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今回の企画は、世界最大のスポーツ祭典という共通の関心が集まる機会に、中国ソフィア会のメンバーにオリパラ会場内に設置される、各国のNOC(National Olympic Committee)ハウスやスポンサー企業等のホスピタリティーハウスを訪問し、日本のソフィアンと交流するという発想からのスタートでした。
大会開催の直前まで、私の会社の北京支店と大会開催の状況を逐一調査しながら準備してきましたが、残念ながら、北京大会も無観客開催となりました。このような状況下でも、中国在住ソフィアンとの交流の場の実現に向けた代案を練り、中国人卒業生の同窓会「華鷲会(カジュ)ソフィア会」とのオンライン交流会の実現に至りました。開催日を大会期間中の2月11日とし、大会に関するテーマに沿った情報交換と、同会メンバーとの親睦を図ることを目的とし、中国各都市より会員11名、日本側はソフィア会鳥居会長、国際委員会、オリパラ委員会有志他関係者と北京で取材中の共同通信井上記者・NHK鳥海アナウンサー(共に新聞学科卒)、そしてオリパラ学生プロジェクトGo Beyond有志の計26名、総勢 37名のソフィアンにご参加いただきました。Go Beyondの学生からは、「皆、先輩ばかりなので最初は緊張しましたが、直に中国の方々とお話ができて楽しかった」「今後は、中国人留学生との交流を盛んにしていきたい」等沢山の声をいただきました。また、鳥海アナ・井上記者は、国際放送センターの食堂などの様子を中継してくれました。中国各都市からは、一般市民の方々の様子や今年開業予定の世界最大級の屋内型スキーリゾート施設「ウィンタースター上海」の最新情報など様々なトピックスを提供いただき、あっと言う間の2時間の交流会でした。
今回の企画は、コロナ禍での開催でしたが、皮肉にもコロナがなければ成し得なかった企画であったかも知れません。コロナ禍による社会の変容は、決して否定的なものとばかりに考えるのでなく、これを常にポジティブ思考に捉え、今後の海外ソフィア会との交流の更なる発展に向けて、今回の試みを活かしていければと思います。
企画担当者:新村 誠 (1983年文英卒)
世界最大の室内ゲレンデ「ウィンタースター上海」(東方網日本語Webサイトより)
アンケートのご協力、ありがとうございました。結果を下記リンクにて共有させていただきました。
皆様の回答は振り返りの企画に反映させていただきます。
また多数の方に企画への協力をお申し出いただきましたことを心よりお礼申し上げます。
全員の方にご登壇いただけないことを何卒ご了承ください。
https://docs.google.com/presentation/d/1TvIHZrM0GTdRgoHqTUGQBm4GThiq72T5/edit?usp=sharing&ouid=103151952790239979237&rtpof=true&sd=true
■TOKYO2020選手村の開村
振り返ればTOKYO2020大会期間中は、まさに選手村一色の生活でした。
大会スポンサー企業で、2014年から7年間という長期間にわたって選手村の取組みを続けてきたのですが、特に1年延期を経ての開村直前の準備期間は本当に長く感じました。
コロナ禍での大会開催については多方面から色んな声が聞こえてきましたが、関係者・スタッフは迫ってくる開村予定日に向けて、とにかく作業を進めるしかありません。一方で大会関連行事が次々と中止となる中で、ギリギリまで「本当に大会開催されるのか?選手を受入れ出来るのか?」という不安も正直ありました。
そんな中で大掛かりなセレモニーもなく無事?開村となったのですが、開村日以降、少しずつ選手団の入村が始まると、各国の旗や垂れ幕、様々な装飾が宿泊棟に施され、街がどんどん色づいていく様を目の当たりにして、抱いていたモヤモヤとした気分も次第に吹き飛んでいきました。選手たちが村の中を練り歩き、話し声が聞こえるようになると、それまでは、「生活する人がいない、まるで眠っている」街が、TOKYO2020選手村として躍動し始めた!まさにそんな感じでした。
オリンピック開会式当日も現地で選手達がバスで移動するのを見送ったのですが、選手達の本当に楽しそうな姿を見て、「何て贅沢な光景なのだろうか。オリンピックが開催出来てほんと良かった」とスタッフ皆で感動していました。まさに至福の瞬間です。
■大会期間中について
オリンピック選手村は2021年7月13日から8月11日、パラリンピック選手村は8月17日から9月8日までといったようにそれぞれ開村期間というものがあるのですが、我々スタッフにとっては、とにかく仕事に切れ間が無いという状態です。
大会スポンサー企業のメンバーとして、選手村では本当に様々な施設・設備に携わっていたので大会中はよろず相談窓口といった感じで、まさに「選手村にいること自体が仕事」みたいな状態でした。選手村の敷地は約44haあり、例えてみると少し広さは異なりますが、毎日ディズニーランドを歩き回っているようなイメージです。日陰の少ない選手村で夏を過ごすと、すっかり現場焼け状態です。
ほとんど毎日を選手村で過ごしているのですが、選手村は選手のプライベートな空間なので、職務上以外では、選手に話しかけたりすることは出来ません。
それでも競技会場ではなかなか見ることができない、選手のリラックスした姿をみることができる場に居るというのは本当に貴重な体験です。
例えば、日本では馴染みのある「マッサージチェア」を村内に設置したところ、これが想定以上に大好評で、常に順番待ちという状態でした。リピーター含めて毎日100人以上の選手・関係者に利用してもらったのですが、体格の良い(ちょっといかつい)選手が気持ちよさげに寝落ちしている姿を初めて見ましたが、間違いなく「日本のおもてなし」に満足した瞬間だと確信しました。
マッサージチェアの利用にあたっては、事前の選手への説明や使用ごとの清掃等細かな作業が必要なのですが、ここでもスタッフ、ボランティアの方にとても丁寧に対応して頂きました。選手の中には商品を気に入って「この商品はどこで買えるのですか?」といった質問があり、自主的に某電気店HPを調べて紹介して頂いたりして、そうしたボランティアの皆さんの細かな気遣いもあって施設全体の高い評価につながっているのだと感じました。改めて感謝です。
■大会を終えて
大会が始まるまでの準備期間は、本当に長かったのですが、いざ始まるとあっという間に終ってしまったという印象です。パラリンピック閉会式に向かうバスを見送った時は、本当に泣きそうでした。ほとんどの競技が無観客となり、当初想定した、日本中「街全体が盛り上がるオリンピック・パラリンピック」ではなかったかもしれませんが、間違いなく、選手村には、これまでの大会同様に真剣に競技に取組み、選手村の生活を楽しむ選手たちの姿があったのです。そしてそんな選手村で仕事が出来たことは、本当に贅沢で幸せな体験でした。ありがとうTOKYO2020選手村!
現在は、長く濃い選手村での日々が終わり、オリパラロス状態・・・ではなく、まだ選手村現場での「後片付け」作業を継続しています。
私自身のTOKYO2020選手村は、もうしばらく続くことになりそうです。
初めに2020Tokyoオリンピック・パラリンピック(オリパラ)はコロナ禍で1年延期されて、開催に当たっては賛否ありましたが、無事に終わりました。
さて、ここではパラの活動報告を書く訳ですが、当方のオリパラとの出会いから書き進めたいと思います。
約25年前、現役で仕事をしていましたが、長野の冬季五輪に初めての単身赴任で現地に赴き、必死に仕事をしました。本番ではボブスレー・リュージュ競技のIT部長を務めました。そこでは地元企業のボランティアの皆さんの協力もあって無事に大会を終えることが出来て、この時から人の輪、繋がりの大事さを思い知りました。パラでは選手村でノート型端末の管理の地味な仕事でしたが、それなりに楽しかったです。
その後は2回海外での冬季五輪に応援に行き、長野での出会いに感激して橇競技の公式審判員の資格を取得し、毎年クリスマス頃に開催された全日本大会に競技役員として勤めを果たしました。当時の皆さんとは賀状やSNSで繋がっています。これは当方にとっての宝です。
こうして今回2020Tokyoの招致が決まった段階で、何かのボランティアでお手伝いが出来ればと思っていました。
その後、或る日刊紙面でボッチャ競技の広告が出ていて、咄嗟にこの競技に関わろうと思い、国内審判員の資格を取りました。今は地元のボッチャ協会にも属して、交流大会や普及に微力ですが、お手伝いさせて頂いています。
そんな関係でオリパラのボランティアの応募ではオリはダメでしたが、パラでは大会ボランティア(Field Cast)としてボッチャ競技に選ばれました。
或る財団のパラのワークショップでは積極的に参加し、ロンドンやリオの事例を勉強しました。そして新型コロナの感染拡大で1年延期になり、一時はオリパラ熱も冷めましたが、リモートでの英会話特訓や役割別研修などでやる気が蘇りました。
先ず、ボッチャ競技では参加選手は116名、25か国。障害の程度によりクラス分けがあり、BC1からBC4に分かれています。競技は個人戦が4つ、ペア戦が2つ、チーム戦が1つの計7つです。選手は全員が車いすで介助がつきます。
組織としては1.競技運営、2.会場運営、3.会場整備があります。更に、1.ではテクニカル系、サービス系に分かれます。当方の担当はボッチャ競技のSID(Sport Information Desk)で前者に属します。
実際にパラの開会式は8月23日でしたが、当方のボランティアは22日が初日で最終が9月4日で都合、10日間勤め上げました。
SIDの仕事は裏方ですが、非常に重要な仕事です。役割は一口で言うと、「各国競技者に対する各種情報提供と問い合わせ窓口」になります。具体的には●ビジョンボックスの管理運営、●競技スケジュールの更新情報、●試合結果の掲示、●プロテスト受付、●競技会場―>選手村バススケジュールの更新情報、●その他各種情報案内、●ストレージの管理運営(SID分室)、●リラクゼーションエリアの管理運営(SID分室)です。
SIDのボランティアは総勢16名で当方が最年長、午前シフトと午後シフトに分けられて、各自の勤務日程が決まっていました。リーダー役の下ではその日の役割が決まります。理学療法士を目指している大学生も居て、皆さん積極的に体を動かしていました。そんな中、当方は出しゃばらず、仕事はこなす、のモードで老若男として接しました。全く年齢は関係ありません。経験がものを言います。こうしてチームワーク良く大会を終えることが出来ました。特にSIDは選手や関係者と身近に接しましたので、"おもてなし"の気持ちで笑顔で挨拶、声掛けで大会がより身近なものになりました。
ここで写真を数枚、紹介します。
No1.当方のボランティアのユニフォーム姿で、この後記念写真を撮りました。
No2.リラクゼーションエリアの様子です。選手が思い思いに寛いでいます。
No3.ボッチャ競技の審判の様子ですが、大変な仕事です。
No4.或る日のボランティアの食事です。
オリパラ後にはボッチャを初めて知って人からは、素晴らしかったよ、の声を聞くと嬉しく良かったと思いました。Boccia万歳です。
今回のオリパラを機会に障害者との共生がうたわれています。日本はこの分野でも遅れているので、共生社会の実現に一歩でも進めばと願っています。
2001年に外国語学部ポルトガル語学科に入学。
在学中はラクロス部に所属して、2006年に卒業しました。
卒業後は、株式会社電通に入社しました。
東京2020大会との関わりは、2015年4月に勤め先の電通から、東京2020大会組織委員会マーケティング局に出向したところからです。もともと東京2020大会には絡みたいと狙っておりましたが、組織委に出向になるとは思ってもいなかったので、寝耳に水で、当時、相当驚きました。
私は当初、アカウントマネージャーと呼ばれる、組織委として、スポンサー企業と向き合う窓口の担当になります。
着任早々、新国立競技場の問題や、大会エンブレム撤回、そして、追い込みをかけるように出向元の電通で起きた残業問題、、、
嵐のような日々が続きました。
そこで、力を貸して下さり引っ張ってくださったのが、当時、JOC(日本オリンピック委員会)から出向していた細倉マーケティング局次長(現・JOC 常務理事 兼 事務局長)でした。誰よりもストイックに働き、いつも厳しい雰囲気で、なかなか近づき難かったのですが、なんとソフィアの大先輩であると知りました。それをきっかけに、徹底して様々なことをご指導いただきにいきました。おかげさまで、それ以降、スポンサー企業の皆さんと東京2020大会の盛り上がりになる様なことにトライ出来た気がします。
組織委に入り時間を経て、少しずつ余裕が出来て、見えてきたことがありました。意外にも組織委にソフィアファミリーが多いこと!ソフィア会をやって行こう、という運びになり、部署の先輩と幹事をやり、JOCからの皆さまにもお声がけしたり、初回、大盛り上がりに終わり、会を重ねて、一気に組織委の色々な部署に味方を作って行けた気がします。
2018年8月、ブランド開発およびベニュー統括チームの課長を拝命しました。より大会運営ど真ん中の部署になります。
まずは、東京大会を彩るブランドプロパティを開発するのがミッションでした。エンブレム、マスコット、コアグラフィックス(これを元に大会装飾が作られる)、ピクトグラム、トーチ、メダル、ボランティアが着るユニフォームなどなど、皆さんがテレビや街で見ていただいた、その開発現場の裏には私のいた部署がありました。
それを終えると、次の、そして最大のミッション、その完成したブランドプロパティをオリパラ合わせて43会場の各競技会場にインストールするという史上空前のプロジェクトを完成させるということに取り組みます。上智大学で学び、社会人になってからも鍛えたコミュニケーション能力を持って、とにかく思惑の違う多くの人々と出来る限り平易な言葉での共通言語を持って、会話していくことを心がけました。2020年2月にはギリギリ、ベニューの大会ルック計画を、組織委、東京都、国と合意をすることが出来て、さぁ、ここから、海外のステークホルダーと向かい合って行くために、一気に作業を進めようという所まで持って来れました。
しかし、2020年3月大会延期の決定、、、
ここでは書ききれないくらい、かなり落ち込みましたが、ひたすらに、一年後、実現させるんだという思いを強く持ち、今まで以上に丁寧に丁寧に仕事を積み重ねて行きました。
そして、とうとう、開会式にたどり着いた時、本当にここでは書き切れないくらい苦労があった分、信じられない位の涙が溢れて来ました。ただ、開会しただけなのに、、、
が、しかし、開会しても、結局、バタバタは続き、一気にまた現実に引き戻され、9月5日のパラリンピック閉会式までは完全に息つく事はできませんでした。
大会が終わり早一か月以上たつ今、大会ももちろん、ここまでの思い出が走馬燈のようにめぐる日々で少し抜け殻になっています。
上智大学関係者の皆様に、お伝えするには拙い文章ではありましたが、こうやって、上智大学のOBが、他の卒業生とともに、世界が注目した東京2020オリンピック、パラリンピックの裏にいて支えていたことを、少しでも伝えることができていたら幸いです。
今後も、この経験を糧に、楽しいプロジェクトに入っていって、また、そこでも上智大学OG、OBの皆様といい仕事をしていければと思っております。
川田リカ(1983年外・ポル語卒)
担当:選手村ネイルサロン
通訳ボランティア
オリンピック開会式前の7月13日からパラリンピック閉会式後の9月8日までの約2ヶ月間、オリンピック選手村のビレッジプラザ内にオープンしたネイルサロンで、上智大学の卒業生9名、学生20名が通訳ボランティアとして活躍しました。ネイルサロンは午前9時から午後9時までの営業、通訳ボランティアは、前半2名後半2名のシフトで交代しての活動でした。オリンピック選手がネイルをするのだろうか?と少し心配したのも束の間、ネイルサロンは連日大盛況で、一時は行列ができるほどでした。ネイルサロンにはブースが4卓あり、すべてのお客様の通訳を担当したので、お客様が集中したときは、あちこちから呼ばれてかなりの忙しさでした。
オリンピック選手といえど、一部の競技を除けばネイルは認められているようで、世界各国の選手たちが連日来店しました。選手たちは基本的には、選手村と競技場の往復だけで、外出は許されていないので、ネイルサロンで爪を整え、美しくマニキュアをしてもらえると、テンションも上がったようです。自国のナショナルカラーや国旗の色、デザインで美しくマニキュアされた爪を、自分のSNSにアップしている選手も多く、たくさんのいいね!を獲得していました。また、ネイルサロンで可愛いデザインネイルをしたり、金メダルのネイルシールを貼った選手たちが、本当に金メダルに輝き、私たちも嬉しい驚きにあふれました。
通訳ボランティアの仕事は、来店した選手を迎え、会計、フォーム記入の後、各ブースに案内します。爪の長さ、形、色、デザインの希望を聞き、ネイリストに伝えます。ネイルの施術は1時間ほどかかりますので、話し好きの選手は、通訳の私たちとおしゃべりすることもあります。自分の競技の話、家族の話、日本の印象など、ときには自分のSNSやスマホのカメラロールの写真を見せながら、説明してくれます。オフの時間の選手たちは、明るい選手、穏やかな選手、おとなしい選手、いろいろな選手がいらっしゃいますが、テレビでその選手たちの競技を見ると、スイッチの入った選手たちは別人のように集中していて、凜と美しく輝いていました。もちろん私たちは、ネイルサロンに来店した選手たちを、全力で応援しました。
このような貴重な機会を経験することができたのは、上智大学のソフィアオリンピック・パラリンピックプロジェクト(https://dept.sophia.ac.jp/pj/beyond2020sopp/)からの呼びかけでした。ソフィアオリンピック・パラリンピックプロジェクトに深く感謝するとともに、これからの活動にも盛大な応援を送りたいと思います。また、コロナ渦の状況の中、ボランティアとして通訳を引き受けてくださった、上智大学の卒業生、学生のメンバーのみなさま、大変おつかれさまでした。30度を優に超える真夏の日々に、選手村に通って熱い時間を共有できたことは、一生の思い出になったことと思います。ありがとうございました。
9月5日、未明から降り始めた雨の中、東京2020最終日は東京ドーム前でのパラリンピックマラソンボランティアとして迎えました。昔から雨男雨男と言われ続けてきた私ですが、山あり谷あり(ばっかり(笑))の東京2020ボランティア活動の再終幕で雨を呼び込んでしまう引きの強さに苦笑を禁じえませんでした。
その時には、実施までにこれほど長い時間がかかり、これほどいろいろなことが起こるとは夢にも思ってもいませんでした。
まずはラグビーワールドカップのボランティアに従事していたちょうどその頃、マラソン開催地が札幌に変更。2019年のマラソングランドチャンピオンシップのボランティア参加で着々と準備を進めていたのに、無くなってしまうなんて⤵。そしてコロナウィルス感染症蔓延による一年延期⤵。
延期の上にオリンピックでの活動は無しになってしまうのかなと悲観的になっていたら、横浜スタジアムでのソフトボール・野球競技のファーストレスポンダー(救急スタッフ)のオファーがあり、ほっと一息⤴。ところが開催直前に決まった無観客開催に伴い、現地でのベニュートレーニングの場で活動無しの通告を受けて再び奈落の底へ⤵。ソフトボール・野球両競技とも日本が劇的な試合で優勝しました。「本当だったらあの決勝の場にいられたのに..」とテレビの前で優勝を喜びながら複雑な思いでいっぱいでした。
選手のお役に立ちたいという動機で希望した競技スタッフ。担当は有明アリーナでの「スポーツ・インフォメーション」チームでした。一言で表すと大会本部と各国選手の接点のような役割で、ルーティンとして決まっているのはチームへの試合映像を記録したUSBを手渡すことくらいで、その他は各種の問い合わせ対応がメイン。と言ってもマニュアルがある訳ではなく、受けた質問について自分たちで調べてその回答を基にQ&A集を作ることから始めるような手探り状態。。コピー用紙に手書きのマニュアルは、最終的に20ページ分くらいになりました。そんな業務の傍ら、「せっかく世界中から来てくれる選手たちに楽しんでもらおう」とサービス精神満載のチームメンバーは多士済々。各国の国旗の折紙で鶴を折ったり、事務連絡用のホワイトボードに有明アリーナの全景と選手へのメッセージを描き(書き)込んだりして、殺風景だったサイトが日に日にカラフルに。。これには本部も想定外だったようで、毎日のように視察に訪れては「いいですね」と声をかけてくださいました。
また選手への食事の手渡し拠点にもなっており、各国の事情やお国柄が垣間見えて楽しかったです。コロナ関連で非常に厳しく管理されている国はミニマムの注文で、かつ取りに来ないこともありました。一方では食事が待ちきれず選手一人ひとりが勝手に我々のサイトの中にまで乗り込んで来て余っているほかの国の分まで欲しがるような国もあり、対策としてバリケードを築かなければならないような事態もありました。またスポーツ・インフォメーションチームには、メンバーの中に複数の車いす利用者の方がいらして、活動を通じて意識せずに自然と対応ができるようになったのは大きな学びでした。また元選手やクラブのメンバーがいらしたため、選手やチームの情報を教えてもらい、日ごとに試合を見る楽しみが増えていきました。メンバーの大半はボランティア活動が初めてで、中には京都や名古屋から期間中ホテルなどに泊まり込んで参加されている人もいました。そんなメンバーさんに囲まれて、リーダーとしての仕事は活動や食事が固定した顔ぶれにならないように毎日シフトを組み替えたり、じゃんけんで決めたりとみんなに楽しんで活動してもらえるようにするくらいでした。
大会が始まった頃は厳しい残暑で、太陽を恨めしく思いながら豊洲の駅から木陰を伝いながら通った道も、終盤は秋らしくまた雨も多くなり少し寂しく感じながらもメンバーと一緒に活動できるのが楽しみで通いました。日本チームは男女とも決勝リーグに進出、特に男子は決勝でアメリア相手にあと一歩で勝利という大活躍を演じました。そんな感動を近くでボランティアメンバーと一緒に経験できたのは、一年延期されオリンピックでの活動がなくなってしまった不運を差し引いてもとても貴重な体験でした。
活動を終了して約1か月が経っていますが、この文章を書く中でいろいろ記憶を呼び起こしながら懐かしく噛みしめています。中には次のパリ大会での参加を目ざして活動を始めたメンバーもいますが、私も第二外国語でやったきりご無沙汰のフランス語を最近再開したことを皆さんにお伝えして筆を擱きたいと思います。♪Votre toast je peux vous le rendre. Señors, señors, car avec les soldats...♪
ウェビナー開催報告
「コロナ禍に考える:スポーツのチカラと難民アスリート」
2021 年 2 月 23 日、ソフィア会(オリンピック・パラリンピック支援特別委員会)・上智大学・UNHCR 駐日事務所、国連 UNHCR 協会共催ウェビナー「コロナ禍に考える:スポーツのチカラと難民アスリート」が開催されました。
曄道学長の開会の挨拶に続いて、UNHCR 駐日事務所のディアナ・ビティティ氏が「スポーツと難民保護」をテーマに基調講演を行いました。UNHCRの活動や果たしている役割、難民の現状などについて語り、スポーツが難民保護や受け入れコミュニティとの関係構築のために重要な役割を果たしていることについて説明がありました。リオ五輪で初めて結成された「難民選手団」にも触れ、難民アスリートの活躍が全世界の難民の希望になっていることも紹介されました。
続いて、国連
UNHCR
協会報道ディレクターも務めるキャスターの長野智子氏(85年外英卒)をモデレーターに迎え、ビティティ氏、元オリンピック・マラソン選手の瀬古利彦氏、藤井里奈さん(外独4年在学)が参加し、パネルディスカッションを行いました。
瀬古氏はマラソン選手としての経験を通じて、藤井さんはドイツ留学中に難民キャンプでのボランティア経験を踏まえて、それぞれの難民とのかかわりをもとに、スポーツの持つチカラとは?難民にとってのスポーツとは?日本人、とりわけ若い人が難民問題にどう関わるのか?について活発な議論が交わされました。
難民の半分以上が
18
歳未満であることから「若者に対するスポーツの取り組みは重要であり、スポーツが原動力となり自信や生き抜くチカラにつながっている。すべての人が平等にスポーツにアクセスできる環境が大切」とビティティ氏は伝えていました。
最後にソフィア会鳥居会長が、UNHCRの活動への敬意と共に、世界の現状に対して関心を高める必要性について語り、「日本から支援の輪が広がっていくことを願っている」との閉会の言葉を寄せました。
チャットにも多数の質問が寄せられ、参加者の関心の高さがうかがわれました。
本ウェビナーでは難民たちがどのような環境下にあり、その中でスポーツが難民支援の現場でどのような役割を果たしているのかについて考える機会となりました。その上で私たちが関心を持つこと、伝えていくことの重要性を強く訴えるものとなりました。
本イベントのアーカイブはこちらから。 https://youtu.be/9r8Mes5-ElQ
6月28日(木)6-101教室にて世界のトップアスリートの映像とパラアスリートに出会えるイベント、WOWOW×上智大学「PARA-SPORTS NIGHT」が開催されました。
国際パラリンピック委員会(IPC)とWOWOWが共同で立ち上げたパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。「これが自分だ!」という強烈な個性と魅力が画面いっぱいに広がり、観ている人すべてを押し包む。アスリートたちの魅力に迫ったドキュメンタリー映像を番組プロデューサーが取材秘話を交えながら紹介くれました。
後半は東京2020パラリンピック競技大会で大注目のブラインドサッカーを取り上げ、ブラインドサッカー協会の方や日本代表選手によるトークや体験プログラム、そしてすばらしい実技が披露されました。7月8日に開催される日本選手権決勝もぜひ生観戦したくなりました。
オリパラ委員会 松本明子
2018年6月19日(火)上智大学6号館101教室にてラグビーワールドカップ2019ボランティア募集説明会が(主催:ラグビーワールドカップ2019組織委員会 協力:公益社団法人全国大学体育連合・上智大学)開催されました。
ロシアで開催されているサッカーワールドカップの日本初戦の夜ということもあり、来場者数が懸念されましたが、800人定員の教室は座席が足りず、立見の人も出て、また6号館の外に入場できない人が溢れてしまうほどの賑わいでした。来年、日本で初めて開催されるラグビーのビッグイベントへの関心の高さを見せつける説明会となりました。
組織委員会の方からボランティア募集に向けての概要説明の後、参加者からは熱心な質問が飛び、参加した皆様のボランティア参加へ向けての熱意が伝わってきました。
閉会後、上智の学生たちは学生センターがこの日のために特別に準備をしたアクティブ・コモンズ(旧9号館カフェテリア)でのサッカーワールドカップ日本VSコロンビア戦のモニター観戦への席を移し、心を一つにして応援し、勝利に歓喜の声を上げていました。
オリパラ委員会 松本明子
「オリンピック・パラリンピックで日本が目指すものは何か?」
ソフィア会オリンピック・パラリンピック支援特別委員会は上智大学ソフィア
オリンピック・パラリンピック プロジェクトと共催で6月1日(金)に2号館17階国際会議場において芦立訓氏講演会「オリンピック・パラリンピックで日本が目指すものは何か?」を開催しました。芦立氏は1985年に上智大学法学部卒業後、文部省に入省、さまざまな分野でご活躍後、現在は内閣官房オリ・パラ推進本部事務局総括調整統括官として歴代のオリ・パラ大臣の下、各省にまたがる多様な総合調整業務に従事されています。
1964年の東京オリンピックからの歴史をたどりながら、アマチュアリズムの時代から、政治的・経済的な影響を経て、徐々にプロ化、商業主義へと向かう様子が語られました。それに伴い、最高のパフォーマンスを観せる舞台というオリンピックの一面は、競技種目選定にも関わってくるなど、中枢にいる方でないと知らないような貴重なお話も出ました。
「来る2020年に向けて政府として何をしていくのか?」ということについて三つ挙げられました。一つめは大会の円滑な準備および運営について。その中にはサイバーセキュリティを含めたテロ対策、感染症対策、深夜まで行われる試合当日の選手・観客輸送に対するインフラ整備と調整、また深刻な暑さに対する対策と医療体制の整備などです。
二つ目は健康長寿・ユニバーサルデザインによる共生社会の実現。「パラリンピックの成功なくして2020年の成功なし」。パラ競技への支援と国レベルでの普及・認識向上ということで、学校での教育や法整備、ホテルなどの宿泊設備に対する客室のバリアフリー化推進などが挙げられていました。
三つ目は大会を通じた新しい日本の創造。復興「ありがとう」ホストタウンなどのホストタウン構想の推進、文化庁やクールジャパン事務局を中心とした日本文化の魅力の発信、日本の食文化を発信するために認証を得るなどの取り組みなどがあります。
まさに世界最大の大運動会とも言うべきオリンピック・パラリンピックの表も裏もよくわかる素晴らしいお話に、国際会議室が満員になるほどの大勢の方が耳を傾けていました。
その後はソフィアンズクラブに場所を移し、しんみちや雀荘で過ごした昔話も交えて、和やかに楽しいひとときを過ごしました。
オリパラ委員会 松本明子
オリンピック・パラリンピック支援特別委員会では、去る2月25日に江ノ島ヨット会場ベニューツアーを実施いたしました。
上智大学ヨット部OBの田中氏と八木氏にご協力をいただきハーバー内を見学した後は中氏によるヨット競技についての説明とオリパラ委員会鈴木が2020東京大会ボランティア募集要綱からボランティア業務の概要説明を行いました。
説明会後は希望者が田中氏操舵のヨットに乗船し湾内クルーズをしました。洋上では八木氏がコーチをされているヨット部の練習風景に出会うことが出来ました。
オリパラ委員会 鈴木謙
ソフィア祭2日目の11月3日にパラリンピックスポーツ支援企画として、「ボッチャ体験会と報告会」を開催しました。
日本選手権を控えご多忙にも関わらず、一般社団法人日本ボッチャ協会の強化部長村上光輝氏[2012年ロンドン大会(7位)、2016年リオ大会(銀メダル)の日本代表チームコーチ]にお越しいただき、パラリンピックスポーツと共生社会」をテーマとした講演会と体験会を第二体育場にて実施いたしました。
参加者は、早下前学長をはじめ、お子さん連れで参加されたご家族らなど21名でした。
講演会で上映された試合の場面は緊張感、臨場感にあふれ、息を飲む感動ものです。体験会はコート内に置いた紙の上にチームでボールを速く置くことからスタート。簡単なことながら、その為の戦略やチーム内コミュニケーションが大切です。
続くミニゲームでは、オセロや囲碁のような戦略性の高さ、奥深さに一喜一憂し、改めてボッチャ競技の素晴らしさ、楽しさに触れることができました。
また、リオ大会での障がい者対応や選手村こぼれ話なども興味深く聞くことができました。
健常者が良かれと思って陥る、障がい者に対する対応のミスマッチ(トップアスリートに開栓した飲料提供は厳禁)など、競技においても普段の生活においても、コミュニケーションさえしていれば問題のないことなのに、コミュニケーションせずにやってしまっていることの多さを思い知らされました。
来年3月に海外チームを招聘しての強化試合が三重県にて開催される予定です。語学ボランティアも必要になるとのことですので引き続き情報を共有していきたいと思います。
最後にご協力をいただきました学生センターとSOPPの関係者の皆様とオリパラ情報会員の皆様に感謝申し上げます。
(ソフィア会オリパラ委員会 副委員長 鈴木謙)
10月15日(日)、初めての雨中でのベニューツアーとなりました。
参加者は、北京からの1年生の留学生(理工学部)から79年物理学科卒の先輩を含む総勢8名です。女性が5名と関心の高さがうかがえます。
2020年大会では、メインプレスセンター(MPC)として各国報道機関が入る国際展示場(ビッグサイト)を10時過ぎに出発。アニメ、キャラクター関連のイベントもあり雨にもかかわらず多くの人出で混雑していました。
ビッグサイトから有明テニスの森、建設中のバレーボール会場、体操競技会場、BMX会場を歩いたわけですが途中の新市場駅ではエレベーターやトイレなどの施設利便性、バリアフリー状況を確認することが出来ました。
真夏の本番であれば日陰はないであろう道、勾配のきつい橋を障がい者などに対しどのように対応するのか参加者それぞれが感じ考えるツアーです。
月島警察署、中央ごみ処理場前に建設中選手村を経由して地下鉄で新国立競技場まで移動です。地下鉄の乗換も海外観光客や選手関係者移動でどのように説明するのか路線が入り組んでいる東京の地下鉄を熟知しておくことも必要です。
目的地である新国立競技場現場の建設現場は、東京体育館裏側テラスから見ることが出来ますがさながらローマのコロッセオのような外観です。
参加者全員、元気に無事ツアーを終えることが出来ました。ありがとうございます。来年夏の大会ボランティア募集まで自己研さんも必要です。加えてボランティアはチームワークが非常に重要ですので共に活動する仲間づくりのため一人ではなくグループで色々な体験会等に参加されることをお勧めします。
9月3日(日)、オリンピック・パラリンピック東京2020大会に向けて、障がいへの理解を深め、共生社会を育む機会を設けるべく、ソフィア オリンピック・パラリンピック プロジェクト(SOPP)と「あいおいニッセイ同和損害保険会社」との共催で、『2017ジャパンパラ水泳競技大会観戦ツアー』が催行されました。
当日は上智大学学生・教職員とともに卒業生数名も参加しました。
試合観戦だけでなく、2016リオ大会に出場した日本代表の選手らとの直接交流の場も設けていただき、非常に有意義な時間となりました。
大学と同企業とは今後も連携講座などの共同取り組みを展開していく予定とのこと、今回がその第一弾となりました。
オリパラ委員会 松本明子
7月29日(土)に「ベイゾーン・ベニューツアー」を実施しました。
参加者は、当初申込み8名のうちご事情で3名が欠席となり5名(引率含め6名)でのツアーでした。コースは、勝どき駅から月島警察署を通り整地作業が始まった選手村、有明、国際展示場、夢の島、辰巳までの約4時間(休憩、ランチ含む)コースでした。
日陰のない道中、給水ポイントとしてのコンビニエンスストアの場所確認やエスカレーターの幅、歩道や橋の斜度から車椅子利用者対応等を考える機会となりました。
また5名の参加者中、英語やドイツ語、スペイン語の通訳案内士の資格を持たれている方が3名もいらっしゃり、2020年大会ボランティアとしての活躍が期待できそうです。
2018年のボランティア募集に向けてどのようにキャリアアップを図るのか?ベニューを知っておくのも必要な事だと思います。
次回は、卒業生はもちろん、現役上智大生の参加期待いたします。
(オリパラ委員会副委員長 鈴木 謙)
6月10日(土)NEXT100プロジェクトから始まり第5回目となるベニューツアーを実施しました。
今回のコースは、「海の森水上競技場」「潮風公園」「お台場海浜公園」それぞれボート、カヌー、競技クロスカントリー、ビーチバレー、トライアスロン競技会場予定地。
猛暑日予報に反し風が心地よい歩きやすい気候となった。
参加者は、情報会員7名にロヨラを見て参加の韓国人女子留学生(2年生)の8名。
ゆりかもめ新橋駅からテレコムセンター駅でバスに乗り換え「中央防波堤行き」で最初にボート・カヌー競技会場予定地へ行く。1973年から1987年にかけて埋め立てられた1,230万トンと建設発生土の上に作られた公園で会場予定地は、東京港中央防波堤内側及び外側埋立地間の水路に新しく整備される施設(写真下右)。トラックが行き交い水路工事(波が立たぬように両側を堰き止め)の真っ最中で空のコンテナも多数あり本番までの整備が待たれる。埋立地の丘(30Mの高さ制限)は馬術クロスカントリー競技会場もまだ整備が始まっていない様子(写真下左)。羽田空港からの飛行機が頻繁に飛ぶため本番時の実況や馬への影響は大丈夫だろうかと心配になる。
1時間ほどの見学で船の科学館駅まで戻り潮風公園、お台場海浜公園まで歩き。ビーチバレー競技の会場となるのは太陽の広場という緑地で海沿いの砂浜は地震被害の補修工事であった。BBQ広場として人
気の公園も2020年までには東側に移動予定とのこと。
さらに、お台場海浜公園まで歩きトライアスロン会場予定地を見学。2016年のジャパン・カップでも使用したという公園は湾内三角形のコースを周回しバイクとランでお台場周辺を走るという。
当日は、ビーチバレーのイベントもありここでも出来そうですね。との声もあった。
総行程2時間半あまりの軽めのツアーでしたが、周辺道路や駅施設が障がい者にとってまだまだ使い勝手が良くないなど実際に現場を歩いてみないと分からないことがたくさんあり気づきの多いツアーでした。引き続き大会ボランティアを目指すための体験型ワークショップを実施していきます。(報告者:オリパラ委員会 鈴木 謙)
以上
2017年4月15日(土)に上智大学2号館で「Rio to Tokyo ワークショップ」(上智大学ソフィア会/上智大学ソフィア・オリンピック・パラリンピック・プロジェクト共催)を開催した。
2020年東京オリンピック・パラリンピックの大会ボランティア募集に備えて、リオ大会で実際にボランティアとして活動された赤澤賢史様 [有限責任あずさ監査法人パートナー・公認会計士、通訳案内士(英語・ポルトガル語)]をお迎えし、ボランティアの募集から研修、実際の業務でのお話を、そして、ゲストスピーカーとして堤 静良様と白濱絵里奈様のお話を伺った。
卒業生、学生、教職員の皆さんなど計約80名の参加を頂いた。
ワークショップはまず、リオオリンピックでNHKの中継通訳として活動されたポルトガル語学科卒の白濱絵里奈さん(当時上智大4年生)がボランティアとは違った"仕事"としてオリンピック・パラリンピックに関わることの可能性についてお話しいただいた。
次に堤 靜良さん(お父様の堤 壽彦様とともにポルトガル語学科によるリオ調査団の現地コーディネートなどのご協力を頂いた。共にブラジルから来日中。)からリオオリンピック・パラリンピックについて、大会運営や街の様子、大会会場を俯瞰した見方での東京大会会場との比較など、興味深い観点からのお話をいただいた。
メインテーマであるリオ大会ボランティア体験についての赤澤賢史様のお話の要旨として、大会ランティアに応募した動機は、①語学上達(特ににポルトガル語)の目標として②国際大会のボランティアという非日常を体験してみたい ③ブラジル駐在最終年度の思い出作り であり、特にポルトガル語は相当な労力を使って2016年2月に、英語は2017年2月に通訳案内士試験に合格。TOEIC等英語力確認のためのツールはあるものの、実際はEF(Education First)による研修と能力分けが行われた。
オリ・パラという最大級の国際大会ボランティアという非常に貴重な経験ができ、すばらしい思い出作りになった。また、ブラジルでの障害者に対する寛容さ、明るさについても感動した。
応募から研修、実務にいたる具体的、詳細な内容を通じて語学の重要性を語る赤澤氏の話に参加者のみなさんは身を乗り出すように聞きいっていた。
今回はそれぞれ違った立場の3名の経験者ならではのお話、情報を知ることができ、非常に実務的でためになるワークショップだった。