

〔投稿者〕 北村柴乃(1990年電気電子工学科卒:金研究室):理工学部同窓会理事
「卒業後を振り返る」
卒業して31年となった。勤めている会社の歴史において数名だけしか女性管理職は存在していなかったのだが、この春からその指をもう一本折って、数に入れてもらえることとなった。
大学を卒業した後一旦は進学して修士を目指したものの、「私の分の教育費用は学部卒業段階で使い果たした」と親に言われて始めた「働く大学院生」としての生活。その生活は私に「勉強だけしていれば何一つ苦労のない学生生活」と「働かなければ収入が無くて食べ物も買えない労働者生活」と言う両極端な世界を突き付けた。親からの仕送りをもらって大学院生生活を満喫している学友を横目に見ながら、住み込みのプリント基板工場で分けてもらった弁当を研究室でお昼として食べている様な生活。しかもその弁当は、一食分を半分に分けて二日分のお昼ご飯として大事に大事に食していたものだったから、こんなありさまは、進学を許した親にとって想像できない姿だったであろう。
学生と労働者、そのギャップを日々双方向に渡り続けた生活により心も財布も一年半で破綻、現在勤めている会社に文字通り「拾われた」。それでもけじめとして、もらっていた奨学金は半額に減免してもらったものの毎月数万円ずつ返却(賞与時は10万円)したので初ボーナスは数千円だった。だから満額給与や賞与がもらえるようになった時の感慨は(人には言えないが)ひとしおだった。
のほほんとした学部生時代、心が病んだ大学院時代を経てたどり着いた会社員生活だったので、借金はあれども、これからは「自分で稼いだ金で、自分で食べていける」と言う漠然としたい期待に胸が膨らむと同時に、学部卒業から会社に入るまでの一年半が他人はおろか自分自身でさえも触れたくない部分となってしまった。それからしばらくは四谷方面に足を運ぶ事もなかったし、大学時代の同期や後輩と連絡を取り合う事もほぼなかった(と言うか敢えてしなかった)。