ヴェンデリノ・ローシャイタ先生


lorescheiter2.jpg

Que pena!"

 

私のクラスのポルトガル語会話の授業はローシャイター先生が担当されました。ローシャイター先生のポルトガル語会話の授業では、毎週、テストがあり、翌週は一人ずつ呼ばれて、ポルトガル語のコメント付きで答案が返されました。私の答案への最初のコメントは「Que pena!」でした。意味が分からず辞書を引いてがっかり。あまりに成績が悪いので「残念です」と言われていたのでした。

その後、卒業に至るまで、ローシャイター先生は、私に答案に返される時に、Que pena!」と、いつも微笑んでこのコメントをおしゃっていました。

 

学科の先輩たちからは、ローシャイター先生はリオグランデ・

ド・スール州のご出身のドイツ系ブラジル人で、非常に長身であると聞いていました。さらにドイツ人以上にドイツ的で授業は厳しく、しかも曲がり角は直角に曲がると噂されていました。

 

「最初に覚えたポルトガル語は?」とブラジル人の方々から、質問を受けます。」私が「Que pena!」だと言うといつも大笑いされます。

 

大学を卒業後、細々とポルトガル語の勉強を続け、仕事で必要になり、平成6年にポルトガル語の通訳案内業の試験に合格し、平成7年にポルトガル語の通訳案内業現通訳案内士)の免許証を手にすることができました。


私のポルトガル語の原点は「Que pena!」です。今、考えてみると、「Que pena!」はローシャイター先生からの「今回は残念だったけれど、次回は頑張れ」という、叱咤激励のメッセージではなかったのかと思っています。

 


 ソフィア祭での「カフェ・ド・ブラジル」の立て看板

 

ローシャイター先生は、授業態度が良くない学生には、いつも厳しい態度を取られ、決して真面目とは言えない私にとっては怖い存在でした。その一方で、私たち学生が一生懸命に取り組み、問題を解決しようとして相談にいくと、授業以外でもいつも力になっていただいていました。

 

1974年、私が大学2年生の時に、ポルトガル語学科生のサークルで、ソフィア祭に、ブラジル・コーヒーをブラジルのお菓子つきで出す模擬店、「カフェ・ド・ブラジル」を出店しようということになりました。私たちは、日本橋室町にあったブラジル・コーヒー院に、ローシャイター先生の手紙を持って行き、お願いすれば、コーヒー豆を無償で手に入れることができるということをサークルの先輩から聞いて知っていました。

 

ソフィア祭実行委員会による出店場所の抽選があり、出店場所は1号館の前になりました。

サークルの代表が、ローシャイター先生に、この模擬店出店の話を持っていったところ、快諾され、すぐに手紙を書いてくださいました。サークルの代表、同期生の一人、私の3人は、ブラジル・コーヒー院に出向きました。ローシャイター先生の手紙の効果は絶大で、ブラジル・コーヒー院から大学祭で模擬店を出すのに十分なコーヒー豆を無償で提供していただきました。

 

ソフィア祭の開催まで、残り一週間くらいになった時、突然、イラストを描くのがうまい同期生の一人が、「カフェ・ド・ブラジル」の立て看板も作ろうと言い出しました。彼は「ローシャイター先生の等身大の立て看板があれば、宣伝効果は抜群」と主張し、この案に決まってしまいました。サークルの代表、この同期生と私の3人で、ローシャイター先生に、恐る恐るお願いに行ったところ、今回も二つ返事でOKをもらいました。

 

この3人で、2号館の空き教室にベニヤ板を持ち込み、これを切って、ローシャイター先生の等身大サイズの「ひと形」を作りました。その上に模造紙を貼り、似顔絵を描き、色をつけて、立て看板を完成させました。立て看板は、長身のローシャイター先生が微笑んで立っていて、右手に「カフェジーニョ」の入ったデミタスカップを高く差し上げている姿を現したユーモラスなものでした。

 

この立て看板は、ソフィア祭に来ていたポルトガル語学科の卒業生、在学生の間で大評判となりました。さらに本場のブラジル・コーヒーが飲めることで、ポルトガル語学科関係者以外の一般の来店者も、ひっきりなしで、「カフェ・ド・ブラジル」は大繁盛でした。

 

ローシャイター先生にも、この立て看板を見ていただきました。先生は上機嫌で、「よく出来ている」とお褒めの言葉をいただきました。立て看板の隣で、先生に立て看板と同じポーズを取っていただき、記念写真を撮りました。その時に初めて気がつきました。立て看板の方が、ローシャイター先生より5センチほど高かったのです。

 

松井郁雄 (78外葡)

(注:同期生はローシャイター先生と呼んでいました。)




2009年3月.jpg                                                           (2009年3月撮影)


クリスマスの贈り物 ローシャイタ先生が始めたブラジルの子供支援

 

卒業後、せっかく学んだポルトガル語を使う機会もないまま長い年月が経ってしまいましたが、数年前からイグナチオ教会のポルトガル語ミサ(第一日曜日)に与るようになりました。そこで出会った高山さんという女性の方は、ポルトガル語学科設立以前、社会人の為の夜間講座でローシャイタ先生に教わった生徒さんです。2007年クリスマスからローシャイタ先生は、ミサ参加者からの献金とご自分のポケットマネーを、ブラジルの最貧困地域の一つリオグランデドスル州ポルトアレグレの子供達の為に、イエズス会の運営する団体に送金する活動を始められました。高山さんは送金のお手伝いをされ、先生が2010年に天に召されてからも個人で送金をされていましたが、ご高齢の為、私達が先生のご遺志を継ぐことにいたしました。

 

先生の故郷もリオグランデドスル州です。上智大学ポルトガル語学科設立にご尽力され、その他海外宣教者支援や在日ブラジル人への司牧活動もされました。ご自分の母国を離れ、日本に骨を埋められた先生を想い、私達が受けたご恩を少しでも先生の故郷ブラジルにお返しできたらと思います。先生は、気持ちが大事なのでくれぐれも負担のない金額で協力して欲しいと望んでおられたそうです。架け橋のような立派なものでなくても、糸のように細くても丈夫な絆でブラジルと日本をつなぎ続けていかれたらと希望しております。

 

岸本恵美・中江純子(86年外葡)



ヴェンデリノ・ローシャイタ先生が書かれた記事をご紹介

   「イエズス会入会から上智大学赴任まで(1942年~1959年)」

   「上智大学赴任(1959年~)」
                                                        

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.sophiakai.jp/cgi-bin/blog/mt/mt-tb.cgi/838

コメントする