ソフィア経済人倶楽部 2015年講演会 第3回


ダイバーシティが日本経済を活性化する


ソフィア経済人倶楽部が上智大学、ソフィア会と共催している連続講演会「ダイバー
シティが日本経済を活性化する」が開催された。第3回目の今回は「壁のない社会を
目指して~外国人が活躍する日本になるためにできること」というテーマで企画した。

日時:2015年4月24日(金) 18:00~
場所:上智大学四谷キャンパス 2号館17階 国際会議場

今回は上智大学総合グローバル学部教授の植木安弘さんの基調講演、続いて本連続
講演会のファシリテーターである桜美林大学・経済系教授、馬橋恵美子さんとゲストに
よるパネルディスカッションの2部構成で行われた。

基 調 講 演
上智大学総合グローバル学部教授の植木安弘さんは外国語学部ロシア語学科卒。
コロンビア大学大学院で国際関係論修士号、博士号を取得、1982年から国連事務局
本部勤務、国連事務総長報道官室等を歴任され2014年から現職を務められている。
(詳細なプロフィールは最後に掲載)


植木先生

上智を卒業して38年になるが、これまで海外、特にニューヨークをベースに世界の
紛争地域など様々な所で大変な経験をしてきた。こうした経験を活かし、日本社会の
多様化をテーマに基調講演をしたい。マクロ的分析から日本の社会はどういう社会
なのかを見てみよう。日本に生まれ育った人には日本社会がどういう社会なのか
見えていない。自らの社会を理解することで、どう多様化に対応したらいいのかが
見えてくる。

「多文化主義」とよく言われる。多文化主義は文化がたくさんあるということだが、
これまで国家の政策として取り上げられてきた過去がある。例えば、カナダ、オース
トラリアは政策として文化の多様化を維持することが望ましいとしてきた。カナダの
ケベック州はフランス語圏で、1960-90年にかけて分離独立の流れがあった。
その背景には自分達は英国人とは違うという気持ちがあった。実際1980年、19
95年にレファレンダムを行った結果、分裂をするのではなく、カナダという国の中で
言語・文化を守っていこうという結論になった。カナダでは一般的に英語、フランス
語がつかわれるがケベック州ではフランス語が公用語になっている。オーストラリアは
排斥的政策をとってきた。1901年移民制限法でアジア系・ユダヤ系を排除した。
そうした差別はよくないと1973年に移民法をやめた。

西ヨーロッパでは社会の経済的な発展とともに主に労働力の必要性から外国からの
移民を受け入れ、それに伴って異文化社会を受け入れてきた。
イギリスの異文化社会の受け入れは「インテグレーション」という。「統合」という
言葉にはみんなが一緒になろうという意味があるがイギリス社会では移民は独自の
文化・独立性を維持してもいい、イギリス文化に染まらなくてもいいいう意味合いに
なっている。
フランスは「アッシミレーション」という。フランス人はフランスの文化を守ろうとする
気持ちが強い。移民はフランスに来たらフランス人になりなさい、フランスの文化を
尊重しなさいという考えになる。
アメリカは移民で成り立っている。世界の各地から集まってきている。かつては奴隷
制度、人種差別があり、それが変わっていくのが1960年の公民権運動である。
よく、ニューヨークなど人種の坩堝という。坩堝の中で一緒になるのではなくサラダ
のようにいろんなものが集まってアメリカという国をつくっていこうとする。
アメリカでは「インクルージョン」という。排斥しないという意味でアメリカ人意識を
作っていこうとする。
イメージするとインテグレーションはダンゴ型、いろんな独特のものが集まっても
一緒のものになっていない。アッシミレーションはスープのように一緒になる
アメリカはサラダを作るイメージのインクルーションとなる。

日本はどのパターンか?日本人口は1億2800万をピークに減っていっており
日本の社会の在り方も大きく変わっていくと思う。少子化もあり労働人口が減って
いく。そうするとホワイトカラーもブルーカラーも含め、外国からの労働力が必要に
なってくる。厚生労働省による外国人労働者数は78万7617人(平成26年10月
現在)となっている。在日の中国人、韓国人も含まれるがブラジル人、フィリピン人、
ベトナム、ネパール人が増えている。在留資格でみると専門・技術職は14万7000
人と多い。産業別には1/3が製造業と多いが最近は飲食業・サービス業・小売業・
卸売業などに従事する人口が増えている。外国人労働者の家族や学校の先生等も
含めると総数で200万と結構な数になる。そのうち、アジア系が70万人、ついで
南米24万、アメリカ5万、欧州6万となっている。


最近、労働者不足と移民の話で産経新聞に載った曽野綾子さんの話がショッキング
であった。曽野さんは「他民族の信条や文化を理解することは難しいと思う。外国人を
理解するために居住を共にすることは至難の業だ。南アフリカの実情を知って居住区
だけは白人、アジア人、黒人を分けるほうがいいと思うようになった」と発言。南アフ
リカは長年アパルトヘイトという人種差別があり、1994年の民主選挙で変わった。
私自身、1994年、国連のミッションで南アフリカで行われる民主選挙の監督をして
いた。曽野さんは生活習慣の違う人たちが一緒に生活するのは難しいと言っているが
著名な知識人がこういう発言をするのはどういうことかと思う。


日本はどういう社会かということについて、日本はフランスに似て同化型の社会なの
ではないか?フランスと同じように日本も長い文化・伝統を大事にしている。
1990年に入国管理法が変わったが、よくみると日系ブラジル人、日系ペルー人を
主眼にしている血統主義ではないかという見方をされることがある。外国から労働者を
受け入れるにしても誰でも連れてきてうまくいくということはないという見方がある
のではないか?

また、日本は難民の受け入れが少ないと言われる。去年は申請者3000名に対し
6名、前年は3名しか受け入れていない。どうして難民を受け入れないのかといわれ
ている。また、2008年頃から人種とか国籍を理由にヘイトスピーチが出てきた。
これに対して裁判所からは人権違反として結論が出ている。

よく外国からみると日本人社会は違うと言われる。「ロスト・イン・トランスレー
ション」という映画では東京を舞台にいろいろな事が起きるが、日本人って違うなと
面白おかしく映されている。
また、最近、日本が一番いいという本がいろいろ出ている。あまり日本が一番いいと
いうことを強調し過ぎると異文化社会に違和感を持っているのかと思われてしまう。

日本語ができる、文化がすきという外国人はすんなり入ってこれる。いまはそういう
外国人が多く、日本に入りやすいし、受け入れやすい。しかし中には、日本人と結婚
して日本語が話せない、日本について学んだこともなかったことが要因で日本に住ん
で冷たい体験をした結果、日本が嫌いということになったケースもある。

国連のようなところは日本人が入るとうまくいく人とそうでない人にわかれる。
国連は欧米型社会でいい仕事をしてもアピールしないと昇進できなかったり、
別のポストに移れない。個人の力が強い。日本の官僚組織で育って国連の高い
ポジションにきて日本のような管理でうまくいくと思っていると大間違い。言葉も
しゃべれないとすぐに窓際になってしまい、結局、日本に戻されていくということに
なる。

日本の多様性を考えたうえでマクロ的な紹介をしてみたが、日本がどういう社会かを
考え直して日本から一度出て、自分の目で日本を見つめて海外からの人々と、どう
つきあっていくかを考えてほしい。


左から馬越先生、植木先生、朱さん、パトリックさん

パネルディスカッション

続いて、馬越先生をファシリテーターとしてお迎えし、パネルディスカッションが
行われた。
冒頭、馬越先生より植木教授の基調講演の内容に触れた上で、「このパネルディス
カッションでは、本音ベースで少しミクロの話や個人的な経験なども織り込んでいた
だきながら進めていきたい」とのイントロダクションの後、パネラーの朱さん、
パトリックさん、植木先生よりそれぞれ自己紹介、経歴等についてお話いただいた。

馬越先生からの「就職の時など、日本企業との出会い」というテーマでは、朱さん
より面接の際のエピソードが紹介され、それを機に就活をやめて自らの進む道を探り
出し、会社を創る道に辿り着いた経緯についてお話いただいた。
パトリックさんからは、普通の就活をやめてアルジェリアにおける大きなプロジェクト
と出会い、法学部として契約チームとして赴任できるものと思っていたら、担当部長
から「あ、君は新しい通訳か」と言われたエピソードや、フランスにおけるキャリアップ
の傾向に関するお話を紹介いただいた。
植木先生からは、「国連では"あなたの仕事内容はこれですよ"と相当明確になって
いる等、組織のあり方も日本社会とはだいぶ異なる」、また「英国人はじめ個人主義の
考え方が非常に強いなど、個人単位でも、和を重んじる日本とは違う」ことをお話さ
れた。


馬越先生

馬越先生より、植木先生の書籍をご紹介された上で、ご自分の書籍(1996年発行の
「会社の中の外国人」)について、「本の帯に"外国人を活用できない企業に将来はない"
としたら、1996年という時代には、これが刺激的過ぎたのか、総スカンをくらって
在庫の山! でも、今日あらためて読んだらですね、いい本なんですよ、これが!」と
会場の爆笑を誘いつつ、この本の中にも書かれている、当時のリサーチとして、外国人
社員で日本企業に勤めている人が言っている「不満」等について、

1)能力が劣る人間にも花をもたせてやらなければならない、これが困る
2)合理的な理由がなくて決定がなされることを受け入れる能力、これを身に
  付けるのはしんどい
3)自分の実力に見合わない、低い待遇を甘んじて受けなければいけない、というの
  がつらい
4)個性を失うことに耐える力、これはつらい
5)無神経な言葉や人種差別的な行動も笑い飛ばせる能力が求められること
6)仕事の実力には関係ない、集団に合わせる能力を身に付けなければいけないこと
  を紹介し、「こういうことがいやだ~という調査結果が出ているのですが、20年
  たった現在、これは解決しましたでしょうか?どんな感じでしょうか?」と投げ
  かけ、朱さんからは、女性の友人の方のお話として、会社に十数年いても来客の
  時にお茶だしをずっとしなければいけない、別の方もMBAを取っていても給料が
  全然変わらない、といった事例を紹介され、「まだこうした(女性への)差別は
  昔とそう変わらないのでは」と結んだ。


朱さん

パトリックさんからは、実力ベースでの成果主義に変わりつつあることは聞くが、蓋を
開けてみるとボーナスも変わらなく、外の制度を無理やり取り入れて、それが(企業)
風土に合わないまま定着しきれないという実態が日本にはあることを紹介された。
植木先生からは、外から見て、少しずつ日本も変わりつつある、政府も企業における
グローバル人材の重要性を言っていることから、日本社会の国際化は色々なところ
から始まっている、最近の問題としては、日本人があまり海外に行かなくなってきて
いること、そのベースとして語学力の問題についてお話された。その上で、「日本は、
外からみると凄い国だと思う。マナーや技術、イノベーションという点で、いい面、
強い面がいっぱいある。ただ、やはり外に出て見ないと、こうした日本のいいところ、
強いところも見えてこない」と問題提起を投げかけた。

最後に、馬越先生から「日本社会、そして企業がより良い存在になっていくには、
こうすればいいのではないかというアドバイスをいただけますか」と投げかけ、
パトリックさんは「日本企業の特徴として、単に利益をあげるだけではなく、より
長期的な視点で社会的責任を果たしていこうとしているところなのではないか。
こうした点や日本型マネジメントの良いところを外国人に対しても言語化を進め、
明確に説明していくことが大事なのではないか」


パトリックさん

朱さんは「日本企業の良い点としては、モノ作りの精神、品質の保証、ブランドの
象徴というイメージがかなり強い。最近の中国の交通アクセスの良くない一部エリア
では、リアル店舗が衰退する中で、Eコマースが普及しつつある。そのEコマースで
求められるのは、海外のいいものを取り入れるということ。そこではのモノが要求
されるというように、日本製の品質、ブランドというイメージは定着しつつあると
思う」と結んだ。

このあと、質疑応答となり、最後に馬越先生は個人主義とチームワークのバランス
だと思う。和は必要ではあるが同じではない。和をもって同ぜずという言葉がある。
Harmony amid diversity (多様性の中の調和、つまり融和)ということになるのでは
ないかと講演会を締めくくった。



質疑は以下の通り

Q1.日本人が海外で活躍するための秘訣は?
A.植木先生:
日本人が海外で活躍するためには自分の視点を持つことが、
自分の考えをしっかり持っていることが必要。日本人は物事をはっきり
言わないという話があったが、国際会議等では発言しないとこの人は
意見を持っていないと思われる。
また、日本人は物事をはっきり言わない、間接的ないい方をすることが
多いので分からないといわれる。自分の視点の確立が大事だと思う。

Q2.外国人は日本の中でどうやったらうまくやっていけるのか?
A.馬越先生:
著書にも書いているが企業の中で日本の女性は外国人。脅威として
映らない必要がある、同化する必要はないが同化したかのようなそぶりを
することは大事だと思う。私の経験で、学会で答えにくい質問ばかりを
していたら無視されるようになった。自分の個性は持ちながらも不必要な
摩擦を起こす必要はないと思う。そして相手のことを中心として考える
ことも必要。自分の個性を育てながらクールに考える対応力を付けて
おくのがいいのではないか。

Q3.日本の外交は下手。特に日本と中国の外交はどうすればうまくいくのだろうか?
A.植木先生:
どういう環境を作りたいかを考える。最終的に中国とどういう位置付けで
アジアの中でやっていきたいのかを考える必要がある。

Q4.外国人の教育をどう進めていくか、また、外国人の障害者に支援の手が届いて
いないことは重要だと思うが、どうか。

A.植木先生:
日本に帰ってきて思うのはバリアフリーの状況が障害者だけでなく普通の
人にも非常に役に立つ。国連でも障害者をインクルーシブにしていこうという
動きやアメリカでは障害のある学生を別なクラスに入れてしまうのではなくて
できるだけ普通のクラスに入れていく。そして支援する先生がついて理解の
確認をする、あるいは試験などは終了時間にさらに追加の時間を与えるな
どしている。  
パトリックさん: 
教育の充実度は選択肢も多く東京で問題はないが、外国人で障害者だと
かなり、マイノリティーになるので社会全体を負わせるのはかなり難しい。

Q5.多様性を受け止めるには日本人はもっと個人主義が必要なのでは?
A.植木先生: 
個人主義とチームワークの両方の側面が必要。日本ではチームワークが
出過ぎて個人の考え方が出てこない。個人主義というよりも全体をまとめ
ながら、自分の視点を確立して個人の強さを身につけていくことが大切だ。

Q6.中国に帰って、日本企業が中国に進出する時に困難なことは?
A.朱さん:
事前にマーケティング、十分な調査して進出するのが間違いがない。
いきなり日本の感覚で日本でうまくいっているからやってみようという
ことだとうまくいかない。事前準備に尽きる。
                                以上


各位のプロフィール

ファシリテーター:馬越恵美子氏 桜美林大学 経済経営学系教授

上智大学外国語学部フランス語学科卒業。卒業後、慶応義塾大学大学院修了、
経済学修士、博士(学術)、同時通訳、東京純心女子大学教授、NHKラジオ講師、
東京都労働委員会公益委員などを経て現職。
主な著書に『ダイバーシティ・マネジメントと異文化経営』(新評論)、『異文化
経営論の展開』(学文社)などがある。専門分野は異文化経営論とダイバーシティ・
マネジメント。現在、(株)日立物流取締役、異文化経営学会会長なども務める。

基調講演:    植木安弘氏 上智大学総合グロー学部教授

外国語学部ロシア語学科卒業。コロンビア大学大学院で国際関係論修士号、
博士号取得。1982年より国連事務局広報局に勤務、国連事務総長報道官室等を
歴任した。ナミビアで選挙監視要員、東ティモールで政務官兼副報道官、イラクの
バグダッドで国連大量破壊兵器査察団報道官、津波後のインドネシアのアチェで
人道支援広報官なども務める。国連退官後の2014年より現職。著書に『国連
広報官に学ぶ問題解決力の磨き方』(祥伝社新書)

パネリスト:   ロードン・パトリック氏 (株)コーチ・エィのコーチ

法学部国際関係法学科卒業。フランスで生まれ育ち、日本へ留学。大学卒業後、
アルジェリアで大規模な高速道路建設プロジェクトに参画。その後、ヨーロッパで
専門商社を設立。アフリカや中東に工業用品を輸出するなど、グローバに事業を
展開する。経営者としてのピープルマネジメントや経営判断の難しさなどを実感し、
コーチングに興味を抱く。現在、(株)コーチ・エィで日本にある外資系企業や
ベンチャー企業経営者のサポートとともに、ダイバーシティや海外進出を推進
するリーダーの開発に注力する。

パネリスト:   朱蕾氏 上海美仕投資諮詢有限公司総経理


大学院博士前期課程外国語学研究科国際関係論専攻修了。中国上海市で生まれ育ち、
北京の大学で日本語を専攻。その後、上智大学へ留学。卒業後は中国語を教える傍ら
中国ビジネスコーディネートに携わる。日本では(株)インベストメントインターナショナル、
(株)スタッフサービスなどで働き、中国に帰国後、上海美仕投資諮詢有限公司を設立。
日本企業の中国投資業務のコンサルテーションサービスを行う。2006年中国進出企業の
ためのマーケティングイベントを実施する広告会社を設立。

以上

 

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