「つくるI(キャリア形成I)」(12月18日)報告 ~航空機と航空用エンジンの開発製造~

12月18日は、SKYエアロスペース研究所所長/JAXA客員の坂田公夫氏(機械1969)が、講義を行いました。坂田氏は、JAXAを中心とする日本の航空宇宙技術に関する研究開発、民間の航空機と航空用エンジンの開発製造、そして航空産業の基本的な情報と最近の話題について説明しました。以下では、講義の内容をご紹介します。
22-1.jpg 


----------------------------------------------------------------------
日本の航空機産業
 私は皆さんより40年ほど前に上智大学の機械工学科を卒業した。大学時代の私の恩師は田中敬吉名誉教授で、初代の理工学部長だ。田中先生は東京帝国大学航空研究所が実験機(航研機)を開発した当時(1938年)の発動機部長だ(注:この航研機は、長距離無着陸飛行の記録を樹立した実験機で、この記録はわが国唯一の国際航空連盟認定の世界記録である)。大学で私は田中先生から熱力学やエンジン論を学んだ。卒業後、航空宇宙技術研究所に入り、そこで日本の民間ジェットエンジン開発の父ともいえる二人の先輩、松木正勝さんと島崎忠雄さんとともにジェットエンジンの研究開発を行った。それを出発点として卒業以来40年以上にわたって、日本の航空宇宙分野の研究開発に携わってきている。研究と実機開発プロジェクトがどういうプロセスを経て行われているのか、私が経験してきたことを中心にお話ししたいと思う。また、私がその推進にかかわった、日本の航空産業政策についても少しお話しをしたい。
 最初に日本の航空産業の歴史について説明したい。日本は戦前、零戦に代表される運動性の高い航空機を開発した実績を持つうえに、イギリス、ドイツ、フランス、アメリカについで世界で5番目にジェットエンジンも開発した国である。現在でも、ジェットエンジンを開発できる国はこの5ヶ国だけだ。戦後、日本はYS11型機を開発した。今から50年ほど前のことだ。YS11は性能がよく安定性も高いプロペラ機だったが、この直後にジェット機が出てきたため、歴史に少し取り残された機種ということになった。183機製造されたが、そこで開発製造にあたった国策会社が解散することとなった。ここから、日本の航空産業が大きく拡大することはなかった。それでもその後、60年代後半から70年代にかけてジェットエンジンの開発が行われ、80年代には防衛省向けの機種が開発されたりもした。しかし、民間機の開発は行われなかった。この後、日本の航空機開発はボーイングとの国際共同開発に活路を見出していくこととなる。あくまでもブランドはボーイングであり、日本という姿(ブランド)は見えなくなってしまった。ただし、エンジンに関しては少し異なる。ボーイング737の対抗機であるエアバス320の主要エンジンとなったV2500というエンジンの開発に、日本は関わっている。私自身も関わってきた。Vというのは5か国という意味で、日本、ドイツ、イタリア、アメリカ、イギリスとの共同ブランドということになる。
現在、世界の航空機産業における日本の市場シェアはわずか2.7%だ。我が国が高度科学技術立国であるとすれば、高度技術工業分野は、我が国のGDP比(世界のGDPにおける日本の比率7%程度)と同程度以上の市場シェアを持つべきと私は考えるので、これはいかにも小さな数値だ。一方で、日本ブランドとはならないが、国際共同開発・生産分担の領域では存在感を示している。日本は素材や加工技術が強く、1970年代半ばからボーイング社との国際共同開発に参加している。B767で機体(エアフレーム)全体の15%部分を担当。その後、B777では21%、B787では主翼部分を含め35%を担当している。次の計画はB777-Xの共同開発だ。エンジンでは、GE、P&W(プラット・アンド・ホイットニー)、RR(ロールス・ロイス)の開発に参加している。V2500の後継エンジンであるPW1100Gでは、23%程度の部分を日本が担当することとなっている。日本はフロントファンの部分を得意としており、各社のエンジンの15%から30%程度の部品は日本が分担して生産している。
では、日本はエンジンを含めた航空機体全体を開発できないのかと言われれば、実機システム開発を完結できる十分なポテンシャルを有していると言える。実際に、民間機ではないが水上艇US-2やP1哨戒機、C2輸送機なども開発している。また、三菱重工業の子会社である三菱航空機が、70人から90人乗りの小型旅客機(リジョナルジェット)MRJを開発中であり、2014年10月に待望のロールアウト(初号機の地上お披露目)を行った。日本にとってはYS11以来50年ぶりの自主開発旅客機となる。2017年春にはエアラインに配備される予定だ。世界の航空輸送需要は今後20年以上にわたって、年率5%以上の成長率で安定的に拡大する。この市場をめがけて各社が新機種を投入してくる。リジョナルジェット機の競争は激しく、厳しい市場争奪戦を戦わなければならない。競合は大型機のボーイングやエアバスではなく、ブラジルのEmbraer社、カナダのBombardier社、中国のCOMAC社、ロシアのSukhoi社といった企業で開発されている小型旅客機となる。世界マーケットは5000機くらいはある。現段階で1000機くらいの受注は見えているようだ。頑張れば1500機くらい売れそうだ。是非、成功してほしい。

22-2.jpg
 
航空産業振興政策の必要性
 政策について話したい。航空機産業においては自主完成機ブランドを持つことが重要となる。自主完成機ブランドを持つことで初めて、技術、製造、販売と保守や改善、息の長いアフターマーケットの獲得が可能となるからだ。今、ようやくMRJの開発を通して日本の航空機産業が一人前になろうとしている。ただし、民間企業だけでは産業が成立しない特殊性を航空機産業は持っている。たとえば国際条約で設計国(開発国)は、設計と製造が世界基準に適合する安全性・信頼性を満たしていることを確認して、航空機に型式証明(TC)を発行しなければならない。これがないと商品化できない。販売後には車の車検にあたる耐空証明(AW)がある。これも1年ごとに更新が必要となる。これらの検査能力は、メーカーやエアラインが持つのではなく、国(日本では国土交通省)が持つ必要がある。日本はYS11以降MRJまで民間機の開発を行ってこなかったので、こうした能力が欠けた状態になっていた。また、エアラインが受けている航空管制、おもにJAXAがやっている研究開発といった仕事も、国の機関が担当している。これらの基盤がしっかりしていないと産業が成立しない。したがって政策が重要となるわけだ。
そのため現在、政策提言を行って基盤を整備しようとしている。2035年に世界市場の10%を獲得することを、長期ビジョンとして盛り込んだ政策提言だ。現在の市場シェア2.7%の3.5倍程度だ。この間に世界市場も3倍に拡大するので、現在の約10倍の産業規模に成長させようというビジョンだ。およそ10兆円の市場を日本に創出することを目標にしている。日本の自動車産業が24兆円規模なので、実現できればそれに匹敵する産業規模となるだろう。研究開発推進、中小企業振興、人材育成、防衛省との連携、国際共同開発を通した世界の航空産業におけるわが国の役割拡大などを柱としている。今は、自民党政務調査会が、提言レポートを政府に出した段階だ。今後、具体的な施策となっていく予定だ。
  22-3.jpg


航空機とエンジンの開発
ここからは具体的な航空機・エンジンの開発について説明したい。開発製造から販売に至る工程の概要は以下の通りだ。まず、市場調査、システム概念設計(基本要求・商品計画)、概念設計(空力、構造、制御、推進)が行われる。この段階からATO(Authorization To Offer)と呼ばれるカタログでの販売が開始される。MRJでは2008年から販売が開始され、当時は2015年納品というような計画だった。実際には2年遅れたこととなる。この後、開発設計(基本設計、詳細設計、製造設計)を行い、加工/製造、組み立てが行われ、大型開発試験、形式証明を経て販売に至る。MRJは型式証明をとるための飛行試験の段階にある。販売後はパイロット教育などの訓練、保守整備などの運用支援を行い、ここで得た知見を改善改良に生かしていく。一般的には5年から10年をかけた開発となる。
飛行機の設計において性能上最も重要なものは空力である。エンジンの搭載設計も重要だ。ここがうまくいかないと性能や信頼性が落ちる。コックピットの設計も重要だ。最近のコックピットはフラットパネルに飛行や機体の状態を表示して、制御するようになっている。新機種の開発コストの1/3は、こうしたコンピュータと電子機器に費やされている。MRJではJAXAの研究開発成果が提供されている。フラップの設計、風洞試験のデータ解析の方法、翼面圧力の可視化、高機能コックピットの設計、複合材構造技術などの面で開発した技術が生かされている。風洞もJAXAが整えている。コンピュータ(スーパーコンピュータ)の能力も重要だ。現在では、空力設計に必要不可欠な道具となっている。フライトのシミュレーション、組み立て保守設計にまで発展し、総合評価システムとしても活躍している。
飛行機の製造では300万点にものぼる様々な部品を、世界各国の会社が分担して製造する。B787では主要な部分だけでも、17社が参加し分担製造している。世界中に散らばって開発が行われているわけだ。これには3つの理由がある。一番大きな理由は技術的理由だ。300万点をすべて最高の技術で作るために、最高の技術を保有する企業に製造を分担する。そのため、結果として世界中の企業で分担することとなる。二つ目はお金(開発経費)の問題だ。ブランドはボーイングだが、1社のコストで開発するのではなく、儲かったら利益は分配するという形で、開発コストを分担するリスクシェアリングを行うためだ。3つ目はマーケット。つまり、ここの国の会社に造らせれば、完成品をこの国のエアラインが買ってくれるだろうという、マーケット開発の観点だ。飛行機のビジネスとして非常に重要な観点だ。
 

22-4.jpg
JAXAプロジェクトと技術実用化
ここからJAXAプロジェクトと技術実用化について二つ説明する。一つ目は研究試作エンジンFJR710のプロジェクトだ。このプロジェクトの目的は1960年代に欧米で開発された高亜音速機用の高バイパス比ターボエンジンの開発技術を獲得し、日本のエンジン技術を世界レベルに引き上げることにあった。ファン、圧縮機、燃焼器、タービン、制御機器などの要素を研究開発し、すべてを組み立てた後、イギリスの試験設備で地上試験を行って性能を確認した。鳥吸い込み、豪雨模擬、氷雪吸い込みなど多様な地上試験を行ったうえで、C-1輸送機を用いた飛行試験を実施し、実験機搭載に必要な信頼性と安全性を立証したと認可された。このことが日本のエンジン開発技術の高さを証明することとなり、FJRは、80年代に始まるV2500の国際共同開発の契機となったエンジンであり、我が国はその主要な一員として参加することとなった。エアバスのA320シリーズに搭載されたV2500は6000台以上という大変多くの受注を獲得したエンジンとなった。このプロジェクトは、研究開発が実用に直結した成功事例である。後継のPW1100Gの共同開発も準備されており、前述したようにこの新エンジンでも、日本は全体の23%の部分の開発を担当することになる。
 

22-5.jpg

二つ目は超音速機のプロジェクトだ。このプロジェクトでは、マッハ2クラスの次世代超音速機の重要技術を、飛行実験によって確立することを目的にしていた。1997年から2007年までの10年間にわたって研究が行われた。スーパーコンピュータ利用のCFD(数値流体力学)設計技術を含む自然層流境界層採用の主翼設計法と空力形状の開発を、一つの大きな無人実験機に統合させて飛行実験を行い、詳細な飛行データを取得することを目的としていた。2002年にオーストラリアのウーメラ実験場で行った第1回実験では、ロケットの不具合により失敗したが、原因除去と信頼性向上のために行った改修を経て、2005年に実施した第2回実験に成功し、計画したデータをすべて取得した。これにより、高い空力性能の機体形状設計技術を取得した。
  22-6.jpg


超音速機は騒音などの課題もあり、70年代のコンコルド以降実用化されていない。日本では現在、航空機が求められる高速という次世代の使命への挑戦として、小型超音速機の実現を目指して官民連携の研究会が活動している。10人乗り程度でアジア域を行き来するような機種を想定している。これから発展するアジア地域の、文化交流や政治、経済交流に貢献しようというものだ。世界に先駆けて実用化を進めることができれば極めて革新的な事業となる。今後の進展に注視して頂きたい。
22-7.jpg 

写真など

  • 滑動一覧表.png
  • 画像2.jpg
  • 画像1.jpg
  • 初日の出(横浜港).jpg
  • 理工学部image_20231202.jpg
  • 写真4_懇親会.jpg
  • 写真3_交流タイム(A&B).jpg
  • 写真2_矢入教授講演会.jpg
  • 写真1_写真会員大会報告.jpg
  • 連絡先変更届QRコード.png
  • 懇親会の様子と参加者.jpg
  • 講演会.jpg