「世界の卒業生と繋がろう!キプロスより」②

前回の記事:「世界の卒業生と繋がろう!キプロスより」① 続きです。

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前回、キプロス島は南側のキプロス共和国と北側のトルコ占領地域である北キプロスに分かれているとお話しましたが、その南北を隔てるバッファゾーンの数か所にキプロス共和国と北キプロスの往来のための検問所があります。

 

私の住むキプロス共和国から、南側と北側ふたつの検問を通過して北キプロスへ入ると、すべてが基本トルコ語表記、通貨もトルコリラになり、お店にはトルコ製の物が多く並ぶなど、雰囲気がグッと変わります。ちょっとした旅行気分になれることもあり、息抜きに首都ニコシア旧市街の北側へ散策に行ったり、東に角のように伸びているカルパス半島まで海水浴に足を伸ばしたりと、北側へは頻繁に出かけていました。

 

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それがここへきての新型コロナウイルスによるパンデミックの影響で、つい先日まで、全検問所が(特にキプロス人以外の外国人にとっては)15か月もの長きにわたってほぼ閉鎖となっていました。検問所の動向は南北の政治情勢などを濃厚に反映するのですが、ロックダウンなどの双方の地域の対策に便乗して、分断を深めるような政治的な動きが背後で行われているようだ...というのがもっぱら周囲の見解でした。

 

そしてこの間、北側に住むトルコ系キプロス人の友人たちとは、すぐそこにいるのに会えないという切ない状況になってしまい、南北に横たわる問題の根深さ、いつでも完全な断絶となりうる危機感を肌身で感じた期間でもありました。

 

210717 (5).jpgのサムネール画像


さて、遡ること2017年、欧州文化都市としてキプロスのパフォスが選ばれ、『PAFOS2017』という文化芸術祭が催されました。そこへ日本人の作家・写真家である宇佐美雅浩さんが招聘され、キプロスでのプロジェクトを開始。プロジェクト後半、私は縁あって通訳として制作に参加させていただく機会を得ました。

 

宇佐美さんは、広島や福島など、日本各地で『Manda-la』という写真シリーズを制作してきました。『Manda-la』シリーズでは、中央に主人公である人物を据え、周囲にその人物にかかわりのある事物を配置、仏教絵画の曼荼羅のように、1枚の写真でその人の人生模様や世界観をあぶりだします。代表作のひとつである広島の写真では、被爆者の女性が主人公となり、原爆ドームを背景に、右側の黒衣を着て横たわる人々と対比して左側にたくさんの赤ちゃんが緑の上で寝ころび、生と死がビビッドに描き出されています。

 

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キプロスのプロジェクト『Manda-la in Cyprus』でもこの手法がとられ、南北双方を舞台に、現地の人々を中心人物として、キプロスの過去、現在、未来を写し出す曼荼羅が撮影されました。

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宇佐美さんは「リレーショナルアート」という現地の人々との関わりとその過程を表現していくことに重きを置いており、現地のコミュニティに飛び込んで撮影を行います。そのおかげで、私自身も南北のたくさんの方々と知り合い、以前には知りえることのなかった北側に住む人々のトルコの影響に対する思いや、島全体の個々人の歴史に直に触れる貴重な体験をさせていただきました。

 

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プロジェクトが終了してからも、数名の方々とは交流が続くとともに、そこから交流の輪が広がっていきました。先日の検問オープンから間もなくして、北側を訪れ、友人たちにこの間の思いや現状への考えを聞く機会がありましたので、次回は南北の草の根ベースでの人々の思い、そして特にトルコ系キプロス人の抱く現状への危機感についてお伝えできればと思います。

                         文責 岩田芙美子(2003外ポ卒


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