2024年新年メッセージ

2024年もどうぞよろしくお願いいたします

巽会長の新しい年のメッセージです。

巽 孝之

(上智大学英文学科同窓会長/慶應義塾ニューヨーク学院長)

 

 昨年、中野記偉先生がお亡くなりになり、 昨年11月末には同窓会で、関根悦雄神父様の司式によるミサと茶話会を主催する機会があった。先生のご令嬢とご令息とも初めて歓談し、出席者たちの思い出話にも花が咲いた。こんな時、十年前にこの同窓会を発足させて、本当に良かったと思う。

 中野先生は、父・巽豊彦の教え子である。父は生涯の研究対象であったオックスフォード運動の指導者ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿の代表作『アポロギア』の本邦初訳をエンデルレ書店から刊行しているが、発行年を見ると、上巻が 1948年、下巻が 1958年。高度資本主義文学市場が所与のものとなって久しい 21世紀では、翻訳に十年もの歳月を費やすテキストというのは珍しいかもしれないが、父には理由があった。それは、結核による闘病生活である。そして、まさにその闘病生活の折に、中野先生が見舞いに訪れてくださっている。 1955年に私が生まれるよりも前のことだ。父が還暦を迎えた時の英文学科紀要『英語学と英文学』(1976年)の特集号には、先生は力作論文「芥川龍之介における R・ブラウニング体験」を寄稿しておられる。父はワズワース、トムソンとともにブラウニングを愛読していたから、そのロマン派的系譜と比較文学者・中野記偉の関心を絡み合わせた、これ以上にふさわしいテーマ設定はない。

 したがって、学部時代の私がぼんやり帰属意識を持っていたのは、中野記偉先生の授業である。上智英文の欧米系学匠司祭たちは、ヨゼフ・ロゲンドルフ先生にせよフランシス・マシー先生にせよウィリアム・カリー先生にせよ、みなそろって比較文学者であり、特にカリー先生がミシガン大学へ提出された博士号請求論文『疎外の構図』(1975年)に深い感銘を受けたために、私の卒論はサミュエル・ベケットと安部公房の比較文学的研究になっている。しかし少なくとも日本で比較文学をやるにはどうすればいいのか、どのような学会に参加すればいいのかを、きちんと授業で理論的に講義なさっていたのは、当時の教授陣の中でも中野先生だけであった。

 具体的に授業で扱われた取り合わせは、 R.L.スティーヴンスンの『新アラビアン・ナイト』と夏目漱石の『彼岸過迄』、そしてウィリアム・フォークナーの『野生の棕櫚』と遠藤周作の『沈黙』。スティーヴンスンを介するとまさか漱石が探偵小説のように読めるとは思ってもいなかったし、アメリカ南部作家と日本のカトリック作家が二重小説という視点から連動するとはまさに知的な驚きだった。

あれは 1977年だったか、ちょうど四谷キャンパスで日本比較文学会が、中野先生自身を実行委員長として開かれたことがある。それに出席したのが、私の最初の学会体験だった。さらに大学院に入ってからは、同じく中野先生が関わっていた日本キリスト教文学会にも顔を出すようになった。いまではアメリカ文学を専攻する私が、たえずどこか比較文学を意識し、どこかキリスト教文学研究を意識しているのは、そのためである。ご著書『逆説と影響』(笠間書院、1979年)は何度読み返したかわからない。

 以後、コーネル大学大学院で師事したジョナサン・カラーも、ボードレールやフローベールを愛しつつ、英米文学とフランス文学を横断し、構造主義以後の批評理論に強い比較文学者であった。昭和の日本では、たとえばシェイクスピア一筋、フォークナー一筋といった個人作家研究を掲げる文学者が多かったが、よくよく考えるに、文学研究というのは、突き詰めると、どこかで比較文学的にならざるをえない。その意味で、卓越した比較文学者が集っていた上智英文に9年間在籍したことは、まことに僥倖であった。

 以上の思いと学恩への感謝を込めて、中野記偉先生の御霊の平安をお祈りする次第である。

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