2021年1月アーカイブ

2021年度新年のご挨拶

 

最終講義の季節

巽 孝之

(上智英文学科同窓会会長、慶應義塾大学教授)

 

 

 早いもので、 38年間勤務した本務校における定年退職の年を迎え、規定により最終講義を行うことになった。

 自分にもとうとう番が回ってくると、まず気になるのは、先人たちは一体どんな最終講義をしてきたのかということである。とはいえ、あれこれ調べる必要はない。まことに便利な時代になったもので、すでに鈴木大拙から土居健郎、鶴見和子、江藤淳までの名講義を収録した『日本の最終講義』(角川書店、 2020年)なる浩瀚な書物も刊行されており、大いに刺激を受けた。そして、同書を読みながら、私の脳裏には刈田元司先生からピーター・ミルワード先生、安西徹雄先生、高柳俊一先生に到る恩師たちが行ってきた最終講義の一群が、走馬灯のように駆け巡った。

とりわけ印象に残っているのは、 20011月に行われた渡部昇一先生の最終講義「科学からオカルトへーー A R・ウォレスの場合」である。昨年2020年にはわれわれ同窓会の主要メンバー、下永裕基氏が織田哲司、江藤裕之の諸氏と共同執筆した『学びて厭わず、教えて倦まずーー"知の巨人"渡部昇一が遺した学ぶべきもの』(辰巳出版)が出て大変興味深く読ませていただいたが、そこで江藤氏が『文科の時代』(1974年)においてプラトンの類推思考とアリストテレスやカントの分析思考を比較検討した論考「オカルトについて」に言及しているように、渡部先生はもともと、科学的分析力には収まらず類推的洞察力によるしかない思考法に深い関心を抱いていた。最終講義で取り上げた博物学者ウォレスは、『種の起原』で知られる進化論の父ダーウィンより 14歳ほど若かったものの、ダーウィンが調査に二十年もかけながら結論が出せなかった問題の本質を早々と見抜き、この長老との論文共著者の栄誉に浴した人物である。ところがこの若手は、ダーウィンがあくまで自然淘汰一点張りで時に「神を殺した男」とも渾名されるのに対して、人類の自然淘汰による肉体的進化はとっくに終わっているが脳だけは自然淘汰には左右されない無限の可能性を示していると考えた。ダーウィンが進化を必要と発達からする功利的なものと考えた一方、ウォレスは脳の存在を必要や発達から免れ無限や永遠に関与する人文的なものとみなしたのである。そしてこの最終講義を、渡部先生はなんとこうしたウォレスの思想に最もふさわしい「永遠」の主題を謳うシェイクスピアのソネット第十八番の朗々たる暗唱で締めくくり、満場の喝采を浴びた。日本を代表する英語学者の隠れた知的起源を披露する一種の理論的集大成として、その場にいた聴衆はみな、見事な完結感に感動したであろう。

 それから二十年。先生がお亡くなりになってから数えて三年を経た 2020年暮れ。

 驚くべきことが起こった。

ご長男でありチェリストとしても知られる渡部玄一氏が、先生の遺構から 1.157枚におよぶ未刊行にして前掲博物学者の一人称で語られた、しかも断じて翻訳ではないテクストを発掘され、『幸福なる人生――ウォレス伝』(育鵬社)として上梓されたのである。そこからは、完全にウォレスになり切った渡部先生の肉声が聞こえてくる。

学生は大学を卒業し、教授は最終講義をする。そうした儀式を通過することで、何かが完結したと思い込む。そして私たちは同窓会で思い出話に花を咲かせる。

だが、実際には何一つ完結することなどありはしないし、何一つ思い出話に留まるものでもあるまい。渡部先生が最終講義の後もずっとウォレスのことを考え続け、ウォレス自身と化して語り尽くした本書は、教育と学問をめぐる本質的な洞察を、また一つ新たに与えてくれるだろう。