2001年に外国語学部ポルトガル語学科に入学。
在学中はラクロス部に所属して、2006年に卒業しました。
卒業後は、株式会社電通に入社しました。
東京2020大会との関わりは、2015年4月に勤め先の電通から、東京2020大会組織委員会マーケティング局に出向したところからです。もともと東京2020大会には絡みたいと狙っておりましたが、組織委に出向になるとは思ってもいなかったので、寝耳に水で、当時、相当驚きました。
私は当初、アカウントマネージャーと呼ばれる、組織委として、スポンサー企業と向き合う窓口の担当になります。
着任早々、新国立競技場の問題や、大会エンブレム撤回、そして、追い込みをかけるように出向元の電通で起きた残業問題、、、
嵐のような日々が続きました。
そこで、力を貸して下さり引っ張ってくださったのが、当時、JOC(日本オリンピック委員会)から出向していた細倉マーケティング局次長(現・JOC 常務理事 兼 事務局長)でした。誰よりもストイックに働き、いつも厳しい雰囲気で、なかなか近づき難かったのですが、なんとソフィアの大先輩であると知りました。それをきっかけに、徹底して様々なことをご指導いただきにいきました。おかげさまで、それ以降、スポンサー企業の皆さんと東京2020大会の盛り上がりになる様なことにトライ出来た気がします。
組織委に入り時間を経て、少しずつ余裕が出来て、見えてきたことがありました。意外にも組織委にソフィアファミリーが多いこと!ソフィア会をやって行こう、という運びになり、部署の先輩と幹事をやり、JOCからの皆さまにもお声がけしたり、初回、大盛り上がりに終わり、会を重ねて、一気に組織委の色々な部署に味方を作って行けた気がします。
2018年8月、ブランド開発およびベニュー統括チームの課長を拝命しました。より大会運営ど真ん中の部署になります。
まずは、東京大会を彩るブランドプロパティを開発するのがミッションでした。エンブレム、マスコット、コアグラフィックス(これを元に大会装飾が作られる)、ピクトグラム、トーチ、メダル、ボランティアが着るユニフォームなどなど、皆さんがテレビや街で見ていただいた、その開発現場の裏には私のいた部署がありました。
それを終えると、次の、そして最大のミッション、その完成したブランドプロパティをオリパラ合わせて43会場の各競技会場にインストールするという史上空前のプロジェクトを完成させるということに取り組みます。上智大学で学び、社会人になってからも鍛えたコミュニケーション能力を持って、とにかく思惑の違う多くの人々と出来る限り平易な言葉での共通言語を持って、会話していくことを心がけました。2020年2月にはギリギリ、ベニューの大会ルック計画を、組織委、東京都、国と合意をすることが出来て、さぁ、ここから、海外のステークホルダーと向かい合って行くために、一気に作業を進めようという所まで持って来れました。
しかし、2020年3月大会延期の決定、、、
ここでは書ききれないくらい、かなり落ち込みましたが、ひたすらに、一年後、実現させるんだという思いを強く持ち、今まで以上に丁寧に丁寧に仕事を積み重ねて行きました。
そして、とうとう、開会式にたどり着いた時、本当にここでは書き切れないくらい苦労があった分、信じられない位の涙が溢れて来ました。ただ、開会しただけなのに、、、
が、しかし、開会しても、結局、バタバタは続き、一気にまた現実に引き戻され、9月5日のパラリンピック閉会式までは完全に息つく事はできませんでした。
大会が終わり早一か月以上たつ今、大会ももちろん、ここまでの思い出が走馬燈のようにめぐる日々で少し抜け殻になっています。
上智大学関係者の皆様に、お伝えするには拙い文章ではありましたが、こうやって、上智大学のOBが、他の卒業生とともに、世界が注目した東京2020オリンピック、パラリンピックの裏にいて支えていたことを、少しでも伝えることができていたら幸いです。
今後も、この経験を糧に、楽しいプロジェクトに入っていって、また、そこでも上智大学OG、OBの皆様といい仕事をしていければと思っております。
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