追悼:徳永晴美先生に寄せて(2010年卒 青木緑)

「緑、記者になれ!」

徳永先生の言葉を信じて、今日まで12年間、記者をやってきました。

就職活動で悩んでいたとき、先生のこの一言に背中を押され、私は報道記者になりました。

どうして先生が私に「記者になれ」と言ってくれたのか、今でもわかりません。「私は記者に向いていない」と思ったことは、これまでに数え切れないほどあります。

それでも、今日までこの仕事を続けてこられたのは、先生の言葉がいつも心の中にあったからです。

先生から直接聞いた話や、著書で読んだエピソードから知った、モスクワで取材に駆け回っていた頃の徳永晴美記者。今でも私の憧れの記者です。

「給料は奨学金だと思え」。

日々の事件や事故の取材に疲れて、記者をやめたいと思ったとき。

大きな取材テーマを前に、なかなか自分の能力を発揮できず、自信をなくしたとき。

「緑、学びながらお金がもらえるなんて、最高のことじゃないか」。

先生は常にそう励ましてくれました。

記者の取材は、多岐にわたります。大学でロシア語しか学んでこなかった私が、サンマ漁船の上でカメラを回し、オリンピックの金メダリストにインタビューし、宇宙から地球に帰還した探査機の原稿を書く。その都度、新しい知識を頭に詰め込んで、ニュースとして世の中に発信しなければなりません。

だからこそ、毎日、新たな「学び」があります。

学ぶことが仕事になる。記者って、なんて素敵な仕事なんだ。

先生は、新聞記者時代の経験をいつも懐かしそうに話し、記者の仕事の面白さを教えてくれました。

そんな先生から、「禁句」だと教えられた言葉があります。

「頑張る」という言葉です。

くじけそうになって先生に相談し、元気づけられた私は、いつも「先生、ありがとうございます。これからも頑張ります」とメールを返しました。

そのたびに、先生に怒られました。

「『頑張る』は、禁句だ。頑張るんじゃない。エンジョイするんだ」と。

先生に報告できていなかったことがあります。去年、ロシアによる軍事侵攻が始まったあとのウクライナに、取材に入ることができました。

ロシアによって家を破壊され、家族や友人を奪われ、故郷を追われた、たくさんのウクライナの人たちの悲しみや怒りの声を、ロシア語で取材しました。

つらい取材がたくさんありました。

学生時代にあんなに大好きで、一生懸命勉強したロシア語を、先生方が一生懸命、教えてくださったロシア語を、私は嫌いになってしまいそうでした。

あのとき、もし先生に連絡していれば、きっと、いつもの言葉が返ってきたと思います。

「緑、エンジョイするんだ」と。

不謹慎かもしれませんが、ソビエト連邦が崩壊したときも、病気と闘っていたときも、誰の目から見ても「頑張っている」ように見えた徳永先生は、誰よりも「エンジョイ」していたのだと、私は思います。

今日も大切な取材が待っています。どんな取材でも、いつも不安です。

でも、なるべく「頑張らなきゃ」と思わないようにしています。

私も少しは徳永晴美記者に近づけたでしょうか。そう信じて、今日もエンジョイします。

徳永先生、大切な教えをありがとうございました。いただいた言葉は、すべて私の宝物です。

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