2021年11月アーカイブ

はだのパラスポーツフェスティバル2021
~東京2020パラリンピックを未来へつなげよう~

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はだのパラスポーツフェスティバル2021 

東京2020パラリンピックを未来へつなげよう~

 開催日時:20211219日(日)10001800 

会 場:秦野市立本町公民館2階 多目的ホール(イオンモール隣)

主 催 :秦野市 

協 力:上智大学(ソフィア オリンピック・パラリンピック プロジェクト) 

               上智大学オリンピック・パラリンピック学生プロジェクト Go Beyond 

            上智大学ソフィア会(担当 オリンピック・パラリンピック支援特別委員会

       公益財団法人 鉄道弘済会 KADOKAWASportsPressJp

内 容 

10001800 パラスポーツ体験・写真展・東京2020オリパラ展示・

          パラアスリート義足展示&装着体験

10001200 ワークショップ「子ども達と考える東京2020オリパラ後の社会」

13201420 秦野高校吹奏楽部&上智大学Go Beyond

                       「オリパラテーマソング演奏&オリパラボランティアトークショー」

14301545 1964東京パラリンピック記録映画「愛と栄光の祭典」

                               (大映配給・文部省特選)上映

16001730 講演会&トークショー 

                         日本パラリンピック委員会河合純一委員長

                             (東京2020パラリンピック日本代表選手団長) 

       元東京オリンピック・パラリンピック組織委員会雑賀真総務局長

                             (現 鉄道弘済会常務理事

                     (コーディネーター)上智大学  師岡文男名誉教授 

  

  ※映画・講演&トークショー事前予約先:秦野市スポーツ推進課

                                                           0463842795

  (情報提供責任者)

上智大学ソフィア会オリンピック・パラリンピック支援特別委員会委員長

           師岡文男 morooka@sophia.ac.jp


ソフィアンのオリパラ体験記

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コロナ禍という未曽有の状況下で開催された東京2020オリンピック・パラリンピック大会。感染者の増大により無観客となり、開催前にはネガティブな反応が多く見受けられました。選手たちのすばらしい活躍や大会関係者、ボランティアの心温まる活動により、大会が進む中で徐々に盛り上がりを見せていきました。そうした中で多くの卒業生がその国際性あふれる能力をいかんなく発揮し、大会を支えていました。ここでは様々な役割で活躍された皆様の活動報告をお届けします。
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TOKYO2020選手村での活動について

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辻本 純一(1991年経・経営卒)

パナソニック(株)
担当:東京オリンピック・パラリンピック
   推進本部 選手村プロジェクト
 





■TOKYO2020選手村の開村

振り返ればTOKYO2020大会期間中は、まさに選手村一色の生活でした。

大会スポンサー企業で、2014年から7年間という長期間にわたって選手村の取組みを続けてきたのですが、特に1年延期を経ての開村直前の準備期間は本当に長く感じました。

コロナ禍での大会開催については多方面から色んな声が聞こえてきましたが、関係者・スタッフは迫ってくる開村予定日に向けて、とにかく作業を進めるしかありません。一方で大会関連行事が次々と中止となる中で、ギリギリまで「本当に大会開催されるのか?選手を受入れ出来るのか?」という不安も正直ありました。

そんな中で大掛かりなセレモニーもなく無事?開村となったのですが、開村日以降、少しずつ選手団の入村が始まると、各国の旗や垂れ幕、様々な装飾が宿泊棟に施され、街がどんどん色づいていく様を目の当たりにして、抱いていたモヤモヤとした気分も次第に吹き飛んでいきました。選手たちが村の中を練り歩き、話し声が聞こえるようになると、それまでは、「生活する人がいない、まるで眠っている」街が、TOKYO2020選手村として躍動し始めた!まさにそんな感じでした。

オリンピック開会式当日も現地で選手達がバスで移動するのを見送ったのですが、選手達の本当に楽しそうな姿を見て、「何て贅沢な光景なのだろうか。オリンピックが開催出来てほんと良かった」とスタッフ皆で感動していました。まさに至福の瞬間です。

■大会期間中について

オリンピック選手村は2021713日から8月11日、パラリンピック選手村は8月17日から98日までといったようにそれぞれ開村期間というものがあるのですが、我々スタッフにとっては、とにかく仕事に切れ間が無いという状態です。

大会スポンサー企業のメンバーとして、選手村では本当に様々な施設・設備に携わっていたので大会中はよろず相談窓口といった感じで、まさに「選手村にいること自体が仕事」みたいな状態でした。選手村の敷地は約44haあり、例えてみると少し広さは異なりますが、毎日ディズニーランドを歩き回っているようなイメージです。日陰の少ない選手村で夏を過ごすと、すっかり現場焼け状態です。

ほとんど毎日を選手村で過ごしているのですが、選手村は選手のプライベートな空間なので、職務上以外では、選手に話しかけたりすることは出来ません。

それでも競技会場ではなかなか見ることができない、選手のリラックスした姿をみることができる場に居るというのは本当に貴重な体験です。

例えば、日本では馴染みのある「マッサージチェア」を村内に設置したところ、これが想定以上に大好評で、常に順番待ちという状態でした。リピーター含めて毎日100人以上の選手・関係者に利用してもらったのですが、体格の良い(ちょっといかつい)選手が気持ちよさげに寝落ちしている姿を初めて見ましたが、間違いなく「日本のおもてなし」に満足した瞬間だと確信しました。

マッサージチェアの利用にあたっては、事前の選手への説明や使用ごとの清掃等細かな作業が必要なのですが、ここでもスタッフ、ボランティアの方にとても丁寧に対応して頂きました。選手の中には商品を気に入って「この商品はどこで買えるのですか?」といった質問があり、自主的に某電気店HPを調べて紹介して頂いたりして、そうしたボランティアの皆さんの細かな気遣いもあって施設全体の高い評価につながっているのだと感じました。改めて感謝です。

■大会を終えて

大会が始まるまでの準備期間は、本当に長かったのですが、いざ始まるとあっという間に終ってしまったという印象です。パラリンピック閉会式に向かうバスを見送った時は、本当に泣きそうでした。ほとんどの競技が無観客となり、当初想定した、日本中「街全体が盛り上がるオリンピック・パラリンピック」ではなかったかもしれませんが、間違いなく、選手村には、これまでの大会同様に真剣に競技に取組み、選手村の生活を楽しむ選手たちの姿があったのです。そしてそんな選手村で仕事が出来たことは、本当に贅沢で幸せな体験でした。ありがとうTOKYO2020選手村!

現在は、長く濃い選手村での日々が終わり、オリパラロス状態・・・ではなく、まだ選手村現場での「後片付け」作業を継続しています。

私自身のTOKYO2020選手村は、もうしばらく続くことになりそうです。

パラ活動報告

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鈴木 孝(1970年理・電卒)    
担当:ボッチャ SID(Sport Information Desk)


初めに2020Tokyoオリンピック・パラリンピック(オリパラ)はコロナ禍で1年延期されて、開催に当たっては賛否ありましたが、無事に終わりました。

さて、ここではパラの活動報告を書く訳ですが、当方のオリパラとの出会いから書き進めたいと思います。

 25年前、現役で仕事をしていましたが、長野の冬季五輪に初めての単身赴任で現地に赴き、必死に仕事をしました。本番ではボブスレー・リュージュ競技のIT部長を務めました。そこでは地元企業のボランティアの皆さんの協力もあって無事に大会を終えることが出来て、この時から人の輪、繋がりの大事さを思い知りました。パラでは選手村でノート型端末の管理の地味な仕事でしたが、それなりに楽しかったです。

その後は2回海外での冬季五輪に応援に行き、長野での出会いに感激して橇競技の公式審判員の資格を取得し、毎年クリスマス頃に開催された全日本大会に競技役員として勤めを果たしました。当時の皆さんとは賀状やSNSで繋がっています。これは当方にとっての宝です。

 こうして今回2020Tokyoの招致が決まった段階で、何かのボランティアでお手伝いが出来ればと思っていました。

その後、或る日刊紙面でボッチャ競技の広告が出ていて、咄嗟にこの競技に関わろうと思い、国内審判員の資格を取りました。今は地元のボッチャ協会にも属して、交流大会や普及に微力ですが、お手伝いさせて頂いています。

そんな関係でオリパラのボランティアの応募ではオリはダメでしたが、パラでは大会ボランティア(Field Cast)としてボッチャ競技に選ばれました。

或る財団のパラのワークショップでは積極的に参加し、ロンドンやリオの事例を勉強しました。そして新型コロナの感染拡大で1年延期になり、一時はオリパラ熱も冷めましたが、リモートでの英会話特訓や役割別研修などでやる気が蘇りました。

 先ず、ボッチャ競技では参加選手は116名、25か国。障害の程度によりクラス分けがあり、BC1からBC4に分かれています。競技は個人戦が4つ、ペア戦が2つ、チーム戦が1つの計7つです。選手は全員が車いすで介助がつきます。

組織としては1.競技運営、2.会場運営、3.会場整備があります。更に、1.ではテクニカル系、サービス系に分かれます。当方の担当はボッチャ競技のSID(Sport Information Desk)で前者に属します。

実際にパラの開会式は8月23日でしたが、当方のボランティアは22日が初日で最終が9月4日で都合、10日間勤め上げました。

SIDの仕事は裏方ですが、非常に重要な仕事です。役割は一口で言うと、「各国競技者に対する各種情報提供と問い合わせ窓口」になります。具体的には●ビジョンボックスの管理運営、●競技スケジュールの更新情報、●試合結果の掲示、●プロテスト受付、●競技会場―>選手村バススケジュールの更新情報、●その他各種情報案内、●ストレージの管理運営(SID分室)●リラクゼーションエリアの管理運営(SID分室)です。

 SIDのボランティアは総勢16名で当方が最年長、午前シフトと午後シフトに分けられて、各自の勤務日程が決まっていました。リーダー役の下ではその日の役割が決まります。理学療法士を目指している大学生も居て、皆さん積極的に体を動かしていました。そんな中、当方は出しゃばらず、仕事はこなす、のモードで老若男として接しました。全く年齢は関係ありません。経験がものを言います。こうしてチームワーク良く大会を終えることが出来ました。特にSIDは選手や関係者と身近に接しましたので、"おもてなし"の気持ちで笑顔で挨拶、声掛けで大会がより身近なものになりました。

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 ここで写真を数枚、紹介します。

No1.当方のボランティアのユニフォーム姿で、この後記念写真を撮りました。

No2.リラクゼーションエリアの様子です。選手が思い思いに寛いでいます。

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No3.ボッチャ競技の審判の様子ですが、大変な仕事です。

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No4.或る日のボランティアの食事です。

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最後に今回のボランティアは貴重な経験を務めることが出来ました。期間も長く疲れは蓄積して終盤は大変でした。但し、選手との交流は日に日に増してよかったと思います。

オリパラ後にはボッチャを初めて知って人からは、素晴らしかったよ、の声を聞くと嬉しく良かったと思いました。Boccia万歳です。

今回のオリパラを機会に障害者との共生がうたわれています。日本はこの分野でも遅れているので、共生社会の実現に一歩でも進めばと願っています。

東京2020とSOPHIAと私

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井川 新(2006年外・ポル語卒)

東京オリンピック・パラリンピック
 大会組織委員会マーケティング局







2001年に外国語学部ポルトガル語学科に入学。

在学中はラクロス部に所属して、2006年に卒業しました。

卒業後は、株式会社電通に入社しました。

 

東京2020大会との関わりは、20154月に勤め先の電通から、東京2020大会組織委員会マーケティング局に出向したところからです。もともと東京2020大会には絡みたいと狙っておりましたが、組織委に出向になるとは思ってもいなかったので、寝耳に水で、当時、相当驚きました。

 

私は当初、アカウントマネージャーと呼ばれる、組織委として、スポンサー企業と向き合う窓口の担当になります。

着任早々、新国立競技場の問題や、大会エンブレム撤回、そして、追い込みをかけるように出向元の電通で起きた残業問題、、、

嵐のような日々が続きました。

 

そこで、力を貸して下さり引っ張ってくださったのが、当時、JOC(日本オリンピック委員会)から出向していた細倉マーケティング局次長(現・JOC 常務理事  事務局長)でした。誰よりもストイックに働き、いつも厳しい雰囲気で、なかなか近づき難かったのですが、なんとソフィアの大先輩であると知りました。それをきっかけに、徹底して様々なことをご指導いただきにいきました。おかげさまで、それ以降、スポンサー企業の皆さんと東京2020大会の盛り上がりになる様なことにトライ出来た気がします。

 

組織委に入り時間を経て、少しずつ余裕が出来て、見えてきたことがありました。意外にも組織委にソフィアファミリーが多いこと!ソフィア会をやって行こう、という運びになり、部署の先輩と幹事をやり、JOCからの皆さまにもお声がけしたり、初回、大盛り上がりに終わり、会を重ねて、一気に組織委の色々な部署に味方を作って行けた気がします。

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20188月、ブランド開発およびベニュー統括チームの課長を拝命しました。より大会運営ど真ん中の部署になります。

まずは、東京大会を彩るブランドプロパティを開発するのがミッションでした。エンブレム、マスコット、コアグラフィックス(これを元に大会装飾が作られる)、ピクトグラム、トーチ、メダル、ボランティアが着るユニフォームなどなど、皆さんがテレビや街で見ていただいた、その開発現場の裏には私のいた部署がありました。


それを終えると、次の、そして最大のミッション、その完成したブランドプロパティをオリパラ合わせて43会場の各競技会場にインストールするという史上空前のプロジェクトを完成させるということに取り組みます。上智大学で学び、社会人になってからも鍛えたコミュニケーション能力を持って、とにかく思惑の違う多くの人々と出来る限り平易な言葉での共通言語を持って、会話していくことを心がけました。20202月にはギリギリ、ベニューの大会ルック計画を、組織委、東京都、国と合意をすることが出来て、さぁ、ここから、海外のステークホルダーと向かい合って行くために、一気に作業を進めようという所まで持って来れました。

 

しかし、20203月大会延期の決定、、、

ここでは書ききれないくらい、かなり落ち込みましたが、ひたすらに、一年後、実現させるんだという思いを強く持ち、今まで以上に丁寧に丁寧に仕事を積み重ねて行きました。


そして、とうとう、開会式にたどり着いた時、本当にここでは書き切れないくらい苦労があった分、信じられない位の涙が溢れて来ました。ただ、開会しただけなのに、、、


が、しかし、開会しても、結局、バタバタは続き、一気にまた現実に引き戻され、95日のパラリンピック閉会式までは完全に息つく事はできませんでした。

 

大会が終わり早一か月以上たつ今、大会ももちろん、ここまでの思い出が走馬燈のようにめぐる日々で少し抜け殻になっています。


上智大学関係者の皆様に、お伝えするには拙い文章ではありましたが、こうやって、上智大学のOBが、他の卒業生とともに、世界が注目した東京2020オリンピック、パラリンピックの裏にいて支えていたことを、少しでも伝えることができていたら幸いです。


今後も、この経験を糧に、楽しいプロジェクトに入っていって、また、そこでも上智大学OGOBの皆様といい仕事をしていければと思っております。


選手村ネイルサロン通訳ボランティア

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川田リカ(1983年外・ポル語卒)

 担当:選手村ネイルサロン

     通訳ボランティア


オリンピック開会式前の713日からパラリンピック閉会式後の98日までの約2ヶ月間、オリンピック選手村のビレッジプラザ内にオープンしたネイルサロンで、上智大学の卒業生9名、学生20名が通訳ボランティアとして活躍しました。ネイルサロンは午前9時から午後9時までの営業、通訳ボランティアは、前半2名後半2名のシフトで交代しての活動でした。オリンピック選手がネイルをするのだろうか?と少し心配したのも束の間、ネイルサロンは連日大盛況で、一時は行列ができるほどでした。ネイルサロンにはブースが4卓あり、すべてのお客様の通訳を担当したので、お客様が集中したときは、あちこちから呼ばれてかなりの忙しさでした。

オリンピック選手といえど、一部の競技を除けばネイルは認められているようで、世界各国の選手たちが連日来店しました。選手たちは基本的には、選手村と競技場の往復だけで、外出は許されていないので、ネイルサロンで爪を整え、美しくマニキュアをしてもらえると、テンションも上がったようです。自国のナショナルカラーや国旗の色、デザインで美しくマニキュアされた爪を、自分のSNSにアップしている選手も多く、たくさんのいいね!を獲得していました。また、ネイルサロンで可愛いデザインネイルをしたり、金メダルのネイルシールを貼った選手たちが、本当に金メダルに輝き、私たちも嬉しい驚きにあふれました。

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訳ボランティアの仕事は、来店した選手を迎え、会計、フォーム記入の後、各ブースに案内します。爪の長さ、形、色、デザインの希望を聞き、ネイリストに伝えます。ネイルの施術は1時間ほどかかりますので、話し好きの選手は、通訳の私たちとおしゃべりすることもあります。自分の競技の話、家族の話、日本の印象など、ときには自分のSNSやスマホのカメラロールの写真を見せながら、説明してくれます。オフの時間の選手たちは、明るい選手、穏やかな選手、おとなしい選手、いろいろな選手がいらっしゃいますが、テレビでその選手たちの競技を見ると、スイッチの入った選手たちは別人のように集中していて、凜と美しく輝いていました。もちろん私たちは、ネイルサロンに来店した選手たちを、全力で応援しました。

このような貴重な機会を経験することができたのは、上智大学のソフィアオリンピック・パラリンピックプロジェクト(https://dept.sophia.ac.jp/pj/beyond2020sopp/からの呼びかけでした。ソフィアオリンピック・パラリンピックプロジェクトに深く感謝するとともに、これからの活動にも盛大な応援を送りたいと思います。また、コロナ渦の状況の中、ボランティアとして通訳を引き受けてくださった、上智大学の卒業生、学生のメンバーのみなさま、大変おつかれさまでした。30度を優に超える真夏の日々に、選手村に通って熱い時間を共有できたことは、一生の思い出になったことと思います。ありがとうございました。

 

 

東京2020大会体験記

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川上 和哉(1984年法・法卒)
担当:ボランティア面談員
   パラリンピック車椅子バスケット
    (スポーツインフォメーション)
   パラリンピックマラソン(コース管理)




95日、未明から降り始めた雨の中、東京2020最終日は東京ドーム前でのパラリンピックマラソンボランティアとして迎えました。昔から雨男雨男と言われ続けてきた私ですが、山あり谷あり(ばっかり())の東京2020ボランティア活動の再終幕で雨を呼び込んでしまう引きの強さに苦笑を禁じえませんでした。

 以前から携わってきた東京マラソン財団からボランティア面談員に推薦いただき、201812月の説明会で私のボランティア・ジャーニーは始まりました。翌年2月頃から始まった有楽町スポーツスクエアでのボランティア向けイベントでの説明役です。その時にお会いしたほとんどすべての方からいただいた質問「いつ頃役割が決まるんですか?」 模範解答は、「具体的な役割は2020年の3月くらいにはご連絡できる予定です」でした。(遠い目...

その時には、実施までにこれほど長い時間がかかり、これほどいろいろなことが起こるとは夢にも思ってもいませんでした。

まずはラグビーワールドカップのボランティアに従事していたちょうどその頃、マラソン開催地が札幌に変更。2019年のマラソングランドチャンピオンシップのボランティア参加で着々と準備を進めていたのに、無くなってしまうなんて。そしてコロナウィルス感染症蔓延による一年延期

延期の上にオリンピックでの活動は無しになってしまうのかなと悲観的になっていたら、横浜スタジアムでのソフトボール・野球競技のファーストレスポンダー(救急スタッフ)のオファーがあり、ほっと一息。ところが開催直前に決まった無観客開催に伴い、現地でのベニュートレーニングの場で活動無しの通告を受けて再び奈落の底へ。ソフトボール・野球両競技とも日本が劇的な試合で優勝しました。「本当だったらあの決勝の場にいられたのに..」とテレビの前で優勝を喜びながら複雑な思いでいっぱいでした。

 そんな下りばかりのジェットコースターのような紆余曲折を経て迎えたパラリンピック、2017年の総理大臣杯のお手伝いをしたご縁でお声掛けいただいた車いすバスケットボールの競技スタッフとして参加しました。

選手のお役に立ちたいという動機で希望した競技スタッフ。担当は有明アリーナでの「スポーツ・インフォメーション」チームでした。一言で表すと大会本部と各国選手の接点のような役割で、ルーティンとして決まっているのはチームへの試合映像を記録したUSBを手渡すことくらいで、その他は各種の問い合わせ対応がメイン。と言ってもマニュアルがある訳ではなく、受けた質問について自分たちで調べてその回答を基にQ&A集を作ることから始めるような手探り状態。。コピー用紙に手書きのマニュアルは、最終的に20ページ分くらいになりました。そんな業務の傍ら、「せっかく世界中から来てくれる選手たちに楽しんでもらおう」とサービス精神満載のチームメンバーは多士済々。各国の国旗の折紙で鶴を折ったり、事務連絡用のホワイトボードに有明アリーナの全景と選手へのメッセージを描き(書き)込んだりして、殺風景だったサイトが日に日にカラフルに。。これには本部も想定外だったようで、毎日のように視察に訪れては「いいですね」と声をかけてくださいました。

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また選手への食事の手渡し拠点にもなっており、各国の事情やお国柄が垣間見えて楽しかったです。コロナ関連で非常に厳しく管理されている国はミニマムの注文で、かつ取りに来ないこともありました。一方では食事が待ちきれず選手一人ひとりが勝手に我々のサイトの中にまで乗り込んで来て余っているほかの国の分まで欲しがるような国もあり、対策としてバリケードを築かなければならないような事態もありました。またスポーツ・インフォメーションチームには、メンバーの中に複数の車いす利用者の方がいらして、活動を通じて意識せずに自然と対応ができるようになったのは大きな学びでした。また元選手やクラブのメンバーがいらしたため、選手やチームの情報を教えてもらい、日ごとに試合を見る楽しみが増えていきました。メンバーの大半はボランティア活動が初めてで、中には京都や名古屋から期間中ホテルなどに泊まり込んで参加されている人もいました。そんなメンバーさんに囲まれて、リーダーとしての仕事は活動や食事が固定した顔ぶれにならないように毎日シフトを組み替えたり、じゃんけんで決めたりとみんなに楽しんで活動してもらえるようにするくらいでした。

大会が始まった頃は厳しい残暑で、太陽を恨めしく思いながら豊洲の駅から木陰を伝いながら通った道も、終盤は秋らしくまた雨も多くなり少し寂しく感じながらもメンバーと一緒に活動できるのが楽しみで通いました。日本チームは男女とも決勝リーグに進出、特に男子は決勝でアメリア相手にあと一歩で勝利という大活躍を演じました。そんな感動を近くでボランティアメンバーと一緒に経験できたのは、一年延期されオリンピックでの活動がなくなってしまった不運を差し引いてもとても貴重な体験でした。

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活動を終了して約1か月が経っていますが、この文章を書く中でいろいろ記憶を呼び起こしながら懐かしく噛みしめています。中には次のパリ大会での参加を目ざして活動を始めたメンバーもいますが、私も第二外国語でやったきりご無沙汰のフランス語を最近再開したことを皆さんにお伝えして筆を擱きたいと思います。♪Votre toast je peux vous le rendre. Señors, señors, car avec les soldats...


TOKYO2020オリンピック・パラリンピック大会
に関するアンケートへのご協力のお願い

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国立競技場完成.png

ソフィア会オリンピック・パラリンピック支援特別委員会では、東京2020オリンピック・パラリンピック大会の運営に関わられた上智大学卒業生の皆様が、大会をどのように感じ、関わったのかを伺うことで、大会の振り返りと、今後の委員会の企画の参考にさせていただきたく、アンケートを実施することといたしました。

アンケートの回答にご協力いただきますよう、お願いいたします。

(ボランティアとして参加予定も無観客により活動のなかった方も回答へのご協力をお願いします。)

本アンケート調査の所要時間は約1015分です。
回答期限/20211110日(水)

 

アンケートフォームはコチラ

     ↓

https://forms.gle/eYQWd8wucrqWycyg8

 


写真など

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