2016年10月アーカイブ

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撮影=小澤忠恭
文字デザイン=田村義也

 

 

 

 

日頃、ロシア語学科にすっかりご無沙汰しておりますが、現在、東大・駒場の地域文化研究専攻というところで、ロシア東欧研究をする学生、院生を相手にしておりますので、上智のロシア語のことは、一日として忘れたことはありません。今回は、渡辺孝雄さんのお勧めで、現在、横浜の神奈川近代文学館で1127日まで開催されている「安岡章太郎展」についてご紹介させていただきます。

http://www.kanabun.or.jp/exhibition/4909/

 

 私がロシア語を学ぼうと思ったきっかけの一つは、「上智に染谷あり」という噂を聞いたことですが、それ以前に、私が小学校2年だった1963年の夏、父(安岡章太郎という小説家でした)が、ソヴィエト作家同盟の招待で、一月近く、当時のモスクワ、レニングラード、キエフ、ヤルタなどを旅行したことも間接的な影響があったと思います。そのデレゲーションのメンバーは、父の他に、小林秀雄氏と佐々木基一氏で、年齢は十歳ぐらいずつ離れていたものの、大変良い組み合わせだったそうで、父は、この旅行を通して、ソ連およびロシアをじかに知り、そして、知の巨人、小林秀雄とも生涯に亘る友情を結ぶことができました。

 私は、ヤルタのチェーホフの家を訪ねた父から手紙をもらい、その中にチェーホフのバラ園の花びらが入っていたのを憶えていますが、「そうか、世の中にソ連という国があり、ロシア人という民族があり、チェーホフという作家がいたのか」と、子供心に思ったものです。

 その旅行から約40年たった2002年の夏、ちょうど「危うい記憶」というエッセイを書いていた父は、「死ぬ前にどうしてもネヴァ河をもう一度見たい」と言い、渡辺さんにお願いして、トラベル世界に個人旅行の手配をしていただき、8月に十日間ほど、モスクワとペテルブルグを私と旅しました。モスクワでは二年先輩の川端一郎さんが日本大使館勤務で、その他、私が昔、外務省研修所でロシア語をお教えした外交官の方たちと共に、一夕、食卓を囲みました。父はエカテリーナ二世が大嫌いだそうで、エルミタージュでも絵画や装飾にはほとんど目もくれず、「結局、ここで一番いいのは、窓から見るネヴァ河の流れだな」と河ばかり見ておりましたほどですから、water taxiと称するモーターボートで運河からネヴァを自由に遊覧できたのにはご満悦でした。

 今回の展覧会は、父の創作の軌跡60年を辿るという壮大なもので、処女作「ガラスの靴」から、「海辺の光景」、「アメリカ感情旅行」、「流離譚」、「僕の昭和史」等々、全著作について、生原稿や関係資料、関連の写真などが展示されています。父は交友関係も、「第三の新人」にとどまらず、中上健次から井伏鱒二まで幅広いので、そうした写真や、井伏先生の書画、シャガールの絵から若冲の掛け軸まで、何かしらお楽しみいただけるものがあると思います。吉行、島尾、庄野各氏との書簡も沢山出品され、遠藤周作さんをgodfatherに受洗したときの写真や遠藤さんから頂いた古い木製のマリヤ像もあります。

 神奈川近代文学館は、「元町中華街」の6番出口(かなりエレヴェータなどで高く登る)から、山手の良い散歩道を十分ぐらい歩いたところです。途中は、右手下に、ポツターヴィナ先生も眠る外人墓地もあります。安岡章太郎を読んだことがある方もない方も(図録には、村上春樹氏の素晴らしい文章も載せられています)、お暇な折にお出かけくだされば、幸いです。

 安岡治子(18期 / 1978年卒)

 

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1963年の父の旅行の写真、キエフのウラジーミルの丘からドニエプル河を見下ろす地点で、左から小林秀雄、一人おいて、佐々木基一、安岡章太郎

写真など

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