月28日スペシャルゲストをお招きして春の交流会を新ソフィアタワーで開催します!


スペシャルゲストはお二人!元ナイキ、元LVMH/ゲラン日本法人社長であり、話題のベンチャー企業FiNC社の創業メンバーでもある秋元征紘さん、そして、中森明菜の「少女A」や郷ひろみの「2億4千万の瞳」などの作詞で知られる作詞家の売野雅勇さんのお二人!


外資のトップを渡り歩いた秋元さんですが、現在でも旬なスタートアップに携わるなど、精力的に活動されています。そんな秋元さんからは、「あなたの今の夢の大きさが、あなたの未来の大きさ!」と題して、秋元さんから20代30代のソフィアンに向けてお話していただきます。


売野さんのテーマは「夢をつかむ生き方」。売野さんは作詞家として知られていらっしゃいますが、実は元々コピーライターだったのです。コピーライターとして仕事をしているうちに掴んだチャンスを売野さんがいかにものにしたのか。キャリアの転機は思いがけないところからやってくるものですので、ぜひ売野さんの生き方を参考にしてみてください!


ちなみに4月28日はプレミアムフライデーでもあります!

ぜひ仕事は早めに切り上げて新ソフィアタワーで楽しい時間を過ごしましょう!


【開催概要】

◆日時:2017年4月28日(金)19:00-21:00 ※18:30開場

18時30分開場

19時00分トークイベントスタート

20時00分懇親会

21時00分終了

※終了後はHubにて2次会を予定しています(費用は別途各自お支払いください)。

◆会場:ソフィアンズクラブ (新ソフィアタワー内)

◆対象:上智大学現役生、卒業生、教職員

◆定員:50名

◆会 費:現役生前売りチケット:2,000円

    平成卒前売りチケット:4,000円

    昭和卒前売りチケット:7,000円

    当日払い: 現役生 2,500円、平成卒 4,500円、昭和卒 7,500円


※下記URLの申込ページにてご予約後、現地で現金にてお支払いください。

※ 早い段階でのチケット完売が想定されますのでご予約は早めにお済ませください。

※ 軽食がでます

※キャンセルにつきましては、Peatixのキャンセルポリシーをご確認ください。


【お申し込み】

以下の専用サイトよりチケットをお申込みください。

http://neosophian2017spring.peatix.com/


【ゲストプロフィール】

秋元征紘さん

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秋元征紘(あきもと ゆきひろ)

ワイ・エイ・パートナーズ(株) 代表取締役

ジャイロ経営塾 代表


日本精工のオーストラリア、アメリカ、カナダの海外経験の後、ケンタッキーフライドチキン、ペプシコーラ、ナイキ、LVMHグループのゲランなど米国・欧州の代表的外資4社のトップマネージメントを務める。2008年より"新たな日本的経営"として「ジャイロ経営」を提唱。ベンチャー企業支援、戦略経営コンサルティング、大企業向けグローバル人材及びマネジメント研修のプログラムのデザイン・実施、さらには数社の社外取締役・顧問を務める一方、執筆・講演を広範かつ精力的に展開中。


■ 社外取締役

レナ・ジャポン・インスティチュート株式会社

株式会社FiNC

株式会社ホワイトプラス 


■ 顧問・アドバイザー

株式会社エアーウィーブ

CREWW株式会社

有限会社アッソインターナショナル       

株式会社アクアバンク

株式会社スパイスアップ・ジャパン        


■ 職歴・経歴

1968年 上智大学経済学部卒業

1970年 シドニー大学経済学部修士課程

1970年 日本精工(株)入社、ニューヨーク、トロント駐在

1980年 日本ケンタッキーフライドチキン(株) 企画販売部長、企画本部長、

マーケティング本部長、取締役 経営戦略担当を歴任

1987年 日本ペプシコーラ(株) 副社長として出向

1988年 日本ケンタッキーフライドチキン(株) 常務取締役 営業統括

1993年 (株)ナイキジャパン 代表取締役社長

1995年 LVMHグループのゲラン(株) 代表取締役社長、ゲランSA(パリ本社)執行役員、取締役会長を歴任

2006年 ワイ・エイ・パートナーズ(株)設立 代表取締役に就任

2008年 ジャイロ経営塾を設立 代表に就任


主な著書

なぜ今、シュンペーターなのか-ドラッカーに継承され、ジョブズが実践した「企業家ビジョン」』 クロスメデイアパブリシンング、2015年10月2日

その他の秋元氏の著書はこちらをご覧ください。



売野雅勇さん


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売野雅勇(うりの まさお)作詞家 公式サイト


上智大学文学部英文科卒業。コピーライター、ファッション誌編集長を経て、1981年シャネルズの「星屑のダンスホール」を書き作詞家としてデビュー。

1982年中森明菜の「少女A」のヒットにより一躍ヒット作家に。チェッカーズを始め、郷ひろみ、近藤真彦、田原俊彦、河合奈保子,シブガキ隊など数多くの作品により80年代アイドルブームの一翼を担う。90年代からは坂本龍一、矢沢永吉から、中谷美紀、ゲイシャガールズ(ダウンタウン)、SMAP、森進一まで幅広く作品を提供。


郷ひろみ「2億4千万の瞳」、ラッツ&スター「め組の人」チェッカーズ「涙のリクエスト」、矢沢永吉「SOMEBODY'S NIGHT」、中谷美紀「砂の果実」などヒット曲多数。


1990年以降映画・演劇にも活動の場を広げ、

脚本・監督作品には「シンデレラ・エクスプレス」「BODY EXOTICA」。

脚本・プロデュース作品の舞台には「ミッシング・ピース」(市川右近演出・千住明音楽)「天国より野蛮」(市川右近・宝生舞主演)「優雅な秘密」(市川右近・市川春猿主演)「美貌の青空」(市川右近・市川春猿・市川段治郎主演)「下町日和」(市川右近・市川春猿・市川段治郎主演)「虎島キンゴロウ・ショー/魅惑の夜」(虎島キンゴロウ・市川右近・金子國義主演)などがある。


☆2016年 作詞活動35周年にあたりベストヒット曲集4枚組CD Box『天国より野蛮』(Pony Canyon),80年代を振り返った回顧録『砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々』(朝日新聞出版),ロシア出身のアニヴァーサリー・アーティストMaxLuxによるトリビュートアルバム『砂の果実 Fujiyama Paradise Tribute』(Pony Canyon)を発表。日本人の複数アーティストによるトリビュートHit 曲集『真夏のイノセンス』(徳間ジャパン)も発売された。


インタビュワー

金谷武明(95法法)ネオソフィアン代表


司会

鈴木満理奈(12外英、14言語学専攻)


<幹事>

金谷武明(95法法)、船津桂(06法国)、近藤暁(03法法)、湊陽介(19文哲)、中迫愛子(13国教)、鈴木満理奈(12外英、14言語学専攻)岩佐大樹(14済済)、菅原大介(04文新)、関本裕(17外英)、大仲萌湖(15社会福祉)、木目田優介(06済営)、磯貝映奈(19文新)、玉置千遥(20国教)、川嶋寿里亜(20国教)、早川梓(16独文)、原田捺未(16文哲)、江川友里絵(19国教)


<主催>ネオソフィアン


※各種ソフィア会「ネオソフィアン」は上智大学卒業生の出身学部・世代・立場を超えて、特に若手卒業生・現役生の有益な交流の機会を提供するべく、若手中心の異業種交流会など様々なイベントを定期的に開催しています。

※お申込みいただきましたみなさまに、今後のイベントをご案内させていただきたいと思いますので、ネオソフィアンのメーリングリストにも追加させていただきます。

※上智大学ソフィア会は、ソフィア会会員の個人情報(氏名、住所、メールアドレス、卒業年度、学部学科など、個人を特定できる情報)の適切な保護及び利用が非常に重要であると考えています。送信された個人情報は、ソフィア会会則にのっとった目的の範囲内において利用します。詳しくはソフィア会の個人情報保護方針をご覧ください。

活躍する若手ソフィアンをゲストに招いてのトーク・イベント「ネオソフィアン・ライブインタビュー」、第3回目のゲストは、三浦茜さん(旧姓 横尾茜さん)。元まぐまぐ社長、現在はサンフランシスコでアーリーステージの米国スタートアップ企業を支援するベンチャーキャピタル『Scrum Ventures』でマーケティングVPを務める三浦茜さんをゲストにお招きし、これまでの人生や現在のお仕事、そして将来の目標について深く掘り下げお話をお伺いしました。第一線で活躍するソフィアンの過去現在未来を深く掘り下げることで参加されるみなさんのキャリアや生き方について考える機会になればと思います。



ゲストスピーカーご紹介

三浦茜さん(横尾茜さん)


サンフランシスコ在住。アーリーステージの米国スタートアップ企業を支援するベンチャーキャピタル『Scrum Ventures』でマーケティングVPを務める。日経MJ「奔流eビジネス」に寄稿ほか、ライターとしても活動中。プロダクトハンターとして米国の新サービスやサンフランシスコ関連情報を自身のブログ「Be Magnetic!」やFacebookページ「プロダクトハンターあかねのネタ帳」にて発信している。


インタビュワー

  • 金谷武明(95法法)ネオソフィアン代表、グーグル株式会社勤務

  • 反後花美(アシスタント・独文3年)



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※ 写真左より

アシスタント/反後花美(仏文17卒予定)

インタビュワー/金谷武明(95法法卒)

ゲスト/三浦茜(01済営卒)



1. ~ 幼少期 ~



反後: まずは子供の頃のお話をお伺いします。子供の頃、どんな子供でしたか?


三浦: うっすらと覚えている記憶を辿ると、幼稚園の時に将来の夢を描くタイミングがあったんです。本当はケーキ屋さんになりたかったんですけど、他にもケーキ屋さんになりたい友達は沢山いて、他の人とかぶるのは嫌だったので、お金持ちって書いたんですよね(笑)。しかもソファに座ってお金をばらまいている絵を描いたりして(笑)。


金谷: そしてその夢が叶ったと(笑)。


三浦: いえいえ(笑)。全然ばらまけるようにはなってないですね。


金谷: でも今その夢に向かってサンフランシスコで頑張って...


三浦: (笑)


金谷: 違うんですね、はい、では次に行きましょう!


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2. ~ 上智大学 ~



反後: 上智に進学しようと思った理由は何ですか?


三浦: 私、田舎は山形で姉が二人いるんですけど、二人とも大学から東京に行っていたので、東京に行くんだろうな、と。やっぱ田舎者なんで東京行きたいじゃないですか(笑)。


上智、東京の真ん中だな、みたいな(笑)。


金谷: そんな理由なんですか(笑)。


三浦: はい、でも正直なところは、暗記系の科目が苦手で数学と国語が得意だったので、あと英語で受けられるところを探したら受けられるところが少なくて、3科目で受験できたのが主に上智だったんです。


金谷: 英数国の文系受験は僕も一緒ですね。選択肢が少ないというのは共感できますね。僕も上智は日程の結果選びましたから(笑)。きっかけはそんなものですよね。


反後: 上智大学に入ったあとはどんな感じでしたか?


三浦: 最初はゴルフサークルに入ろうと思ったんですけど、ゴルフクラブって20万とかするので、それならパソコン買おうかな、と思ってパソコン買ってしまいました(笑)。そしてゴルフサークルはやめてパソコンばっかりいじってました。ちょうどテレホーダイの時代ですね。


金谷: その時パソコンで何やってたんですか?


三浦: 全然建設的じゃないんですけど、チャットとか。


金谷: 23時まで待って、ネットに繋いで、ですね(笑)。

(ここでテレホーダイを解説)


三浦: あとはアルバイトですかねえ。まんが喫茶でバイトしてたんですよ。今みたいなブースが区切られたまんが喫茶ではなくて、もっと家族経営な感じの喫茶店の延長っぽいお店でした。あとは銀座のバーでバイトしてたり。


金谷: ずいぶん極端ですね(笑)。


三浦: でも隣に座ったりするような感じの店ではないので(笑)。


マンガは本当に好きで、就活でもマンガの編集に携わりたくて出版社をたくさん受けたくらい好きでした。


金谷: 他に上智大学時代のエピソードで覚えてるようなことはありますか?


三浦: そうですねえ、思い出せないんですよねえ。


金谷: 悪いことは忘れてしまうってことですかね(笑)。


三浦: それ、生きる上で大事なコツですね(笑)。


金谷: では無理に思い出させるのはやめて、次に行きたいと思います。


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3. ~ 就活 ~



反後: 就活についてお伺いします。私が来年いよいよ就活だなあという感じなんですが、どんなふうに進められたのでしょうか?


三浦: 就職氷河期でだったので興味ないところも沢山受けましたね。でも第一志望は出版社でした。一人暮らしで寂しい時に創作物に色々助けられたので、そういう創作のサポートができたら、と思って。漫画も大好きですし。漫画雑誌も出している出版社から内定をいただき、かなり悩んだのですが、結局違う会社に決めました。当時人気インターネットサービスだったまぐまぐというメルマガの会社です。2000年ごろはまだネット環境も整ってなかったので、インターネットは分単位でお金がかかるんです。だからメールで受信してオフラインで読むという時代だったんですよね。ネットで色んな方の創作を手伝うって面白そうだな、と興味を持って、新卒募集じゃなかったんですけど、新卒ですけどいいですか?と言って応募しました。


反後: 最近インターン、インターンってよく聞くんですけど、当時もインターンとかは普通だったんですか?


三浦: 当時はインターンってそんなに一般的ではなくて、わたしは内定頂いてから時間がある時にバイトという形で働いたりしました。


反後: それは役に立ったな、と思いますか?


三浦: そうですねえ、日本のネットバブルが弾ける前に立ち会えたのはバイトとして関わっていたからなので、それはやっていてよかったな、と思います。あのイケイケゴーゴーな空気を感じることができたので。


金谷: そういう場面に立ち会えるのって自分の努力だけじゃどうにもならないものなんですが、そういうタイミングと出会える運って大事ですよね。


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4. ~ 社会人になって ~



反後: それでは社会人になってからのお話に移りたいと思います。


金谷: まぐまぐに新卒で入られて、その後29歳で社長まで上りつめたわけじゃないですか。


三浦: 上りつめたわけじゃないですけど(笑)。


金谷: まあ自分ではなかなか、上りつめました、とは言いにくいですよね(笑)。でも実際どんなベンチャーでも創業メンバーとかでもなければなかなか20代で社長とかにはなれないですよね。というわけで、新卒入社から社長に上りつめた秘密に迫りたいと思います。


入社直後はどんなことをされてました?


三浦: 入社直後はオフィシャルのメールマガジンの編集だとか、あとオフィスというよりマンションの一室だったので、誰が掃除してくれるわけでもないので掃除したり、麦茶出したりしてました(笑)。


金谷: なるほど、割と目の前の事を普通にやっていた感じですかね。でもその後テレビに出たりとか不思議な展開になりますよね(笑)。その辺はどんな経緯だったんですか?


三浦: 電波少年って体当たり系のテレビ番組があったんですけど、それに出てました。たまたま会社の社長が制作会社の方と仲が良くて、制作の方がよく会社に遊びに来てたんです。わたしはお茶とか出すわけじゃないですか(笑)。それで仲良くなっていて、最近女子アナの募集してますよね、という話をしたら、出れば?みたいな展開になって。


CS110度の電波少年的放送局というチャンネルで、24時間スタジオにこもって生放送できる方を募集します、日給5万で、みたいな内容だったんですけど。


金谷: それで決まっちゃったんですか?


三浦: 一応オーディションもありました。一次は生放送で面接、二次は24時間生放送し続けて、視聴者のリモコンを使った投票で決まるような内容で。今思うと色々無謀ですが。わたしも若くて怖いものもなかったので、楽しそうだなーぐらいの感じで出ちゃったんですよね。


金谷: それで働きながらテレビに出てたんですか?


三浦: 実際は全然働いてなかったですけどね(笑)。会社のキャラクターをスタジオに持参して、広報活動ということにしてもらってました。広めのワンルームぐらいのスタジオなんですが、無人なんです。カメラが3つ4つあるけど無人。そのスタジオから生放送し続けないといけないので、トイレとシャワー以外はずっとカメラの前にいました。誰もいないのにカメラに向かって「おやすみなさい」と眠って、起きたらやっぱりそこには誰もいないんですけど、「おはようございます!」とカメラに話しかけたりして。でもやっぱりずっとカメラに囲まれてるのって普通じゃないんで、最後はちょっとノイローゼみたいになっていたと思います。最長で5日間ぶっ続けでスタジオにいました。


今考えると先進的な番組なんです(笑)。番組サイトに掲示版があって、そこに書いてあることをわたしがやったりとか、視聴者がリモコンを使って投票するとかインタラクティブな要素もあって。


金谷: それって親も見てるんですよね?


三浦: 親も見てましたねえ。テレビの力ってほんとすごいなって思ったのは、オーディションでテレビに一瞬映っただけなのに、色々各方面から電話がかかってきたみたいで、「あんた何やってるの!」って電話がかかってきました(苦笑)。でも親も視聴のために契約してくれました(笑)。


CS110度なので視聴するのにアンテナ設置や専用チューナーが必要だったので、視聴者は少なかったと思います。数千人くらいですかね。でもダイジェストを地上波で流してもらったり、深夜の生放送でも少し喋らせてもらったりしました。


金谷: それがどのくらい続いたんですか?


三浦: ほんとしんどかったんで、3ヶ月くらいでしたね。


金谷: 3ヶ月ですか。でも凄いですよね、3ヶ月間ずっとカメラに囲まれてるって考えると。


三浦: 正直ちょっと病んでたと思います。休みの日に家で寝てても、目が覚めた瞬間カメラに向かって「おはようございます」って言わなきゃ!みたいな感じになっちゃってて。それから結構ネットに書かれるんですよ、悪口を。自分が知らない人に嫌われるという貴重な経験をしました(笑)。メールアドレスもオープンにしてたので、応援メールがくる反面、クレームメールも来るし、好かれるより嫌われてるのが際立って見えたんですよね。


金谷: やっぱ気になって見ちゃうんですか?


三浦: 凄く疲れてるんだけど、やっぱり気になるから家に帰って最初にパソコンひらいて、自分へのクレームを見ちゃってました(笑)。「こいつが出てるから自分の好きな女の子が出れない」とか凄いバッシングされてて。


今思えば見なければいいんですけど、その当時はできなかったですね。でもまあ自分でもよくわからないところで嫌われることってあるんだなあというのは学びました。


今思うと凄くいい経験だったな、と思いますね。


金谷: 思えますか(笑)?今だったらまた出来るんじゃないですか?サンフランシスコで(笑)。


三浦: 今もブログを個人で書いていて、たまに嫌なコメントがついたりするんですけど、気にしないようにしています。


金谷: なるほどですね。それでまぐまぐに復帰したんですよね?仕事はどうしたんですか?


三浦: 3ヶ月ぶりに仕事に戻ったので、はっきり言って仕事がないんですよ。大学卒業して入った会社で、ちょっと自分はできているというか、ちょっといい気になっているところがあったと思うんですよね(笑)。人数も少なかったので自分が回している、というか。でも「ああ、わたしがいなくても会社は回るんだ」って当たり前のことで衝撃を受けて。


金谷: なるほど、自分がいなかったらこの会社回らないんじゃないかくらいに思ってたわけですね。


三浦: ほんとそうなんですよ(笑)図々しい。だから凄い衝撃だったんですよね。それで初めて自分の居場所は自分で作らないといけないな、と思いました。


金谷: それは大きな気づきになったわけですね。それでどうしたんですか?


三浦: それでまたトイレ掃除じゃないですけど、できることからはじめようと思いました。みんながやってる中で改善できることはなんだろう、と主体的に考えるようになって、広告部隊を立ち上げることになったりとか、色々積極的にやるようになりました。


金谷: そしてそこからは順調に...


三浦: はい、そこからはめっちゃ出世して(笑)。


金谷: 社長にまで上りつめ(笑)


三浦: 上りつめたわけじゃないんですけどね(笑)。


社長になった時は50人くらいの会社くらいになってました。一応外から人を連れてくるよりは、みんなも納得するだろうということで。

(※この辺の話は当時のインタビュー記事「表現者のためのプラットフォームを作りたい~まぐまぐ社長 横尾 茜氏(前編)」もぜひご覧ください!)

金谷: それで2009年に社長になられて、どんな感じだったんですか?


三浦: 当たり前ですけど、社長はやったことないんで、どうやっていいかわからないんですよね。

だから恥ずかしいんですけど、色んな社長の本を読んだりとかして、でも結局どこにも答えはないわけで、ちょっとハゲたりとかしながら。


金谷: ハゲたんですか(笑)。


三浦: はい(笑)。なんか必死に頑張ったんですけどね。一応会社は成長傾向ではあったんですが、さらに着実に成長しなければいけないですし、諸々その他の事情もあり、自分にはこの役はつとまらないなと。


金谷: それで退職に至るわけですね。そして初めての転職。


三浦: はい。


金谷: その後Benesseに転職されるわけですが、そこの話は時間の関係もあるのでほとんど飛ばしてサンフランシスコの話に行っちゃおうと思うんですが、いいですか?


三浦: はい(笑)。


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5. ~ サンフランシスコに移って ~




金谷: 渡米のきっかけはなんだったんですか?


三浦: きっかけは結婚ですね。旦那さんがサンフランシスコに住んでるんで引っ越すことになりました。


反後:現在のお仕事はどのような感じですか?


三浦: 今はサンフランシスコのScrum Venturesというベンチャーキャピタルで働いてます。私の上司で創業者の宮田さんは日本人で、Scrumは主に日本の企業や個人の方からファンドのお金を集めてアメリカのスタートアップに投資をしています。ファンドに出資しているのが主に日本の方なので、私は日本向けのマーケティングを担当しています。日本の方にとって「シリコンバレーのベンチャーキャピタルといえば、Scrum Ventures」となることが私のミッションの一つです。自社ブログでシリコンバレーの情報発信をしたり、今日もやってきたんですけど、シリコンバレーの最近のトレンドをシェアする勉強会を企画したりしています。


金谷: なるほど、今日はそんなことをしてたんですね。ご自身でもブログやられてますよね?ブログも情報のセンスというか、面白いサービスをピックアップするなあと思って見てるんですが、その辺のセンスって持って生まれたものですか?


三浦: 個人のブログではアメリカの新サービスやプロダクトを試したレポートをかいたりしています。色んなサービス試すのが好きなんですよね。そして、その裏側のビジネスモデルがどうなってるのか、というのも興味があるんです。自分も一応社長やって経営者だったので、やっぱりそういったことは興味があって。Benesseにいた時も、新規事業を企画したりしてたので、日本にいた時の自分が欲しかったような情報を今自分が発信してる、という感じです。ターゲットは自分(笑)。


金谷: なるほど、それは面白いですね(笑)。


普段はマーケティングのVPとしてどんなことをしてるんですか?

サンフランシスコのベンチャーキャピタルの日本担当マーケティングVPがどんなことをしているのか、みんな興味あると思います。


三浦: そうですねえ、結構こまごまとした仕事してますよ。フェイスブックでターゲットオーディエンスに向けて情報を発信していくとか、毎月勉強会を開催して企業の投資担当の方に来ていただくのもそうだし、インダストリアルレポートなんかも作ったりしています。今はVRのレポートを作ってるところです。。VRとはこれからこんな分野への導入が見込まれていて、アメリカにはこんなスタートアップがありますよ、こんな会社が大規模な資金調達をしていて人気ですよとかそういったレポートを作ったりしています。


金谷: いつか投資の方に行きたいな、というお気持ちもあるんですか?


三浦: そうですねえ、わたしやっぱり英語がまだまだなんですよね。でもやっぱり投資できたら面白いだろうな、と現場を見てると思いますね。


金谷: 英語は結構勉強してますか?


三浦: 仕事の後に発音の学校行ったりとか。移民が多い街なので社会人向けの英語の学校とかもあったりするので。


金谷: なるほど。僕は、今、三浦さんが何に興味あるのか、に興味あるんですよね。

というのも、学生時代はどちらかというと意識低い学生だったと思いますし(ごめんなさい!)、スタート時にそんな高い野望を持っていた感じでもないと思うんですが、その都度その都度色々経験から学習して、その時代にあった次の目標を見出して成長してきてると思うんですよね。なので次の5年後くらいどうなるのかを楽しみにしてるんですよね。


三浦: でもまあ気張らず。


反後: これからの夢とかってあるんですか?


三浦: 夢とかってあんまなくって...あんまり欲もないんですよね。

頑張るのが嫌いなわけじゃないんですけど、社長をやっていた時に頑張りすぎたっというのがあって、日本にいると頑張ることが美学、というところがあると思うんですが、やめる決断というのも大事だと思うんですよね。とはいえのほほんとずっと寝てたいわけではないんですが、ずっと笑顔でいられるようにはしていたいな、と思います。


それから毎年新しいことに一個でもチャレンジできれば、と思っています。

今年は少し人前で話せるようになるといいなあと思っていて、実は話すのが苦手でこれまでお話を頂いても断ってきたんですけど、今回はチャレンジしてみました。そうやって少しずつでも成長していきたいな、と。


金谷: でも全然話すのが苦手って感じでもないですよね?


三浦: お二方にいい雰囲気を作っていただいたので(笑)。


金谷: ありがとうございます(笑)。さて、だいたい予定の時間になってしまいましたが、

僕としては子供の頃のお金持ちになるっていう夢をね(笑)、忘れないで、そういうイメージで、今後も何か面白いことを追いかけ続けていただければと思います。


最後になにかメッセージなどありますか?


三浦: 今日は学生の方が多いと思っていたんですが、むしろ少なかったですね(笑)。

なんか、のほほんとしてるように聞こえたかもしれないですが、20代の頃は悩んでいたと思います。凄い、何者かになりたかったんですよね。それで答えを求めるんですけど、でも答えなんてないじゃないですか。それに気づくのに20代を費やした感じしますね。本とかもめっちゃ読みましたけど、正解なんてないわけですよね。でも学校の延長じゃないですけど、答えを探しちゃうんですよ。でも今は自分は自分じゃんって思えるようになって、30代は楽しく過ごせたので、30代は楽しいですよ、ということもお伝えしたいと思います。


金谷: でもほんとハゲができるくらい悩んだ20代があったからこそ、ですよね(笑)。

ぜひこの話の続きをお伺いしたいと思いますので、ぜひまたお越しください!


三浦: はい!



6. ~ インタビューを終えての感想 ~



三浦: 人前で話すのは本当に避けていたので、とても貴重な経験になりました。その後、ラジオの生放送に出ることになったり、テレビ番組でガイド役をやらせてもらったりという機会も舞い込んできたので、今年はしゃべる運があるようです。普段から過去より今が一番でいたいと思っているので、あまり過去をふりかえることはないのですが、今回このライブセッションを通じて自分の過去を見直すよいきっかけになりました。過去の私、結構攻めてたなーと思い出し、自分にとっても刺激になりました。ありがとうございました!


反後: ベンチャーキャピタルのマーケティングVPだということで、難しい話が多くなるのではないかと思いましたが、茜さんはとても明るくて気さくな方で、楽しくお話が聴けました!のほほんとしているようで悩んでいたという、20代のころに共感を覚えました。


金谷: 三浦さん、お忙しい中今回のオファーを受けていただき、ありがとうございました!三浦さんと知り合って何年も経ちますが、まぐまぐ時代の話やサンフランシスコに行ってしまった後の話など知らないことが沢山あり、また、実際とてもユニークな経験をされていて、聞いていて面白かったですね。凄く野望を持って生きてきたというよりは、今目の前で関心のあることにチャレンジしていった積み重ねがしっかりと今に生きている感じで、きっと多くの方の参考になるんじゃないかと思います。サンフランシスコでの今後の展開、楽しみにしています。また来てください!




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三浦茜さん、来日中の貴重なお時間をいただき、ありがとうございました!


ネオソフィアンではソフィアン全員が垣根なく交流でき、上智大学全体を盛り上げられるようなイベントを行っております。

また、引き続き各界で活躍するソフィアンにスポットライトを当てたトークイベントを行ってまいりますのでぜひご注目ください。


※過去のトークイベントは下記リンクよりご覧ください。

http://www.sophiakai.jp/blog/jisedai/cat3/live-interview/


<主催> ネオソフィアン


活躍する若手ソフィアンをゲストに招いてのトーク・イベント「ネオソフィアン・ライブインタビュー」、第3回目のゲストは、三浦茜さん(旧姓 横尾茜さん)。元まぐまぐ社長、現在はサンフランシスコでアーリーステージの米国スタートアップ企業を支援するベンチャーキャピタル『Scrum Ventures』でマーケティングVPを務める三浦茜さんをゲストにお招きし、これまでの人生や現在のお仕事、そして将来の目標について深く掘り下げます。第一線で活躍するソフィアンの過去現在未来を深く掘り下げることで参加されるみなさんのキャリアや生き方について考える機会になればと思います。


イベント詳細

【日 時】2016年4月27日(水)19時30分開始(19時開場)

【場 所】六本木(詳細は参加される方に個別にご連絡します)

【ゲスト】三浦茜(01済営)

【インタビュワー】金谷武明(95法法)、反後花美(アシスタント・独文3年)

【料 金】無料

【対 象】上智大学現役生、卒業生、教職員の方。

(一部上智関係者以外の方向けにもチケットはご用意します)

【当日の流れ】

 19:00:開場

 19:15 - 19:30:周りの方との名刺交換・自己紹介タイム

 19:30 - 20:30:ライブインタビュー

 20:30 - 21:00:グループセッション

 21:00 - 21:30:Q&A

 21:30:終了


お申し込みはこちらから



ゲストスピーカーご紹介

三浦茜さん(横尾茜さん)


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サンフランシスコ在住。アーリーステージの米国スタートアップ企業を支援するベンチャーキャピタル『Scrum Ventures』でマーケティングVPを務める。日経MJ「奔流eビジネス」に寄稿ほか、ライターとしても活動中。米国の新サービスやサンフランシスコ関連情報を「Be Magnetic!」にて発信している。




インタビュワー

  • 金谷武明(95法法)ネオソフィアン代表

  • 反後花美(アシスタント・独文3年)


反後花美さん

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<幹事> 金谷武明(95法法)、関本裕 (外英17年卒予定)、中尾 優妙(16国教)

<主催> ネオソフィアン

<協力> 撮影 原田捺未(上智大学写真部)



ネオソフィアン・ライブインタビューのバックナンバーはリンク先からご覧ください。

※当日は時間通りご来場ください。定刻を過ぎますと入館に時間がかかる場合がありますのでご了承ください。

※当日のキャンセルや連絡なく欠席された場合は今後のイベントへの参加をお断りする場合もあります。

※各種ソフィア会「ネオソフィアン」は上智大学卒業生の出身学部・世代・立場を超えて、特に若手卒業生・現役生の有益な交流の機会を提供するべく、若手中心の異業種交流会など様々なイベントを定期的に開催しています。

※お申込みいただきましたみなさまに、今後のイベントをご案内させていただきたいと思いますので、ネオソフィアンのメーリングリストにも追加させていただきます。

※上智大学ソフィア会は、ソフィア会会員の個人情報(氏名、住所、メールアドレス、卒業年度、学部学科など、個人を特定できる情報)の適切な保護及び利用が非常に重要であると考えています。送信された個人情報は、ソフィア会会則にのっとった目的の範囲内において利用します。詳しくはソフィア会の個人情報保護方針をご覧ください。


ブログをご覧の皆様、こんにちは!
2015日10月16日、ネオソフィアンでは恒例の上智OG/OBによるトークイベントを開催いたしました。
今回は、多岐に渡りご活躍されるお二人のソフィアンに主に学生時代や現在までの経験談をお話しいただきました。
様々なご経験をされている二人ならではの人生経験や就職活動のお話しは必見です!

それでは当日の様子をお楽しみください♪



ネオソフィアン・ライブインタビューvol.02


玉谷祥子(LITALICO) × 菅原大介(LUXA)「Life with Social ソーシャルなライフワークを楽しむ!」

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※ 写真左より
アシスタント/反後花美(仏文17卒予定)
インタビュワー/金谷武明(法法95卒)
ゲスト/玉谷祥子(総社12卒)
ゲスト/菅原大介(文新04卒)

活躍する若手ソフィアンをゲストに招いてのトーク・イベント「ネオソフィアン・ライブインタビュー」、第2回目のゲストは、発達障害のある子ども向けの教育事業などを手がけるLITALICOの玉谷祥子さん(12総社)と、複数の企業で新規事業のプロデュースを担当する傍ら、子どもへの教育をテーマに社会貢献活動を行っている菅原大介さん(04文新)。20代前半にして事業部の全体統括や新規事業立ち上げを経験し、新卒入社した会社で教育事業に取り組む玉谷さんと、会社の業務とは別にライフワークとして社会貢献活動を行う菅原さん。異なるスタンスでソーシャルというフィールドで活躍する2人の若手ソフィアンからお話を伺います。

お二人がどのような経緯でソーシャルビジネスや社会貢献活動に興味を持ったのか、どんな学生時代を過ごしてきたのか、そして現在どのような社会問題に取り組んでいて将来どのような夢をお持ちなのか。第一線で活躍するソフィアンの過去現在未来を深く掘り下げることで参加されるみなさんのキャリアや生き方について色々考える機会になればと思います。




金谷: 今日は、障害のある方の支援を軸に事業を展開するLITALICOで活躍されている玉谷さんと、ご自身の仕事とは別に自分の時間を使って社会貢献をされている菅原さんというこのお二方の取り組み方の対比を中心に話を進めていきたいと思います。基本的には、取り組んでいらっしゃる事業内容の話をしてもらうのではなく、その人の人物像に焦点を当てて進めていきたいと思っています。お二人がどのようにして今の心境に至ったのか、そこを掘り下げていきたいと思います。

1. ~ 高校時代 ~


反後: はじめにお二人の原点についてお伺いしたいと思います。まずは高校の頃はどのような学生生活を過ごされていたのでしょうか。今の心境に至る何かきっかけやエピソードなどはありますか?

玉谷: はい。私の出身は石川県金沢市で、金沢大学附属の学校に、小学校から高校まで通っていました。そこはいわゆる進学校で、高校では学年の三分の一近くが医学部進学を希望、それ以外は東大京大を目指して当たり前、というような学校でした。私はというと、勉強自体は嫌いではなかったので、周りの環境の影響もあり、東大を目指そう!と受験勉強に励んでいました。でも、受験にあっさり落ちまして(笑)、その当時の私の目の前には「東大合格」という目標しかなかったため、かなり落ち込みました。そこで、当時お世話になっていた塾の先生に「浪人しようかと思って・・・」と相談に行ったところ、「きっとお前には、大きな使命があるはずだ。東大に行かなければできないことなんてないから、早く社会に出て、その使命を探しておいで。」と言われたんですね。そしてその時、ビジネス書を10冊くらい推薦してくださいまして、それらを一気に購入しました。たとえば、神田昌典さんの『成功者の告白』や、本田健さんの『ユダヤ人大富豪の教え』だったり。それらを読んだとき、初めて「ビジネス」という世界があることを知ったんですね。それまで、医学部進学や東大に行く、というところまでしか選択肢を知らなかった田舎の女子高生でしたから、とても衝撃的でした。「こんなに面白そうな世界があるんだ」と感化され、「この世界だったら、自分に合うかもしれない。自分の使命があるかもしれない」という裏付けのない自信を得て(笑)、まずは大学に進学して、ビジネスの世界に飛び込んでみようと考え、進路を決めました。

金谷: ありがとうございます。とにかく、「勉強が嫌いじゃなかったんで」という発言がすごいなと思いました(笑)。僕は嫌いでしかなかったので。

玉谷: 実は秘密があってですね。その金沢大学附属の小学校に入るとき、受験をしているんです。ですから、幼稚園からずっと塾へ通っていたのですが、その塾では毎週プリントが5枚くらい配られて、それを解いて丸付けをしてもらう、というような形で教えてもらっていたんですね。で、そのプリントで100点を取ったら、お小遣いが1,000円もらえる、という制度を祖父が発案してくれまして(笑)。

金谷: なるほど(笑)。

玉谷: で、がんばるわけですよ。1,000円って、結構嬉しいじゃないですか。私の母はいわゆる教育熱心な母親ではなくて、受験勉強も祖母の影響で始めたくらいでしたが、そんな母も私がプリントで100点を取ったら「さっちゃん、すごいね!」と褒めてくれて。100点取ったら、おじいちゃんからお小遣いもらって、母とクレープを食べにいく。で、「さっちゃん、すごいね。美味しいね。」と(笑)

金谷: 要約すると、やっぱり世の中カネだ、と(笑)。

玉谷: いやいや、そういうことではないです(笑)。当時はゲーム感覚で取り組んでいたんだと思います。だから楽しく勉強できました。

金谷: ごめんなさい(笑)。いや、いい話ですね。話を戻しますと、東大を受験されて、ダメだったと。でも塾の先生に進学を勧められて大学へ進学することになったのだと思いますが、どのような理由で上智に進学しようと決断されたのですか?

玉谷: 受験した当時、私立の早稲田や、理系だったので理科大なども受かっていたのですけど、その中でも上智を選んだ理由は、社会学という学問に惹かれて選んでみました。

金谷: 色々なところに受かっていたんですね。でもその中でなぜ上智なのか疑問が残ります。もう少し詳しく聞いていいですか。なぜその中で上智を選んだのか。

玉谷: 高校では数学や物理が好きで理系を選択していたんですが、きっとやりたいことは文系に近いだろうなと思っていて。この性格・キャラクターで、試験管ふったりデータ解析しているイメージが、全く沸かなかったといいますか。東大を受けたのも3年生から文転したいと思って受けていました。上智は社会学科を数学で受験することができ、ちょうど文系と理系の間くらいの立ち位置の学問と認識していたため、どっちに転んでも自分の興味関心に近いことが学べるなと思って選びました。

金谷: ありがとうございます。それでは、次に菅原さんの高校生時代を教えてください。

菅原: はい。高校は横浜市立南高校というところを出ていて、市立校なのですが、卒業後に中高一貫化したことで話題になった人気校です。公立校にしては珍しく、野球のスタジアムがあったり、病院のようにエレベータがついていたり、プラネタリウムがあったりと、結構リッチな校舎を持っていて、部活もすごく盛んでした。中学の時に文化祭実行委員会に所属していたので、高校でも何か委員会活動をやりたいなと思っていました。生徒会という中心的な組織には向いていない性格なので、学内広報紙を作る委員会に入って委員長をやっていました。その中で各部活の人にアンケートを取って分析をしたり、特集の企画を立てたりそういうことを自主的にやっていたので、今のマーケティングの仕事に通ずるものがありますね。あと高校といえば、ひとつ忘れられないのが、市立南高校を受験するときのことです。僕からすれば少しレベルが上の学校だったんですね。で、どうしようかなと思っていたところ、一つ下のランクの高校がボランティアを必修義務化にしていまして、当時「ボランティアなんて絶対にやりたくない」と思って、そういう経緯もあって市立南高校を志望したことを今でもすごく覚えています。今はプライベートの時間を割いてまでボランティアをやっている自分からすれば、それはすごく面白い 変わりようだと感じています。

金谷: 人は変わる、と(笑)。高校受験であれほど嫌だったボランティアを今していると。まあでもそれは成長ですよね。その後大学へ進学して社会人になって色々思うところがあって。その辺はまた掘り下げて聞いていきますが、菅原さんの場合はなぜ上智を選んだのですか。

菅原: 僕は新聞学科に進学したのですが、当時ジャーナリズムにすごく関心を持っていました。で、僕が卒業する当時は少年犯罪が結構ニュースに取り上げられることが多くて。報道を見ていて、被害者側がクローズアップされるのは当然ですが、加害者側もやっぱり人生があって、 どんな原因を抱えてそうなってしまったのかをジャーナリズムの視点から追っていきたいと思いました。もともと「子ども」と「教育」が自分の中の生涯の関心テーマだと決めていたので、その観点もあって上智の新聞を選びました。

金谷: ありがとうございます。それでは上智時代の話に移りたいと思います。


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2. ~ 大学時代 ~


反後: それでは、大学時代のお話をお願いします。

金谷: いざ、色々な思いを抱えて大学に入学しました、と。実際のところ、高校時代に抱いていた思いは、上智に入ってから実際に活動などに繋がったのか、逆に入ってみたら全然違った、などのエピソードはありますか。では、菅原さんから。

菅原: 大学入学後、僕はソフィア祭実行委員会に入りました。例によって、中学・高校と委員会をやってきたので、大学でも委員会をやりたいなと思いまして。それで、フレマン期間中にソ実の部室を訪ねて行ったときにすごく雰囲気が良くて。企画もできるし、運営もやりがいがありそうだと。ソ実の先輩が誘ってくれたということもあり、自分もやってみたいなと思いました。

金谷: 中学、高校と委員会をやってきて、その流れで大学でも、ということですね。もともと文化祭みたいにみんなで何かひとつのものを作り上げるというところに興味があったということですよね。

菅原: そうですね。企画をするとか何かを調べる、みたいなのがすごく好きで。

金谷: なるほど。先ほどおっしゃられていた、少年犯罪の加害者被害者に対する意識っていうのも、それはそれで別に研究を進めたりはしたのですか。

菅原: もし上智に進学できなければ別の大学で心理学のような勉強をしたいとは思っていました。

金谷: 入ってからは特になかったですか。どちらかというと、ソ実の活動がメインだったという。

菅原: そうですね。

金谷: なるほど。ありがとうございます。玉谷さん、いかがでしょう。

玉谷: 先ほど、私が大学入学前にビジネス書をたくさん読んで、「ビジネスにチャレンジしてみるぞ!」と意気込んでいた話をしたと思うのですが、入学してからも引き続きその思いは持っておりまして。とはいえ、上京したばかりで一人暮らしも初めて、何もかもわからないような状態だったため、まずはビジネスの世界に飛び込めるコミュニティに入ろうと考えました。そこで出会ったのがOVALという学生団体です。日本・中国・韓国の学生を数百人集めてビジネスコンテストを開催する、という活動を1年半くらいやっていました。その活動を通し、様々な起業家や経営者とお会いする機会があり、そういう方々からお話しを伺う度刺激を受け、やっぱりこの世界でチャレンジしたい!という想いが強くなっていきました。
一方、社会学は社会学で、勉強してみるとすごく面白くて。少子高齢化や環境問題など、様々な社会課題を社会学的な視点から紐解いていく作業が面白くて、結構はまっていったんですね。
宮台真司さんという社会学者の方がいるんですけど、その方の本がすごく面白く感銘を受け、講演会に足を運んだことがありました。講演のあと宮台先生のところに駆けて行って、「宮台先生のところで、勉強がしたいです!」って言ったら、「じゃあ来週からうちのゼミおいでよ」って言っていただいて。それからは他大学で開催されている宮台ゼミに毎週通って、上智での勉強よりもそちらのゼミでの勉強の方が中心になっていきました。

金谷: その行動力ってすごいですね。実際他の大学のゼミにいきたいって思っても、まあ思うことはあると思うんですよ、でも本当に行くかって言うと、実際は行かないですよね(笑)。行かないし、実際いいよって言われても行けないし。ということは、上智での活動はあまりなかったんですかね。

玉谷: そうですね。学内での活動はあまりした覚えがなくて。先ほど申し上げたOVALというインカレの学生団体の活動と、学外のゼミへ通うことが学生生活の中心でしたね。

金谷: 話を伺っていると、常に視点が外へ向いているという印象を受けました。上智のいいところのひとつだと思うんですけど、上智の中で閉じてしまうこともできるじゃないですか。上智の人とだけ付き合って。たとえば六大学みたいな形での学外とのつながりも少ないので。そういう意味では、外への視点を持って活動していたのは、きっと玉谷さんのその後の人生に大きく関わっているんじゃないかと思います。それでは、次のトピックに行きたいと思います。

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3. ~ 就職活動について ~


反後: 次のテーマは、私が伺いたいことなんですけれども、私はいま現役の2年生でして、そろそろ就活を意識しなければなと思っているのですが、漠然とした焦りのようなものしかなくて、自分のやりたいことというのも特に決めることができない状態にあります。お二方は、どのように就活を始められて、どういった就活を送られたのかお聞きしたいです。

玉谷: 私は社会学を勉強するにつれて、こういった社会課題を解決できる人間になりたい!という想いが強くなっていきました。その頃学外のゼミなどで、社会学者や研究員の方とお話をする機会もあり、こういう道もいいかもしれない、と思ったこともありました。でも、そういった研究者の方たちの頭の良さに到底自分は及ばないと実感した、ということに加え、「研究」で止まってしまうことへの歯がゆさを感じていました。「この社会課題は、こういう背景要因で起きている。だから、こういう制度があったらいいのではないか」と、現状分析をしたり未来へ示唆を出すところまでは、自分よりもはるかに頭の良い研究者の方たちがやってくれるだろうと。じゃあ、自分はどこがやりたいのか?と自問自答してみると、実際に自分の手で、社会をしっかりと変えていけるような仕組みを作っていくところをやってみたい、と考えるようになったのです。ちょうどその頃、アメリカでソーシャルビジネスが流行ってきているという話を聞いて、実際調べてみると、"Teach for America"をはじめ、様々なムーブメントが沸き起こっていることがわかりました。「社会課題を解決したい」という思いと、「ビジネスにチャレンジしたい」という高校生からの思い。これがちょうど合わさった夢の様な形を見つけられた!と思って、とても嬉しかったのを覚えています。

金谷: ちなみに、そういった意識は他の大学のゼミに参加している中で育まれたものですか。

玉谷: そうですね。

金谷: 上智の中ではどうしていたのですか。

玉谷: 上智の中でもゼミに所属していました。社会学の中で色々な分野をかじりながら、勉強していました。

金谷: なるほど。僕も大学院に通っていた時に、アカデミックな場における研究って仕事の現場と随分違うんだなあと改めて感じましたね。自分もやっぱり現場の仕事とアカデミックに研究するのとどっちがいいかっていうと、現場がいいなあと思ったりして。もちろんどっちが良い悪いではなく、向き不向きで。ただ僕がそのことを意識したのは、43歳になった今年、去年くらいなんですけどね(笑)。玉谷さんはそのことに20歳くらいのときに気付いたと。

玉谷: そうですね。向き不向きの問題で言っても、自分はあんなにずっと研究していられない性格だなと思っていて。浮気症といいますか、いろいろなことに興味関心が移るので、現場でいろいろな分野に携わる形が合うかもしれない、と思ったことも大きいです。

金谷: 就活はその方向でやっていったのですか。

玉谷: 当時2010年くらいで、ソーシャルビジネスを日本でやっているところがないか探してみたんですが、実際なくて。NPOも探したんですけど、経済的な面がひっかかり、すぐには飛び込めませんでした。いろいろ考えた結果、3〜5年スパンで、自分がやりたい・解決したい!と思えるテーマに出会ったとき、自分が主体となって解決できるような土台の力をファーストキャリアで築こうと思いました。ですから、就活の軸は、「自分がいかに短期間で成長できるか」というところ。具体的にはIT系のベンチャーを中心に就活をし、ぎりぎりまでDeNAさんに行くつもりでいました。

金谷: でも最終的には今のLITALICOに就職することにしたと。実際、決め手はなんだったんですか。

玉谷: 決め手は、2011年の震災ですね。そのとき東京にいて、身は無事だったのですが、生まれてはじめて、自分や大切な人の死を最も近くで感じた経験でした。実際、非常に多くの方が一瞬のうちに亡くなられる光景を目の当たりにし、考えが変わりました。
それまでは、自分のキャリアが今後50年、60年続くと思っていたので、その中のファーストキャリアの5〜6年は、自分の力を蓄えるため、とにかく自分の成長機会として過ごせればいいかなと思っていたんですね。ただ、あの震災を経験してしまうと、前提にあった50年、60年というキャリアが、ある日突然無くなることもありうるんだなと思って。今日、この一瞬も後悔しないよう、自分が本当に興味のある事業をやろう、と考えるようになりました。
そこで当時内定をいただいていたLITALICO(旧ウィングル)に連絡。現在1,300名ほど社員がいる会社が、当時は従業員が100名程という規模でしたが、そこだったら自分の想いに近しいことができるんじゃないかと考え、震災の3日後くらいからその会社でインターンシップを始めたんですね。そこからそのまま働き始めました。

金谷: DeNAというのは当時ソーシャルゲームの世界では本当に勢いがあって、そこに受かって、その内定を蹴るっていうのは相当周りから反対があったんじゃないかと思うのですが。

玉谷: そうですね。DeNAさんでは非常に優秀で素敵な方にたくさん出会い惹かれていたため、心苦しい気持ちが強かったです。当時のメンターさんからもご連絡をいただいたり、家族からも全く名前も知らない会社に行くことに対して、そんな早まった決断をするのではない!と言われました。
他にもメガベンチャー等から内定を頂いていたのですが、祖父からは「球団を持っているような会社はなかなか潰れないから、絶対そこに行った方がいい」と力説をされまして(笑)。それに障害のある方の支援をする会社だったので、親や祖父母世代からすればただただ大変というイメージもあったようで、当初は理解してもらえませんでした。

金谷: それはどう説得したんですか。それとも説得はしなかったんですか。

玉谷: あんまり、聞かなかったですね(笑)。でも、インターンを始めてから、私がとてもイキイキとしていることが家族にも伝わったようで。「そんなに楽しそうなら、幸せそうなら、全力でやっておいで」と、今ではとても応援してくれています。

金谷: なるほど。では次は菅原さんにお聞きしましょう。新卒の1社目ってどちらでしたっけ。

菅原: 出版社の学研に就職しました。

金谷: そこに至るまでの就活のエピソードをお願いします。

菅原: 自分の生涯のテーマが「子ども」と「教育」だったので、まず新卒で学研に入り、幼児教育の部門に希望通り配属されました。そこでは幼稚園・保育園をクライアントとして、幼児教材や絵本などの教材や遊具、園服などの商材を取り扱う企画と営業の両方をやるような仕事をしていました。なので、やりたいことを仕事にできていました。

金谷: それはその分野に絞って就活していたのですか?

菅原: そうですね、「子ども」と「教育」に絞って、他は玩具とかプロダクションとかそういった業界をいくつか受けていて、その中で学研はちょうど上智の先輩が編集職で入っていてその方にお話を聞いたりしていて、これはなかなか面白そうだなというご縁はありました。

金谷: 話を伺っているとやりたいことや方向性がしっかり決まっていたんだな、と感じました。では、やりたいことが決まって絞っていれば就活は上手くいくのかといえば、そうでもないじゃないですか。絞った上で何らかの準備が必要だと思うのですが、自分の関心に対する裏付けというのは何かあったんですか。

菅原: それはもしかしたら、学生生活の間にソ実で活動した経験がよかったのかなと思っています。学生の内から企画とか運営とかに携わって、実践的にやれていたので。それから当時は上智から学研に毎年1人くらい採用がかかっていたので、その先輩たちの信用力というのもあったと思います。

金谷: なるほど。玉谷さんはどうですか。

玉谷: それに関して私は、就活は恋愛や結婚と同じだと思っていて(笑)着飾った状態で会うと本当の相性って見えにくいし、それにいくらごまかしても、いつかは本当の自分が見透かされるとも思っていました。人事の方たちの目利きは、学生の"ごまかし"を容易く超えると思っていて。ですから、自分の考えや性格をそのまま伝えるということをすごく大切にしていました。その上で、いいなと思ってくれる企業さんと出会えたらいいな、と。某ゲーム会社さんでは、最初の面接から最終面接まで一貫して、「私はゲームが苦手だし、日頃やりません。だけど、なんか成長できそうだから来ました。」みたいなことを最初から最後までお伝えしていて。今思うととんでもなく失礼な奴ですけど、それでも何かしら「合いそうだ」と思っていただいて内定を頂いているので、だったら楽しく働けるかなと思って。

金谷: それはすごい勇気ですよね。普通は好きじゃなくても好きですって言って面接に臨みますよね(笑)。それでも嫌いですと。

玉谷: そうですね。すごい嫌な学生に見えたかもしれないですけど(笑)。でも思っていることは率直にお伝えするようにしていました。


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参加者同士の交流タイムを兼ねたグループディスカッションタイムの様子


4. ~ 社会人になってから ~


金谷: なるほど。反後さん、どうですか、参考になりましたか。

反後: はい。すごくとても興味深いお話でした。それでは、社会人になった頃について伺いたいと思います。

金谷: ここからはもう少し踏み込んだ話をしていきたいと思います。お二人のキャリアのポイントは結構違うと思うのですが、菅原さんは転職を経ながら自身のキャリアアップを果たされていて、その中で自分のやりたいことは仕事だけじゃなくて、仕事以外の時間を使って色々自己実現されていると。一方玉谷さんは、自身の会社を自分が成長できるという視点で選んでいると思うんですけど、実際仕事の中で社会問題に取り組んでいて、新卒1年目から新規事業の立ち上げに携わっているんですよね。

玉谷: そうですね。私が入社を決めたタイミングでは、まだ成人の方の就職支援の事業しかやっていませんでした。でもそこから、発達障害のある子ども向けの教育事業や、子どもにプログラミングやデザインを教える教室等を展開して。会社が急成長するタイミングでしたので、新規店舗の立ち上げやその店舗の教室長やエリアマネージャーも歴任させていただき、時には教材を作る部署を立ち上げたりもしました。新卒で入社後の3年間は、ひたすら「立ち上げ屋さん」でしたね。4ヵ月以上同じところにいたことがありませんでした(笑)。

金谷: 本当にベンチャー企業が成長するいいタイミングで入社して、拡大するときに色々な経験ができたんですね。そういう運というか、タイミングって本当に大事ですよね。それでは、菅原さん、話は戻りますが、ご自身が社会貢献のボランティアに取り組み始めたきっかけは何でしょうか。20代って仕事も忙しいので自分の時間ってなかなかできないんじゃないかと思うのですが。

菅原: 学研で幼児教育の担当をした後に、いったん教育の分野からは離れて、「職種」を大切にしようと思うようになりました。それで、インターネットリサーチのマクロミルという企業に、当時は200名くらいの規模の時に転職しました。そのあとぐるなびの中で事業企画の仕事をさせてもらって、そこで自分は特務機関的なスタイルで仕事をこなすことが合っていることを発見しました。会社が抱えている様々な事業課題に対して、マーケティングをベースに解決提案をしていました。そうこうしているうちに、僕はこのタイミングで震災を迎えて、このとき「もう一度子どもの役に立つことをやりたい」と思い、ただ仕事(職種)は変えずにやる方法はないか思案していました。 当時、上智のキャリアセンターが主催する現役生向け就活 イベントにOBとして呼んでもらう機会があり、同じくゲストで呼ばれていたある先輩に自分自身のライフデザインについて相談したことがひとつのきっかけとなりました。当時のボランティアといえば、被災地に行ってがれきを撤去することがメインだったのですが、東京にいて本質的に子どもたちと関われる方法はないかと打ち明けると、「今度TEDxKidsというイベントをやるんだよ」ということを伺い、それに参加したのが今の活動の原点になっています。

金谷: その後も働き方を変えていますが、仕事自体は子どもにかかわるものではないですよね。あえて仕事にしないことになにかポリシーがあるのですか。

菅原: もちろん、業種と職種が絡み合っていればベストです。 でも、なかなかそれって難しいなと思ったんです。特に教育の分野は、割と昔ながらの古めかしい業界の気質が根付いていて、そういうものが自分とは合わなかったんです。僕自身、特務機関的に「この課題を解決してくれ」という依頼を受けて新規事業を開拓していくスタイルが持ち味なので、文化的な壁や会社内での壁が邪魔に感じるようなときがあったので。

金谷: 話を伺っていて、ご自身に合った働き方をすごく理解されているのだと感じました。では、実際にお二人が取り組まれている活動というのは具体的にどういう内容なのでしょうか。玉谷さんからお願いします。

玉谷: 私は障がいのあるお子様向けの塾の立ち上げに携わっていたと申し上げたと思うのですが、障がいのあるお子様たちがもっと自分らしく生きられるような世の中にしていくために、お子様の支援をさせていただいていました。2014年の秋くらいから転機がありまして、インターネット事業を会社としてしっかり立ち上げることになり、そこにジョインすることになりました。それまで3年間、リアルな店舗の現場をずっとみていたので、私にとってはとても新しく、わくわくするチャレンジです。現在は、Conobieという子育て中のママ・パパに向けた育児メディアを運営しています。


金谷: ありがとうございます。菅原さんはどうですか。

菅原: ボランティア活動では、TEDxKidsを二年間やり込みました。サラリーマンを辞めてフリーランスになるくらい。今現在は、イベント・リサーチなどの面で親子支援を行う団体のお手伝いをしています。こういった技術面のリソ―スは結構不足している場合が多いので、過去の自分の経験を活かしながらやっています。仕事はサラリーマンに戻って、ECサイトのルクサで働いています。ITベンチャーで5年目の会社なのですが、リアル店舗を出すことになりまして、今度11月に渋谷にセレクトショップをオープンさせるため、店舗開発の担当をやっています。会社の主力事業はあくまでECサイトの方なのですが、チャレンジ事業であるリアルの方を担当してくれと社長から言われまして(笑)。ある意味でここも今までの自分の生き方と一貫していますね。

金谷: なるほど。ありがとうございます。それでは最後に今後の働き方も含めてご自身の展望をお願いします。まずは玉谷さん。

玉谷: 入社1,2年目は自分自身の成長でいっぱいいっぱいでしたが、今は発達障害のあるお子様向けの事業や教育分野の事業にのめり込む形で携わらせていただいて、やっぱりそこに対する課題意識が強くあります。ですから、その分野でこれからも頑張っていきたいと思っています。目下1年くらいでやっていきたいのは、発達障害のあるお子様の親御さま向けのオンラインプラットフォームを作ること。一般的に子育てをする、といっても、誰しも右も左も分からず大変な状況なのに、子どもの発達に困り事を感じている親御さんは、より困難な状況です。誰に相談していいか分からない、どこで適切なサポートが受けられるか分からない・・・そんな親御さまにしっかりと情報をお届けできる場所を作っていきたいと思っています。

※当対談から数ヶ月、2016年1月26日に「LITALICO(りたりこ)発達ナビ」をオープン

金谷: 面白そうですね。菅原さんの場合は。

菅原: ボランティア活動を通じて嬉しかったのは、自分よりも下の世代の人たちがネットワークを作ってやっていこうとしていることがわかったことです。自分たちの世代にはなかった動きなので。今後も、若い人たちを支援していくことが自分たちの世代の使命だと思っています。僕自身、この分野の最大の課題は、家庭の中だけで子育てが完結してしまうことが問題だと思っているので、それを生涯をかけて取り組みたいと考えています。今後ともボランティア活動は続けつつ、仕事は店舗開発を任されている立場を活かして、お店でイベントをやったり、調査結果をリリースする活動もやれるので、子育て支援などの教育の分野をうまく絡めていけたらいいなと密かにたくらんでいます。

(ECサイトLUXA(ルクサ)が初出店するライフスタイル雑貨のセレクトショップ【Timemart(タイムマート)】@渋谷モディ5F http://timemart24.com/


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5. ~ インタビュー後の一言 ~


金谷:「今回のインタビューは2人のソフィアンの生き方を対比させながら行ってみたのですが、実際に自己実現を図るやり方も色々あるんだ、ということはお伝え出来たんじゃないかな、と思います。お二方ともまだお若いので30代、40代と今後のご活躍が楽しみですね。」

反後:「学生時代から自分の道を一直線に進んでいるお二人のお話は、将来を考える時期の私にとって刺激になりました。人前に立つことに慣れず緊張してしまいましたが、アットホームな雰囲気の中、魅力的なソフィアンの方々と出会うことができ、とても楽しかったです。ネオソフィアンに関わったのは今回が初めてですが、学生にも絶対に良い経験になると思いました。また色々な形で参加したいです。」

玉谷:「学外での活動が多い学生時代でしたが、上智というアットホームで自由な場所がベースにあったからこそ、今のキャリアに繋がるきっかけをたくさん得られたのだと思います。今回の対談を通し、ソフィアンの素敵な先輩方ともたくさん出会うことができました。ここからまた新しいご縁が広がっていくといいなと思います。ありがとうございました!」

菅原:「新卒で入った学研への就職、子どものボランティア活動、いずれも大事な意思決定の際に、ソフィアンの先輩が関わっていて、上智との不思議な縁を感じます。縁と言えば、大好きな企業であるリタリコに玉谷さんがいたこともそう。今回のインタビューを通じて、自分のスタイルを再認識することができました。ありがとうございました。」


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玉谷さん、菅原さん、お忙しい中のご講演ありがとうございました!

ネオソフィアンではソフィアン全員が垣根なく交流でき、上智大学全体を盛り上げられるようなイベントを行っております。
また、引き続き各界で活躍するソフィアンにスポットライトを当てたトークイベントを行ってまいりますのでぜひご注目ください。

※過去のトークイベントは下記リンクよりご覧ください。




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活躍する若手ソフィアンをゲストに招いてのトーク・イベント「ネオソフィアン・ライブインタビュー」、第2回目のゲストは、発達障害のある子ども向けの教育事業などを手がけるLITALICOの玉谷祥子さん(12総社)と、複数の企業で新規事業のプロデュースを担当する傍ら、子どもへの教育をテーマに社会貢献活動を行っている菅原大介さん(04文新)。20代前半にして事業部の全体統括や新規事業立ち上げを経験し、新卒入社した会社で教育事業に取り組む玉谷さんと、会社の業務とは別にライフワークとして社会貢献活動を行う菅原さん。異なるスタンスでソーシャルというフィールドで活躍する2人の若手ソフィアンからお話を伺います。

お二人がどのような経緯でソーシャルビジネスや社会貢献活動に興味を持ったのか、どんな学生時代を過ごしてきたのか、そして現在どのような社会問題に取り組んでいて将来どのような夢をお持ちなのか。第一線で活躍するソフィアンの過去現在未来を深く掘り下げることで参加されるみなさんのキャリアや生き方について色々考える機会になればと思います。

イベント詳細
【日 時】2015年10月16日(金)19時30分開始(19時開場)
【場 所】六本木(詳細は参加される方に個別にご連絡します)
【ゲスト】玉谷祥子さん(12総社)、菅原大介さん(04文新)
【インタビュワー】金谷武明(95法法)、反後花美(アシスタント・仏文3年)
【料 金】無料
【対 象】上智大学現役生、卒業生、教職員の方。
(一部上智関係者以外の方向けにもチケットはご用意します)
【当日の流れ】
 19:00:開場
 19:15 - 19:30:周りの方との名刺交換・自己紹介タイム
 19:30 - 20:30:ライブインタビュー
 20:30 - 21:00:グループディスカッション
 21:00 - 21:30:Q&A
 21:30:終了


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ゲストスピーカーご紹介

玉谷祥子さん
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上智大学在学中よりインターン生として発達障害のある子ども向けの幼児教室・学習塾Leafの立ち上げに携わる。2012年4月に新卒として入社、教育事業部にて新規店舗開発、マネージャー、事業部統括を歴任。現在はインターネット事業部にて、子育てメディアConobieの企画編集ディレクションと、新規メディアの企画を担当。

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菅原大介さん


上智大学文学部新聞学科卒業。新卒で学研に入社し講習会司会と展示会企画を担当。マクロミルでリサーチ、ぐるなびで事業企画に従事したのち、フリーランスのマーケターへ。現職のルクサでは実店舗開発を担当。マーケティング活動をミックスした新規事業の立ち上げが得意。趣味のボランティアでも、親子支援の団体へアンケート協力とイベントサポートを行っている。将来の夢は、地元の逗子に地域の人が交流できる絵本屋さんをつくること。


インタビュワー

  • 金谷武明(95法法)ネオソフィアン代表
  • 反後花美(アシスタント・独文2年)

反後花美さん
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<幹事> 金谷武明(95法法)、岩佐大樹(14済済)、関本裕 (外英17年卒予定)
<主催> ネオソフィアン
<協力> 撮影 原田捺未(上智大学写真部)


ネオソフィアン・ライブインタビューのバックナンバーはリンク先からご覧ください。
※当日は時間通りご来場ください。定刻を過ぎますと入館に時間がかかる場合がありますのでご了承ください。
※当日のキャンセルや連絡なく欠席された場合は今後のイベントへの参加をお断りする場合もあります。
※各種ソフィア会「ネオソフィアン」は上智大学卒業生の出身学部・世代・立場を超えて、特に若手卒業生・現役生の有益な交流の機会を提供するべく、若手中心の異業種交流会など様々なイベントを定期的に開催しています。
※お申込みいただきましたみなさまに、今後のイベントをご案内させていただきたいと思いますので、ネオソフィアンのメーリングリストにも追加させていただきます。
※上智大学ソフィア会は、ソフィア会会員の個人情報(氏名、住所、メールアドレス、卒業年度、学部学科など、個人を特定できる情報)の適切な保護及び利用が非常に重要であると考えています。送信された個人情報は、ソフィア会会則にのっとった目的の範囲内において利用します。詳しくはソフィア会の個人情報保護方針をご覧ください。


ネオソフィアンでは、2015年6月18日(木)にサイバーエージェントで人事開発本部長を務める曽山哲人さん(98英文卒)をお招きしてトークイベントを開催いたしました。

前回の記事では、インタビュー編をお送りいたしました。
今回は曽山さんの採用基準、人事理念や私生活についてQ&A形式でお伝えいたします!



※ 経歴紹介: 曽山哲人とは?

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- 1974年神奈川県横浜市生まれ。上智大学文学部英文学科卒業。
- 1998年伊勢丹に入社、紳士服配属とともに通販サイト立ち上げに参加。

- 1999年、20名程度だったサイバーエージェントに入社。 インターネット広告の営業担当として入社し、後に営業部門統括に就任。 

- 2005年に人事本部設立とともに人事本部長に就任、2008年から取締役を6年務め、 2014年より執行役員制度「CA18」に選任され現職。 

- 2015年に人材開発本部を新設し、人材開発本部長就任。 著書に「クリエイティブ人事」、「最強のNo.2」など。




【インタビュアー】
司会: 金谷武明 (95 法法卒 / 写真中央)
アシスタント: 上田まな (仏文 在学中 / 写真左)

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人生の選択を行っていく際に大切にしていることは?


曽山: 地味で堅実にやる。言っていることが大きく、していることも派手という人の多くはいずれいなくなっていくことが多いです。ベンチャー経営者でもたまにいます。ネットバブルの2000年に注目を集めたベンチャーは多かったですが、殆どの会社が消えてしまったのが現実です。
逆に、大きなことを言っていても、それに向けて地味で堅実な努力をすることが出来る人は優秀です。

金谷: 優秀な人材の定義って...ああ、そういえばブログのタイトルがそんなタイトルですよね。

曽山: 私のブログ「デキタン」ですね(笑)。できるヤツを探求するというタイトルです。

金谷: 探求できたんですか?

曽山: まだ出来てないので、人材開発本部を作って探求しようとしています(笑)。


することがたくさんあるときの対処法


上田: しなければならないことがたくさんある中で、どのような基準ですべきことを見極め、どういった観点で実行タイミングを決めていらっしゃいますか。

曽山: 基本的には大きな1つを決めるのが鉄則です。だめな人は全部しようとしますが、殆どは1つできる人と全部できない人に分けられます。一番大きな1つをすると決めて、あとは余裕があったらする。1つできる人は2個目もできます。私は仕事が忙しくなってくると、すべきことを紙に書き出して一番重要なものを決めます。

上田: 優先順位をつけるということでしょうか。

曽山: 1番だけを決めます。優先順位をつけている時間はありません。私も昔はしていましたが上手くいかなくて、ある日、1番だけ決めて、それが終われば帰ろうと決めました。1番をすることにだけ集中するととてもすっきりします。2,3番は1番を終えてから決めます。

上田: 1番を決めることが大事なんですね。

曽山: 結果的には優先順位ができますが、とにかく1番を決めることです。Aは今日、Bは明日、・・・と決める人もいると思いますしこれはこれで悪くないのですが、だめな人はAが10個くらいあります。



人生の野望は?


上田: 人生の野望、絶対に成し遂げたいことはありますか。

曽山: 私の夢は、世界で最高レベルの人材育成企業を作ることです。今後数十年かけてサイバーエージェントが世界トップの人材育成会社になるというのを目指して頑張っています。そのためにもGEやP&Gだけでなく、海外の企業も研究しています。
 

大企業かベンチャーか


上田: 曽山さんにとって、働くこととは何ですか。ベンチャー企業と大手企業のメリットとデメリットを教えてください。

曽山: 生きた証を残したいので、働くことを通してそれができればよいなと。

大企業かベンチャーかというのは、自分で決めなければいけません。どちらにも良い会社、悪い会社がありますから、この二択で選ぶのは賢明ではありません。敢えて言うなら決断経験を得られる環境に行くのがおすすめです。大企業でもそういう場はあるでしょうし、ベンチャーでも全くのワンマン経営で社員が活躍できない会社もあります。自分の決断をできる会社を探した方がいいと思います。
 

どういう人を採用したいか


上田: どういう人を採用してきましたか。コミュニケーション力と実績のどちらをより重視されますか。

曽山: どちらも見ません。当社の採用基準は「素直で良いやつ」というキーワードひとつです。素直で良い奴ならキラキラ女子でも寡黙なオタクでも良いです。みんなが一緒に働きたいと思うことが重要です。採用するときに、自分のチームで働きたいとか、部下として一緒に働けるかどうかで選んでほしい、それで違和感があれば採らなくていいと話しています。

金谷: 本当にそれで通っていますか。

曽山: 通っています。

金谷: 意見が割れた場合はどうなりますか?

曽山: 1人でもダメと言ったら採らないというわけではありません。他の面接官がみんな良いと言っていて、人事である僕らが良いと思っていると他の面接官に会ってもらうことなどもあります。実際に良い奴かどうかはわかりませんが、入社した人たちを見ていると本当に良い奴が多いと思っています。
 

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大学生に求められる姿勢とは


上田: 現在の大学生に求める姿勢などがありましたらアドバイスをお願いしたいです。

曽山: 自分にチャレンジして、会ったことがない自分に会ってほしいですね。研究をたくさんして新しいものを見つけた自分でもいいですし、留学をして知らない社会に触れた、部活に夢中になった、などでもいいです。知らない自分にたくさん会っていることも価値だと思います。大きな意味で言えば思いっきり遊んで欲しいです。遊びは勉強でもあるので、チャレンジしてほしいです。ネットゲームで外からは退廃的な生活のように見える生活を送っていても、その世界で1番の自信があれば当社では採用したいです。


人生で一番つらかったこと


上田: 事前に頂いていた最後の質問です。人生で今までで一番つらかった体験がありましたらお聞きしたいです。

曽山: 1億円の損失を出したことは本当に洒落になりませんでした。毎日お客様が会社に来て、押し問答していたら、お前は要らないから社長を出せと言われて。そのトラブルから11年経って、最近になってその方にお食事の機会をいただき、熱い握手とともにお酒を飲み交わして、良い思い出にすることができました。

金谷: 先方はお幾つくらいの方ですか。

曽山: 少し上の人です。仕事ができるだけでなく、とても素晴らしい仁義のある方です。最終的に会社として謝罪し、その後も発注をいただけてそのお客様のおかげで私たちも成長することができました。

そのお客様は今もその会社で活躍されており、当社との取引も継続いただけていて、感謝しています。
 

目標とのつきあい方 


参加者: 少し無謀で高い目標を決めてそれに向かっていくか、それとも今の仕事は何かを考えてそれを一所懸命にするのか、どちらが大切ですか。

曽山: どちらがかっこいいですか。

参加者: 高い目標を掲げるほうがかっこいいです。

曽山: それなら、そちらの方がいいと思います。ぜひがんばってくださいね。


裏で努力することとその評価


参加者・学生: 僕は努力を人に見せるのが嫌いです。裏で努力しているつもりですが、評価してくれる人もいないので、自分でその努力を認めることができません。まだまだ足りないと思うことがよくあります。曽山さんはそのようなことがありますか。どのように考え方を変えて取り組んでいらっしゃいますか。

曽山: 努力しているのは素晴らしいです。手ごたえが解らないときは、評価する人からフィードバックを貰った方がいいですよ。例えば、自分が一年目や二年目ならリーダーに、今の自分の努力が足りているかを聞くだけでいいです。成果を出せる人ならいいけれど、そこまで伝わっている自信がまだないなら、自分の努力が足りているかを聞いた方がいい。殆どの人はそれを聞く勇気がありません。自分では努力していると思っていても周りの人はそう思っていないかもしれない。足りていないかもしれませんし、努力の仕方を間違えていることもありますので、リーダーのポジションの人に尋ねた方がいいと思います。

参加者: こんな努力をしていますが足りませんかと聞けばいいでしょうか。

曽山: 普通に聞けばいいです。自分は努力をしているつもりですがこれで足りていますかと。率直に聞けば返事も率直なので良いです。仕事でもそうです。頑張っていていい仕事もしたのになぜ評価されないんだろうというのはよくある話です。それを直接上司に聞いてみると、意外にもそれぞれが大事にしている場所がずれていたことに気づかされます。そういうときは自己中心的に自分を評価しているんです。上司も何を評価するかを言うべきですが、評価軸を上と合わせるのは部下の義務でもあります。お互いの関係なので、聞いてみるといいですよ。


司会者になりたい!


参加者・学生: 僕は司会をできる人になりたいと思っています。司会の得意な曽山さんにお伺いしたいのですが、司会をする際に、何を一番意識していますか。

曽山: 自分を動画で撮影してそれを見ると良いと思います。プレゼンテーションも一度リハーサルをして撮ると良いです。私は外部の講演をすることも多く、初めは不安だったので会議室に一人で入って最初の挨拶から全部録画して見ました。「えー」とか「あの」とか何回も言っているので、直しては撮って見ていました。


堅実な人の具体例


参加者: 大きな事を言うけれどしていることは堅実な人が良いというお話について、具体例がありましたら。

曽山: 大きなことを言っていてすることが堅実というのは、社長の藤田もそのひとりだと思います。藤田は21世紀を代表する会社を創るとビジョンに掲げています。SONY、トヨタ、ホンダが20世紀の代表なら次は僕らだという、曖昧で抽象的で大きなビジョンです。ただ、そのビジョンに向けて、藤田自身日々の地道な仕事を堅実にやっています。例えば1年目の社員との企画会議にも藤田が出ます。アメーバブログを立ち上げたときは彼が責任者をしていて、数年間は利益が出なかったのでかなり叩かれていましたが、来年これでダメだったら自分は退任しますと株主総会で言いました。翌年黒字化し、算段はあったでしょうが、彼が自分で事業をして結果を出したということです。社長だから俺は経営だけ、という人とは違います。


社員のやる気を出させる方法


参加者: 社員のやる気を出させることについて、今までで一番効果的だったことをぜひ教えてください。

曽山: やる気になるために必要なのは本人の意思の力を引き出すことです。本人の意思が変わらなければやる気は出ません。私たちがした中で効果的だったのは、飲み会代の補助です。当社は2003年に人事制度の強化をするという決断をしました。それまで社員同士は基本的に仲が悪く、飲みに行くことはありませんでした。飲みに行っても愚痴が多かったので私は行きませんでした。あるとき退職率改善のために退職率が低く優れたチームの様子を調べたところ、食事を頻繁に行っていることが判りました。安直ですが、まずは飲み会代を出して飲みに行ってもらって関係性を良くしようということになりました。懇親会支援制度は部署で行くことが条件で、一人あたり月5000円出しました。当時は赤字でしたから全社員に5000円を出すというのはかなりの決断でしたが、そのくらいの危機意識がありました。社員同士の仲と退職率が悪くては業績も上がらないので。
翌月に持ち越しできない制度にしたのでみんな行くようになりました。お酒が苦手な人にとっても5000円あれば美味しい食事ができるので行くようになりました。1000円では失敗だったと思います。飲みに行けば必然的に話すので、お互いの共通点が増えて信頼関係も高まり、結果として退職率が下がってやる気も上がりました。飲み会がすべてのソリューションではありませんが、当社の当時の状況においてはそれが合っていました。

金谷: 誰と行くという制約はありますか。

曽山: 部署で行きます。それをきっかけに役員がいろいろな部署の社員と飲みに行くようになりました。毎週、昼1-2回と夜1-2回は1人の役員が行っているので、5人のメンバーで行くなら20人、4週間続ければ80人、1年続けると1000人近くになります。つまり、1人の役員が年間で1000人くらいと飲みに行っていて、8人役員がいるので8000人ののべ社員と会っていることになります。役員と話せばやる気になります。


曽山さんがしている努力


参加者: 曽山さんが今されている努力は何でしょうか。また、著書を読んで、人事制度をマッピングして、それを元に次の人事制度を考えていると書いてありましたが、順番をどう決めていますか。

曽山: 陰の努力については、私は放っておくといつでも仕事のことを考えてしまうくらい仕事が好きですので他の人より考えている時間は多いかもしれません。習慣としてはビジネス書をかなり読んでいます。月に10-20冊は確実に読んでいます。ただし読むといっても、1冊30分ルールというのを自分で決めていて、30分で目次を読んだりぱらぱら見たりして面白い場所があるかどうかを探す仕分け作業をします。土日になると目の前に5-6冊置いて、2-3時間でその仕分け作業をします。面白いキーワードがあれば線を引いて、その後に読む本と読まない本を決めます。熟読したい本は5-6冊のうちに1冊あるかないかです。

人事制度のマッピングについては、A4の紙一枚に人事制度を書いています。縦軸はお金の報酬と、やる気・楽しいなどの感情報酬です。横軸の右は事業プランコンテストなどチャレンジする人事制度、左は婦人科検診の補助など安心する人事制度を入れて、マッピングしていました。今は人事制度が充実してきたのでマップは殆ど使っていません。挑戦する人事制度で感情が満たされる人事制度は一番効果が高いので、かつてはそこを増やすようにしていました。CA8、あした会議も右上です。


休日の過ごし方と家族について


参加者: 休日の息抜きやご家族とのコミュニケーションについてはどのようなことをされていますか。

曽山: 結婚していて、妻は外資系の消費財メーカーでマーケティングをしています。化粧品のマーケティング担当で昨年7月からシンガポールに赴任しています。それまでは結婚から6年くらい日本で一緒に住んでいました。月に1回くらいはシンガポールに行ったり妻が日本に来たりしていて、ほぼ毎日Skypeで話しています。仕事でSkypeを使うとみんなで会議になりますが、家で使うと1対1になるので新鮮です。

休みについては、土日はジム、マッサージ、鍼に行き、ゴルフのレッスンを受けて、本を読んでいます。友人と飲みに行くこともあります。どちらかというと私は一人でいることが好きな方です。仕事で人と沢山話すので、土日はゆっくりします。



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インタビューを終えて....


金谷: 曽山さんのインタビューはインターネット上に結構たくさんあるのでそれと被らないように色々工夫したのですが、実際色んな引き出しがあって他にはない楽しいインタビューになったと思います。なんでもにこやかに対応していただき、ありがとうございました!今度は決断経験を書き出すワークショップをぜひ企画しましょうw

上田: インタビューする側でありながら、思わず聞く事に没頭してしまうほど、曽山さんのお話はとても興味深いものでした。何年後かには社会人になる者として、これから生きていくヒントを沢山もらえた気がしています。曽山さんのお人柄もとても素敵で、インタビューさせていただけたことを嬉しく思います。

曽山: 少人数ならではの雰囲気で、質疑応答がとても楽しかったです。みなさんと一緒にまるで議論をしているような、素晴らしい時間でした。





曽山哲人さん、お忙しい中のご講演ありがとうございました。


ネオソフィアンでは、上智大学OB/OGと学生間の交流を活発にさせるべく様々なイベントを実施しております。
ネオソフィアンの活動は、このブログとfacebookで更新してまいりますので今後とも是非ご注目ください!

ネオソフィアンでは、2015年6月18日(木)にサイバーエージェントで人材開発本部長を務める曽山哲人さん(98英文卒)をお招きしてトークイベントを開催いたしました。曽山さんの生い立ち、仕事において大切にしていること、そして自身の人生観まで、感動あり笑いありの素晴らしい講演でした。このトークイベントはネオソフィアンにとって初めての試みでしたが上智大学の現役生、卒業生、そして一般の皆様がグループディスカッションを通じて交流することもできたイベントとなりました。

講演では大手企業での人材開発本部長という立場から、就職活動を控える学生やこれからのキャリア形成や生き方に関心のある方々に対して、大変貴重なお話を語っていただきました。その模様を2回に分けてお届けしますので、お楽しみください!


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司会: 金谷武明 (95 法法卒 / 写真中央)
アシスタント: 上田まな (仏文 在学中 / 写真左)


※今回はインタビュー編をお送りいたします。



曽山: こんばんは。今日は皆さんとお話できることを楽しみにしてまいりました。どうぞよろしくお願いします。



(一同、拍手)


金谷: ASFでもテレビ東京の大橋未歩さんと対談したのですが、今日は上智大学関連のイベントではありますが、大学の公式イベントではないので大学の講演よりも軽い感じで楽しく進めながら、色々な話を引き出そうと思います。結構人事系の方が多くいらっしゃってますが、今回は人事の話を掘り下げるのではなく、曽山さんのこれまでの人生についてネット上にもないような話を深く掘り下げられたらいいなと思います。曽山さん情報って結構ネットに色々あるんですよね。名言集までありますし(笑)。



曽山: 人の言葉を借りているだけです(笑)。



金谷: 凄くいい言葉ばかりなのでぜひみなさん調べてみてください。まずは、曽山さんの経歴をご紹介しましょう。



- 1974年神奈川県横浜市生まれ。上智大学文学部英文学科卒業。 
- 1998年伊勢丹に入社、紳士服配属とともに通販サイト立ち上げに参加。

- 1999年、20名程度だったサイバーエージェントに入社。 インターネット広告の営業担当として入社し、後に営業部門統括に就任。 

- 2005年に人事本部設立とともに人事本部長に就任、2008年から取締役を6年務め、 2014年より執行役員制度「CA18」に選任され現職。 

- 2015年に人材開発本部を新設し、人材開発本部長就任。 著書に「クリエイティブ人事」、「最強のNo.2」など。



金谷: 曽山さんのキャリアを聞いてまず面白いなあと思うのは、1社目の伊勢丹を1年で辞めているんですよね。よく、新卒で入った会社に3年は勤めろと言いますが、僕も最初の会社は3ヶ月で辞めているし、この場に限って言うと全然当てはまらないんですよね(笑)。新卒1年目の曽山さんが何を考えて1年で辞めたのかは後でお聞きしたいと思います。


曽山さんのオフィシャルな経歴は以上となりますが、追加情報があります。曽山さんは調べると良い話ばかり出てきて、以前お会いした時もほんと良い人だなぁという印象しかないんですよね。


曽山: そう見せているだけです(笑)。


金谷: でも曽山さんも人間ですからねぇ、何か裏もあるのではないか?いや、必ずあるはずと思い、極秘調査を行いました(笑)。で、調べてみたところ残念ながらそうたいして面白い裏は見つからなかったのですが、いくつか面白い情報が見つかったのでご紹介します。




意外にも実はダンサーだった!?



上田: 1番目に、実はダンスが得意。高校生のときにはダンス甲子園で全国3位になり、サイバーエージェントでもダンス部を作るなど、実はダンサーであるとの情報です。


曽山: ダンス部を作ったことを知っているのは凄いですね。私は今40歳ですが、高校2年生の時には「元気が出るテレビ」という番組がありました。その中にダンス甲子園というコンテンツがあり、全国大会が3回ありました。第3回に僕は出て、D&D(Die or Dance)という11人のチームでヒップホップを踊りました。「D&D ダンス甲子園」と検索するとYouTubeで見ることができます。円陣の真中にいる男の子が後ろから来る人を抱えようとして、その土台の人がこけそうになるのですが、それが私です。初めの15秒くらいのことです。(曽山さんのダンスはこちら=> ダンス甲子園 第3回決勝 DorD / ブログ



金谷: 最初は肩車をして旗を振るのですが、やんちゃな感じで、今の人格者みたいな感じとは違うんですよね(笑)。その人を下ろした後の動きがキレッキレです。


曽山: 昔は髪をドレッドにしたこともありましたし(見た目は)やんちゃな感じでしたねえ。




災害情報にやたら詳しい!?



上田: 2番目の情報として、実は災害についてのソーシャルでの投稿が異常に早いそうです。


曽山: 東日本大震災のときにTwitterを使って社員向けに出社判断の連絡や渋谷近辺の状況等を投稿をしていたら、フォロワーが3000人から9000人になりました。社員のご家族以外に他社の人事部の方からもフォローされました。社員を出社させるか自宅待機させるか迷っている企業が多かったなかで、サイバーエージェントの方針はこうらしい、とリツイートされていました。震災時には対策本部長になることが仕事の上で決まっていて、一時期は通信が不安定だったのでツイッターを会社の公式連絡ツールにしていました。


金谷: 仕事でやってたんですか!この情報をくれた人は、仕事でしているとは思っていないかもしれませんね(笑)。


曽山: 震度5強で対策本部を作ることになっています。確かに災害情報の発信は早いですが、趣味でしているわけではないんです(笑)。




サイバーエージェント社内では人事より司会者として有名



上田: 3番目の情報として、実はサイバーエージェント社内では人事としてよりも総会の司会の人として有名、とのこと。


曽山: 3000人以上の社員を抱える当社では、年に2回全社員が集まる表彰イベントがあり、そこでタキシードを着て司会をしています。人事は10年していますが、司会歴は12年です。タキシードはその場でしか着ないのに、8年くらいしたら擦り切れてお尻の部分に穴が空きました(笑)。


金谷: 実はこの情報は複数の人から聞いてまして、しかも、年々面白くなっていると評判らしいです(笑)。


曽山: 半年に一回、1時間だけですけどね(笑)。転職先に司会業があるので良いですね、なんて冗談を言われることもあります。



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曽山さんの高校〜大学時代とは?



金谷: ここで少し時間は戻り、高校時代のお話を伺います。高校生の頃はどんな感じだったのですか?


曽山: 僕の出身である神奈川県立市が尾高校は学区内で2番手でした。中学3年生の時に、ダンスはカッコよくてモテそうだと思って始めました。高校入学後、ダンスは一旦やめて、実はバレーボールを始めました。TVで見た中垣内選手がカッコよくて、これはモテると思って始めましたが、意外にもネットが高い。身長はあったけれど飛べずに3ヶ月で辞めました。そして、やはりダンスをしようと思っていたところ、友人が恵比寿のダンススクールに通い始めました。行ってみたところ高校生が12-13人ほどいて、先生がチームを作ろう、ダンス甲子園に出よう、という話になって。


金谷: 先生からの勧めもあったのですね。


曽山: 先生はブレイクダンスで世界一になった人で、アメリカのアポロシアターで踊ったこともある人でした。安室奈美恵やMAXの振り付けもしていた先生です。


金谷: やんちゃな感じでダンスをしていたのではなく、真面目なダンス教室に通っていたんですね。


曽山: 真面目でした。高校2年生までずっとダンスをしていて、ダンス甲子園に出て3位になり、一度終わりにしました。国会議員として有名な山本太郎さんが出場したのは第2回です。とくに繋がりはありませんが。


金谷: ダンサー時代は大学受験を意識していたんですか?


曽山: 実は、大学に行くつもりはありませんでした。石ノ森章太郎さん原作の「ホテル」というドラマが当時放映されていて、それに影響されて高校2年のときにはホテルの専門学校に行くつもりでパンフレットも取り寄せていました。


それが、たまたま高校2年の時の英語の先生が面白くて英語教師に興味を持ち、高校3年生の時には英語の先生になれる大学に行こうと決めて、予備校に通って勉強を始めました。チューターはきれいな女性の方で、その方に英語を勉強したいと言ったら、「英語といったら上智よ。上智しかないわ。」と言うので、上智を受けるので付き合ってくださいと言いましたが、落ちて残念な結果になりました(笑)。一浪を決めましたが、その当時は踊ってばかりだったので偏差値40の科目もありました。それで寝るときとお風呂以外はずっと、トイレも食事の時も勉強し、一日18時間くらいは勉強していたと思います。



上智大学へ入学、そしてラクロスとの出会い



金谷: その"英語の先生になろうという思い"はどこに置き忘れてしまったのでしょうか(笑)。


曽山: 英文学科に入学してから半年くらいで、英語の先生じゃなくてもいいかなと思いました。授業は厳しくて週5日行かなければいけなくて、半年間真面目に通って休んだのは2コマだけでした。先生がたは年配の方が多くて、英語の先生は面白くなさそうなのでやめようと思いました。


金谷: そうなんですか(笑)。でも半年間は持ったんですね。ではその後の大学生活はどんなことをしていたのでしょうか。


曽山: 私はラクロス部に入り、4年間ラクロス漬けでした。フレッシュマンズウィークで入部しました。


金谷: 上智以外の方のために説明しますと、フレッシュマンズウィーク、通称フレマンは、新入生向の入学を歓迎しつつサークルなどの勧誘をする期間です。


曽山: 上智を選んだのはチューターの言葉もあるけれども、エスカレーター式ではなかったことも理由です。全員が受験で入ってくるので、友達もゼロから作れると思ったのです。テニスサークルを見て回りましたが、その間にアメフトやバスケやラクロスからも声をかけてもらい、迷いました。あるテニスサークルからぜひ入ってほしいと言われて、他にどこを考えているかと聞かれたので「ラクロスとか」と言ったら、素敵な女性の先輩から「ラクロスはいいわよねえ」「ラクロスの人たちはほんとうにカッコいい」と言っていました。実際にラクロス部の先輩はみな目指している視点が高く、かっこよかったのでラクロス部に入部することにしました。もちろんテニスサークルの先輩のコメントも後押ししましたが(笑)。


(一同、笑)


上田: 主将だったと聞きました。


曽山: 未経験で入り、当時はサークルでしたが、3年の時に準体育会にして副キャプテンになり、4年生のときにキャプテンになり、体育会にしました。


金谷: ラクロスも高校からしている人は少なそうですね。


曽山: そうです。やはりゼロから戦える、チャレンジャーとかベンチャー的なところが私には合うのでしょうね。実力で戦えるところで戦わないといけないという思いはありました。


金谷: 曽山さんの話を伺っていると、意外と安易に重要な決断をするわりには、続けるものはしっかりその後も続けますよねぇ(笑)。


曽山: はまったものは本気で続けるという感じ。ダンスも勉強もラクロスもはまったのですね。ただ選択は早い方だと思います。


金谷: 大学時代はラクロスで過ごしていたと。


曽山: そうです。僕にとっては、文学部というよりも上智大学ラクロス部に入ったような感じです。




いざ就活  ― 強い組織に入りたい!―



金谷: 今日は大学生も来ているので、就活の話も触れたいと思います。曽山さんは、就活ではどういった企業を受けようと考えていましたか。


曽山: 僕はラクロス部の他に、学生連盟で広報委員長をしていました。130校くらいの大学を束ねて広報活動をしていたので、広報・広告やそれに繋がるものが良いと思っていましたが、広告代理店の他にもクレジットカード、銀行、百貨店など業種を問わずNo.1を受けていました。強い組織を作っている会社に入りたかったのです。


金谷: 曽山さんらしい良い言葉ですねぇ。


曽山: 部活でキャプテンをしていましたが、当時は弱かったので、強い組織を作れる会社で学びたいと考えたのです。伊勢丹の他にもいくつか内定をもらいましたが、伊勢丹が一番、先輩がかっこよかった。男らしい人がいて、今度も決して女性じゃなくて(笑)。


伊勢丹の面接で何を言ったかと言うと、男性向けのファッション誌に香水の広告がありました。引換券を切り取って百貨店に持っていくとサンプルが貰えるというものです。私はその引換券を持って、朝練が終わるとすぐに新宿に行きました。でも、ジャージ姿で行って渡したら店員の態度が凄く悪かった。今考えると当然なのですが、当時の私にはとてもショックで、本当に来なければ良かったと思いました。それを面接で言いました。その態度では客が増えない、伊勢丹はもっとよくできると言いました。そうしたら内定をもらえました。今思えば、率直に言ったのが良かったのでしょうね。


金谷: 今は人材開発本部長ですが、人事本部長のご経験からすると、当時のご自身はどうですか。


曽山: 生意気だと思います(笑)。でも、何も言わないイエスマンよりはいいと思います。




入社1年で伊勢丹を退職。



金谷: でもそうして建てなおすぞと思って入った伊勢丹も、1年で辞めてしまったんですよね?


曽山: 自分の課題に向き合った結果辞めました。最初は仮配属があり、私は新宿本店3Fの婦人セーター・ブラウス売場の中のアンサンブル売場で働きました。どの同期も若いだけでお客様からイケメン扱いされていました(笑)。次は浦和店の服や鞄の売場、その後、希望していた紳士服に配属されました。スーパーメンズという身長が180cm以上かウエストが100cm以上の人向けのコーナーです。DKNYやポールスミスなどハイブランドのXXXL、5Lなどのサイズを扱う売場です。日本では新宿伊勢丹でしか売っていませんので、日本各地からお客様がいらっしゃいます。


金谷: 辞めようと決意したのはいつごろですか。


曽山: 新たな挑戦がしたいと思い、8月頃から転職を考え始めたでしょうか。


金谷: 僕も一社目を3ヶ月で辞めているので、8月ですと2社目で働き始めてますね(笑)。



(一同、笑)





転職、そしてサイバーエージェントへ


金谷: 転職しようと思って、次の会社はどのような基準で考えたのですか。

曽山: 12月くらいに、決意しました。今なら第二新卒という扱いがありますが、僕が転職エージェントに登録してすぐに返ってきたメールは、「社会人1年目のあなたにはご紹介する仕事はありません」という内容でした。受けたいと思ったのはコンサルかベンチャーです。コンサルには社会人一年目の自分にはかっこいいというイメージがあり、ベンチャーでは大きなチャレンジできると思いました。12月に外資系コンサルの筆記試験を受けましたが、問題を開いた瞬間にまるでわからず、やはり落ちました。

まずは今の仕事を辞めて就活をし直そうと思い、12月に上司に辞意を伝えました。「3年間は居ろ」と言われて、かなり引きとめてもらいましたが結局3月31日に辞めました。その時点で転職先は決まっていませんでした。

金谷: 次を見つけてから辞めるというのが一般的だとは思いますが、僕も一度辞めて無職になりました。なかなかセオリー通りには行かないですよね。

曽山: ある転職雑誌にベンチャーセミナーの告知があり、そこにサイバーエージェントと書いてありました。聞いたことのない社名だったので検索しました。すると、HPの真ん中に「採用 第二新卒募集」と書いてあり、これは私のために書いてある!と思って即エントリーをしました。メールを送った数時間後に返事が来て、翌日に面接に行きました。当時は社員数が20名で、女性社員は2名しかいませんでした。

1次面接では現在広報・IRの責任者をしている女性社員と、短髪の藤田(社長)が出てきました。私は新卒で大企業に入りましたので、社長の名刺は初めてもらいました。これが衝撃でした。しかもその社長は自分のわずか1歳上。かっこいいと思いました。面接後、他の社員にも会ってくれと言われて、日を改めて会ったのが今の副社長の日高、創業メンバーです。

内定を出すのでぜひ来て欲しい。いつから来られるか、と聞かれて、挨拶回りをしたいので1週間後を希望しましたところ、後日談ではすぐに入社してくれてありがたかったと笑われました。普通は現職を辞めてからなので2-3ヶ月先ですよね。その希望通り受け入れてもらい、4月16日に入社しました。前職を辞めてから2週間後くらいです。

金谷: 最初は人事ではなかったんですよね。

曽山: 広告営業でした。今でいうアドネットワーク、色々なサイトの広告枠を束ねて売るというもので、企業に電話をして営業にいきました。





元・鬼上司の噂?!


金谷: 僕が掴んだ極秘情報によると、曽山さんはとても朗らかですが、その頃は怖かったとの話があります。詰め方が尋常ではなかったと。どんな感じでしょうか。

曽山: 4月に入社して8月にマネージャーになりました。私の血液型はA型で、診断テストでも完璧主義と出るくらいにとても細かい性格です。自分にもメンバーにも厳しく、多くを要求していたのです。せっかちなので、例えばメンバーにメールを送ろうと送信ボタンを押した瞬間にはその人に「メール見た?」と尋ねているような具合でした。また、成績を上げている自信もあったので、自分のやり方で間違いないんだという態度でした。言うことを聞いてくれるわずかなメンバーは結果を出しますが、大多数はそのやり方が嫌いだったでしょうし、もっと自由にやりたいという思いもあったでしょうから全然結果が出ません。あるとき、そのメンバーが隣のチームに移ると翌月に営業MVPになって、ショックでした。自分のマネジメントスタイルを変えなければいけないと思いました。

金谷: 今思うと、その頃の自分は間違っていたと。

曽山: 大きく間違っていました。全く話を聞かない人でした。戻れと言われれば昔のキャラに戻れますが、嫌です。他人を自分の型に押し込もうとするので互いに疲れてしまいます。

金谷: 今でも必要であれば怒る場面もありますか。

曽山: 直属の部下には今でも厳しいところはあります。そのかわり、成功したときには大きく褒めて喜びを分かち合えるようにしています。


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意外とこれが好き!


金谷: これも極秘情報ですが、エニアグラムが大好きだそうですね。社員は全員しているのですか?

曽山: 好きです。今は入社するメンバーでも内定者勉強会などで使ったりしてくれています。エニアグラムとは自己診断ツールの一種で、アメリカではスタンフォードも研究しているそうです。20分ほどの診断に回答すると、完璧主義、論理的、目立ちたがり・・・など1から9のタイプが分かります。これによってお互いの理解が進みますし、自分と違うタイプがいることを認められるとマネジメントの幅も広がります。管理職全員の研修で役員のタイプを紹介したら大盛り上がりしました。

金谷: 理解した上でコミュニケーションすると、やっぱり違いますか。

曽山: 違いますね。例えば論理型というタイプ5は、単純にすごいねと褒めても不信感を抱きます。君のここがすごいとか、この考え方がすごいと具体的に褒めると響く。そのように、褒め方にも適切なバリエーションがあります。大学生でも社会人でも使えます。エニアグラムは外資系企業でも使われているそうです。


人材育成で重要なこと。「決断経験」


上田: 今日は事前に質問をいただいていますので、そちらもご紹介します。まず、曽山さんが人を成長させるにおいてもっとも重要だと思うことは何でしょうか。

曽山: 人材育成で重要なことは決断経験です。自分がキャリアを積むにしても、誰かを育てるにしても、決断経験が重要だと思っています。どれだけ質の高い決断を、どれだけの量経験しているか。これによって市場価値が決まります。スキルとは別の概念です。同じスキルの人が2人いて1人だけ選ぶなら決断経験の価値がある人の方が採用される、というのが私の考えです。

金谷: 面接をされる際に、決断経験をさりげなく聞き出しているのですか。

曽山: どの会社の面接でも今まで一番頑張ったことを聞かれますよね。これが決断経験です。決断という言葉は重く感じますが実は軽いものもあり、、例えば今日ここに来ようと思ったことも決断です。テニスサークルに入ろうかなと思いきやラクロス部に入るのも、アルバイトを始めるのも、先生に留学のことを相談することにするのも、ピアノを習いたいと親に言うのも、どんな小さなこともすべて決断です。

私が就活生におすすめするのは、子供の頃から今までの人生すべての決断を、細かいものも含めて書き出しリストアップすることです。書き出してみると、隣の人とは全く違う指紋のような形で出てきます。これが実は今の自分を作っている。例えばネットゲームを24時間して世界一になったでも良いし、部活でも研究でもいい。社会人も同じです。ずっと受身で仕事をしている人は自分でしたと言えるものがなく、決断経験が少ないです。大企業でも活躍している人やベンチャーでバリバリしている人は、自分でした決断がたくさんある。この量と質を上げることがキャリアでは一番重要だと思って、大事にしています。

金谷: 会場のみなさん、一斉にメモをとっていますね(笑)。

曽山: 人事という職業はヘッドハンターやエグゼクティブサーチの人とも話しますが、彼らにどういう質問をしますか、どういうところを見ますかと聞くと、言葉は違いますが必ず決断経験が出てきます。それが知識や脳を使った経験なのです。失敗していてもいいんです。失敗から学習していればそれもバリューになります。


一番大きな失敗


金谷: 曽山さんも大きな失敗をしてきたという話ですが、その中でも一番大きな失敗はどんな感じですか。

曽山: 一番大きな失敗は、サイバーエージェントに入社6年目で営業部長をしていたときに1億円の損失を出したことです。しかも当時は会社が赤字で苦しかった時期です。こちらが提案した内容でお客様から受注をいただき、実際に広告を実施したところ全く結果が出ませんでした。それで大トラブルになり、結果的には1億円規模の損失となりました。

金谷: サイバーエージェントは、失敗を許容する文化があると聞きますが、その失敗は許容されましたか?

曽山: その失敗は許容してもらえました。サイバーエージェントは失敗を許容する文化ができています。その失敗が悪気がなく会社のためを思ってした決断によるものであれば認めます。逆に、信頼を裏切るような不正は規模が小さくてもダメです。ミスを許容するのは、多少の損失があったとしても、学んで次に活かしてほしいという意図です。実際、私の1億円の損失も取り返せたので。


成果を出す人材の特徴


上田: 成果を出す人材の共通点や特徴は何ですか。

曽山: 10年人事をしてきて多くの人を見ていますが、成果を出す人は陰の努力が違います。裏で努力していない人は上にあがれない、というのは大事なポイントです。見えるところで競争していると思うのは間違いです。その裏でどれだけ努力できているか。それは時間とは限りませんが、すごく努力している人は成果を出しています。

金谷: ウェブ業界は忙しい人が多いと思いますが、その中で裏で努力するための時間を作るのは難しいという声もあります。その辺はどう思いますか?

曽山: ただ忙しいというだけの人は考えている時間をとってないことが多いです。忙しい人の中でも、考える時間をもつ習慣があるかどうかで分かれます。考えることは担当分野の戦略でも、キャリアでも、営業成績をどう達成するかでも何でもいいのですが、まず考える時間をとることが大事です。そうしている人は、例えば週に1回30分だけでも会議室にこもったり、時間をとったりして自分の考えを文字に起こしています。経営人材になる人は考える時間をとっています。


今後ウェブ業界で活躍する人材とは


上田: 今後、ウェブ業界において重宝される人材やスキルはどういったものになりますでしょうか。

曽山: 私たちの会社では、変化を恐れない人、変化を受け入れられる人のほうが圧倒的に活躍します。頑固で自分の意見に拘る人はダメです。自分の考え方が間違いないと思っている人は大体間違えます。変化が激しい業界ですので、昨日考えていたアイディアを絶対に正しいと思っていても、翌日になると間違っていたり、トレンドが変わったりということが起こります。結論的には、変化できる人、習慣で言うと自己否定がどれだけできるかです。良いアイディアだ、売れるはずだと思っても、翌日考え直してこれは売れないわと自己否定できるか、それが大事です。

金谷: 変化に柔軟に対応するって大事ですよね。僕も自己否定はよくします。数時間前のアイディアでさえ、何だこれと思うことがあります。僕は適性があるのかもしれないですね(笑)。


社長に反対意見を言えるのか


上田: オーナー企業はトップダウンという印象がありますが、サイバーエージェントでは社長に対してよい意味で反対意見を言える社員はいるのでしょうか。

曽山: 習慣としてそういう場があります。「あした会議」という年に2回の会議です。社長の藤田が審査員で、役員7名がそれぞれ社員を4-5人とチームを組み、藤田に対してサイバーエージェントの明日に繋がる経営の提案をしています。例えば、新会社を作る、新規事業を作る、新しい人事制度を作る、コストカットするなどです。経営にプラスになることなら何でも提案できます。その提案内容で、1-7位までチーム順位がついてポスターで掲示され、名前がソーシャルメディアにガンガン拡散されます。今のままではここがダメだと提案しなければならないので、あまり言いたくないところもあるわけですが、みんなビリになりたくないので必死に課題探しを頑張ります。人間の心理ですね。結果的にとても良いアイディアが出ます。結果的に7位の人でも当然考えてきています。社長の作ったものに対して良い意味の否定をしないと良い提案になりません。藤田も会社は変化した方がいいと思っているので、聞く耳を持っていて理解があります。むしろ、ぬるい提案では点をつけません。サイバーエージェントではスマートフォンのゲーム事業もしていますが、それもあした会議で提案されたものです。今では年間で600億円くらいの売上になっています。あした会議で生まれた新規事業の営業利益は2006年から今までで約100億円です。

金谷: あした会議で曽山さんが提案したことはどんなことですか。

曽山: 直近では、人材開発本部長を他の優秀な人材に任せて、人材開発本部を専門で作るという提案です。あした会議では役員人事も提案されますので、1回で1-2人の役員の役割が変わります。


CA8とCA18


金谷: ちょっと踏み込んだ質問になりますが、事前情報の中には、曽山さんの最近の人事について降格なのかな?と疑問をもっている方もいるようなんですが、ブログを拝見するとなんだか降格ではない感じですよね。その辺はいかがでしょう?

曽山: CA8は役員の声を踏まえて私が設計をした制度で、2008年に始まりました。2年毎に8人の取締役のうち2人が入れ替わる仕組みです。これまでの4回行っているので、CA8を退任し取締役ではなくなった延べ8人と、新しく若手から入った8人がいます。私は抜けた方の8人の1人です。

ある社員が「もっとチャレンジしたいのに役員が変わらないから上が詰まっている。役員は辞めたいと言わなければやめなくていいので僕らが上にいけない。だから辞めようと思っている」と声を張って言っていました。その声を私も藤田も拾っていて、役員を入れ替える制度ができました。

藤田から、管理職やマネジメントで伸び悩んでいる人がいるので、打開策を求められました。GEやP&Gなどの外資系企業ではたとえば相対評価の下1割を厳しく評価したり、退職につなげていくという制度があると本に書いてありました。切るのはさすがにやりたくないが、下1割を指名して研修などを受けさせるのは良いと思って、役員会へ提案しました。藤田は、良い策になりそうだけれど、指名された該当者がやる気をなくしそうだからダメかな、こういうのは経営陣から姿勢を示した方がいい、と言いました。そうして最終的に役員8名のうち2人ずつ入れ替わることに決まりました。

このとき、役員退任は降格ではないとする、という重要なことを決めました。役員は当社ではキャリアパスの一つでしかなく、入って抜けて、もしくはまた戻って、と、サッカー日本代表で対戦ごとに選抜メンバーが変わるようなイメージに決めました。

金谷: ではCA8から外れたことは降格ではないんですね。

曽山: はい。仕組み上でマイナスなので別の工夫が必要だったのは、役員会に参加できなくなることでした。CA8を退任するときには藤田と全役員が面談するのですが、私は在任6年と長い方でしたので、そろそろだと思っていました。その面談で藤田から言われたのは、役員会に人事の案件を持ってこなくていい、全部曽山くんが決めていいと言われました。プレッシャーもありましたが、裁量権を渡してくれたことを嬉しく思いました。ですので私は今CA18という執行役員で取締役ではありませんが、権限は全く変わっていません。また仮に出戻りCA8になればもちろん経営の一員としても頑張ります。


女性向けの人事制度


金谷: サイバーエージェントは女性が多いですが、女性向けの人事は大変なのではないかと思います。気を使っていること、気をつけていることは何かありますか。

曽山: 女性比率は3割ですが、インターネット企業の中では多い方です。新卒採用では男女半々ですが、中途採用のエンジニア職の男性比率が高いため7:3となっています。自然体で働けるようにするというのは男女関係なく一番のキーワードです。女性だけにバリバリ頑張らせるのは大変ですし、必死に頑張る女性ばかりを増やしたいわけではありません。その人の才能を発揮してほしいので、自然体で働けることが大事というのが根底の考え方です。ただし、男性が70%で役員も全員男性なので、下手をすれば男性判断になってしまうことは目に見えていますから、女性向けの人事制度を作るときは極端です。

例えば、営業の女性がまだ2割しかいなかった頃、彼女たちの苦労をヒヤリングしたところ、営業の仕事は好きだけれど頑張っていると肌が荒れる、それは仕事のモチベーションに関わる問題だと言っていました。私には予想外の回答でした(笑)。

(一同、笑)

曽山: そうした女性社員の要望で、美容ドリンクを1日1本無料で提供し、また、エステ代も月1万円までOKとしました。今でも美容ドリンクとエステ代支援は続けています。当時は営業の女性の退職率の高さが課題だったのですが、こうした会社の姿勢をきっかけに今は女性の営業局長もたくさんいます。

営業以外の女性社員への配慮も必要で、クレームもありましたが、美容ドリンクが飲みたいなら申し訳ないが営業になってくれと返しました。結果としてスタッフの退職もなく、スタッフから営業へ異動した人もいませんでした。自然体が良いけれど、女性向けに環境を作るときには意図的に偏らせます。過保護にしないと辞めてしまうので。でも、これが正しいとは思っていません。美容ドリンクなんかにつられない、という女性もいて然るべきです(笑)。



(Q&A編に続く....)





今回はインタビュー編をお送りいたしました。
次回はQ&A編をお送りいたします。


曽山さんの採用基準や私生活に関して幅広くお答えしていただきました。
特にサイバーエージェントで苦労されたこと、女性向けの珍しい(?)福利厚生制度の裏話は必見です!


次回記事は近日公開予定、乞うご期待!


ネオソフィアンは、活躍する若手ソフィアンをゲストに招いてのトーク・イベント企画「ネオソフィアン・ライブインタビュー」を開始します。記念すべき第1回目のゲストはサイバーエージェントの人事本部長、曽山哲人さん(98英文卒)。サイバーエージェントで長年組織をまとめてきた曽山さんの、学生時代や就活はどうだったのか、若いころどんな社会人だったのか、今取り組んでいること、未来の夢などなど、詳しく掘り下げていきます。こうして今第一線で活躍するソフィアンの過去現在未来を深く掘り下げることで参加されるみなさんのキャリアや生き方について色々考える機会になればと思います。


イベント詳細

【日 時】2015年6月18日(木)19時30分開始(19時開場)
【場 所】六本木(詳細は参加される方に個別にご連絡します)
【ゲスト】曽山哲人さん
【インタビュワー】金谷武明(95法法)、上田まな(アシスタント・仏文3年)
【料 金】無料
【対 象】上智大学現役生、卒業生、教職員の方。
(一部上智関係者以外の方向けにもチケットはご用意します)
【当日の流れ】
 19:30 - 20:30:ライブインタビュー
 20:30 - 21:00:グループディスカッション
 21:00 - 21:30:Q&A
 21:30:終了


お申し込みはこちらから


ゲストスピーカーご紹介

曽山哲人さん
曽山哲人さん

プロフィール:

曽山 哲人
株式会社サイバーエージェント
執行役員 人材開発本部長

1974年神奈川県横浜市生まれ。上智大学文学部英文学科卒業。
1998年伊勢丹に入社、紳士服配属とともに通販サイト立ち上げに参加。
1999年、20名程度だったサイバーエージェントに入社。
インターネット広告の営業担当として入社し、後に営業部門統括に就任。
2005年に人事本部設立とともに人事本部長に就任、2008年から取締役を6年務め、
2014年より執行役員制度「CA18」に選任され現職。
2015年に人材開発本部を新設し、人材開発本部長就任。
著書に「クリエイティブ人事」、「最強のNo.2」など。

インタビュワー

  • 金谷武明(95法法)ネオソフィアン代表
  • 上田まな(アシスタント・仏文3年)
上田まなさん( 2014年度ミスソフィア)
上田まなさん( 2014年度ミスソフィア)

<幹事> 金谷武明(95法法)、岩佐大樹(14済済)
<主催>ネオソフィアン


※当日は時間通りご来場ください。定刻を過ぎますと入館に時間がかかる場合がありますのでご了承ください。
※当日のキャンセルや連絡なく欠席された場合は今後のイベントへの参加をお断りする場合もあります。
※各種ソフィア会「ネオソフィアン」は上智大学卒業生の出身学部・世代・立場を超えて、特に若手卒業生・現役生の有益な交流の機会を提供するべく、若手中心の異業種交流会など様々なイベントを定期的に開催しています。
※お申込みいただきましたみなさまに、今後のイベントをご案内させていただきたいと思いますので、ネオソフィアンのメーリングリストにも追加させていただきます。
※上智大学ソフィア会は、ソフィア会会員の個人情報(氏名、住所、メールアドレス、卒業年度、学部学科など、個人を特定できる情報)の適切な保護及び利用が非常に重要であると考えています。送信された個人情報は、ソフィア会会則にのっとった目的の範囲内において利用します。詳しくはソフィア会の個人情報保護方針をご覧ください。

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