「会員の広場」の最近のブログ記事

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〔投稿者〕井上俊一(1993年電々卒):理工学部同窓会理事
                  (ビッグデータ研究会主宰)
 
「自己紹介とビッグデータ研究会の解説」

ビッグデータ研究会を主宰しております井上俊一(1993年電々卒)です。

この度、メールニュース 2022年秋号(第5号)にビッグデータ研究会のミニ解説を書きましたので、こちらでは私の自己紹介も含めてより詳しく書きたいと思います。

私が理工学部同窓会に携わったきっかけは同窓会ゴルフコンペです(笑)。当時の理事の方に声をかけていただき、私にも協力できることがあるのではないかと思って理事会に出席するようになりました。理事会の中では比較的若い方ですし、IT分野でずっと働いていたので、ITの面でも得意を活かせるのではないかと思っていました。

そのうち「研究会を作って同窓生を集めよう」という企画が出てきたので、同じ興味を持つ人同士で集まれたら楽しいな、と思い「ビッグデータ研究会」を立ち上げることにしました。

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〔投稿者〕 水村 栄 (1975年機械卒):理工学部同窓会理事(ソフィア理工カップ前実行委員長)

ソフィア理工カップについて」

 理工学部同窓会では、会員相互の親睦を目的に「ソフィア理工カップ」と称したゴルフ大会を開催してきました。残念ながら、コロナ禍にて2年連続で中止となりましたが、次回の開催を楽しみにお待ち頂きたく、これまでの開催経過と現時点での準備状況をお知らせします。

 ソフィア理工カップは、理工学部同窓会が発足した2013年秋から半年後の2014年春に第1回大会を15名の参加者でスタートし、それ以降、毎年春に開催し参加人数は徐々に増えてきています。ラウンドは世代を超えた初顔合わせの組み合わせになる事が多いものの同じ理工学部の同窓生なので、昔話で盛り上がりながら、気楽なプレーを楽しんで頂いています。また、ラウンド終了後のパーティーでは和やかな雰囲気の中、表彰式に加え同窓会の活動状況の共有などを行ってきました。

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〔投稿者〕 岸本泰志(1971年化学卒):理工学部同窓会副会長

「理工学部の今!」

 自分が学び、研究に勤しんだ理工学部が現在どの様な状況か知りたい同窓会員も大勢いると思いますので、今回は現在の理工学部をある側面から簡単に紹介したいと思います。

1.どんな学科体制か
 2008年に理工学部の学科体制は、時代の変化とニーズに対応して物質生命理工学科、機能創造理工学科、情報理工学科の3学科に再編されました。
 1962年の理工学部開設以来続いてきたお馴染みの機械工学科、電気・電子工学科。物理学科、化学科、数学科(1965年開設)は再編により消滅し、今は上記3学科出身者が同窓会の仲間となっています。
 新しい学科と旧学科は下記概略図のような関係となっていますので旧学科の卒業生は現在どの学科に移行しているのかご確認下さい。

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     理工融合を掲げる現在の理工学部:SOPHIA SCI-TECH Vol.29, 7 (2018)

 そして、現在の3学科の教育研究の目的は上智大学ホームページ(⇒学部・大学院/理工学部:https://www.sophia.ac.jp/jpn/program/UG/UG_ST/index.html)から引用すると下記と様になっています。
 〔物質生命理工学科〕
・物理学、化学、生物学、環境学、材料科学などの学問分野を融合的に学び、原子・分子から高分子、生命現象にわたる物質の基礎を理解し、応用・展開する能力を養うこと
 〔機能創造理工学科〕
・物理学、数学への深い理解を基礎に、材料、デバイス、エネルギー、機械、システムに関する知識を習得することにより、まったく新しい価値や機能を生み出す能力を養うこと
 〔情報理工学科〕
・情報科学,電子情報学,数学,生物学を基礎とし,人間・通信・社会・数理の情報分野を学び,文理の学際的視点も併せもち,情報を総合的かつ専門的に分析・統合・展開する能力を養うこと

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〔投稿者〕 平田賢典(1987年化学卒):理工学部同窓会理事

「ワークライフバランスと美しい表現を教えてくれた小椋佳」

 若い時にお世話になった上司からいただいた今年の年賀状に「今年は仕事の締めくくりにする」旨の言葉が書かれていた。私がその上司とご一緒に仕事をさせていただいたのは、今から約30年前のことである。当時、私は第一勧業銀行(現 みずほ銀行)の浜松支店で勤務しており、神田紘爾氏が支店長であった。みなさんには、「シクラメンのかほり」「愛燦々」「夢芝居」などの作品で知られるシンガーソングライターの小椋佳氏といった方がわかりやすいであろう。
 いまでこそ、働き方改革、ワークライフバランスという言葉を耳にする機会が多くなったが、当時は栄養ドリンクのCMで「24時間働けますか」というキャッチコピーが流行っていた。神田支店長は、仕事には厳しいが極めて温厚でめったに怒ることのない方であった。しかし、そんな支店長が一度だけ職場で大声をあげられたことがある。それは、銀行で決められた定時退社の日に定時を5分過ぎているにも関わらず誰も退社しようとしなかった時である。「今日は定時退社の日だと決まっているのだからきちんと仕事を終えて定時に帰りなさい」と大声で怒られた。「24時間働けますか」が美徳とされた時期にその場にいた誰もがびっくりしたものである。

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〔投稿者〕  中條 祐一(1981年機械工学科卒):足利大学教授

「卒業40年ルビー祝を迎えて」

 卒業25年記念の銀祝を仲間と祝ったのがつい先日のように感じます。あのときでさえ、ずいぶん経ったなと思ったのですが、40年とは、恐れ入りました。定年間近の自分の年齢を考えれば当然なのですが、人から言われるまで気が付かないものです。大学からのルビー祝の案内より先に、同窓生からのLINEがあり、その瞬間までルビー祝があることさえ知りませんでした。友人たちも私もいろいろな意味で人生の節目を迎えており、良い頃合いの開催時期だと思います。もちろん可能になってからですが、他の同窓生ともリアルで会って、積もる話をしたいものです。
 卒業は81年ですがその後博士前期、後期へと進学し、上智を離れたのは86年になります。所属していた研究室に新しく赴任された先生のご紹介でイリノイ大学の教授とお会いすることができ、うまく売り込みにも成功してアーバナ・シャンペーン校に研究員として2年半勤めることができました。当時は逆境下で何とか生きているとしか感じられなかったのですが、働いて、食べて、住むところもあったのですから、今考えれば博士課程修了者としては恵まれており、その後ご縁があって日本の大学に就職できたのですから、順風満帆の人生です。イリノイ大の別のキャンパスですが、勤め先の姉妹校になっていますので、いつかまた同じ場所を少し長めに訪ねてみたいと願っています。

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〔投稿者〕 岸本 泰志(1971年化学卒):理工学部同窓会副会長・広報委員長

「環境問題は本質を捉えて議論しよう」

 昨今の地球環境問題を考える上で、少し違った角度からのコメントを紹介して幅広く考えるヒントとしたい。 
 数年前より、環境問題の議論で象徴的に登場するプラスチックごみによる海洋汚染が問題視され、海洋生物の胃から出るマイクロプラスチック、レジ袋が被さって息のできない海鳥等々の映像がセンセーショナルにTVで放映されている。
 メディアは一斉にプラスチックは海洋汚染を招き地球環境に悪いと叫び、「プラスチックストローはやめよう」、「レジ袋の使用はやめよう」と論理性に欠ける対策が社会的な運動に発展し、政策にまで反映されている。

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                      プラスチックの海洋汚染被害とされる海洋動物の写真

 しかし、プラスチック海洋汚染問題の解決は、いきなり「プラスチックは悪だ」ではなく、先ずは「プラスチックは捨てるな、海洋流出を防ごう、回収しよう」が本質論。先ずは海洋流出が最大量のプラスチック容器の回収システムの検討が現実論ではないか。
 環境活動家は海洋汚染を声高に叫ぶのは「プラスチックが環境に悪いという啓蒙活動だ」と主張するが、要は人間の使い方の問題である。
 スーパーの食品売り場に行ってみれば良く分かるが、殆どの食料品はプラスチック包装され、プラスチック容器入りで販売されていて、レジ袋だけ悪者では理屈が通らない。日本では既に「プラスチックリサイクル促進法」が施行され、プラスチックは回収するものとの考え方で利権とビジネスが関わりながらもリサイクルが進んでいる。

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〔投稿者〕 津川 治(1973年数学科卒):理工学部同窓会副会長・事業企画委員長

「アクチュアリーとしての仕事の思い出」

 丁度大学を卒業する頃、日本では企業年金の普及・発展期で、金融機関ではその年金制度を管理・運営していく為に必要不可欠な資格であるアクチュアリーの養成・確保が急がれていました。
 そんな折り、4年生直前の頃まで「位相幾何学」に夢中で勉強していて大学院進学への道を考えていた私でしたが、数学科卒を募集していた銀行に出会い社会に出て数学を活かすという道に進む事にしました。入行後に業務命令に近い形でアクチュアリー試験に臨む事になったのです(後々、この事は私のサラリーマン人生に相当のプラスになり感謝の気持ちで一杯です)。
 日常の銀行業務をこなしながらアクチュアリー試験に合格すべく、時には子供を膝の上であやしながら勉強せざるを得ない場面もあったりして結構辛いものがありました。なお当時の試験科目は保険数学2科目、確率論、数理統計学、法律、経営の6科目でした。(今は会計学や投資理論なども試験科目に入ってきている様です)

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〔投稿者〕 平田賢典(1987年化学卒):理工学部同窓会理事

「コロナ禍のゴールデンウィーク」

 今年もコロナ禍が収まらない中でのゴールデンウィークとなった。みなさんはどのようにお過ごしになられただろうか。コロナ禍の元、日本人、外国人を問わず様々な形で経済的に困窮する方が急速に増加していることはご存知のことと思う。
 私は、15年くらい前から大学院の授業で生活困窮者支援活動のフィールドワークに関わったことをきっかけに都内の生活困窮者向け医療支援活動に参加している。普段は、フランスのNGOである世界の医療団の一員として池袋で毎月2回程度活動しているが、ちょうど、今年のゴールデンウィークの5月3日と5日に関東の生活困窮者支援団体が共同で聖イグナチオ教会を会場として支援活動を実施するということで、『ソフィアンとして参加しなければという使命感』の下参加してきた。詳しくは、以下の記事等をご参照いただければと思う。

https://news.yahoo.co.jp/articles/d7a5fef9aef24435c5be303d42454d298d09ebf0
https://news.yahoo.co.jp/articles/c8574c4e8896b106dcf8b17570a0c96926cd843e

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〔投稿者〕 稲田明弘(1975年機械工学科卒)

「世界をつなぐひとになろう」

 1976年9月が私の代の就職試験が始まった月でした。故市川教授の制御研究室に所属していた関係から計装制御のY社を第1志望としましたが、試験日の前日にサッカーでひどく足をくじいてしまい就職試験の初日を無断欠席して病院で治療を受けました。この事件が私の職業人生のスタートとなりました。当然のごとくY社には不合格となり、タイミングを逸して電気電子部品のA社に拾って頂きました。
 上智大学在学最後の大学院時代に、同校の帰国子女の学生を講師に研究室仲間の3名と英会話を始め、夏休みにカナダまで遊びに行った英語圏での経験がA社で役に立ち、27歳~29歳の約半分の期間、米国からの技術導入の担当に選ばれ貴重な経験を持つことができました。その後は山あり谷ありのサラリーマン人生で、この間に携わった音響用・映像用磁気ヘッドやフロッピーディスク用・ハードディスク用磁気ヘッドは時代の変化に伴い世の中から姿を消し、液晶ディスプレイ素子も今では日本は敗者の立場となりました。
 2000年に48歳で脱サラし技術士事務所を始め、時を待たずにJICAのODA(政府開発援助)で再スタートを切りました。最初の渡航先はパキスタンでした。一人で夜のカラチ空港に着き、換金した紙幣が臭い事や空港の外にたむろする浮浪者の不気味さなどに面喰い、ひどい下痢も体験し度胸がつきました。パキスタンODAでは、北京経由でイスラマバードへの空路途中、満月の夜に雪で覆われ白く輝くヒマラヤの山々を飛行機の窓から眺めた景色は忘れられません。その後、タイ、メキシコ、チュニジア、モロッコ、ベトナムなどで相手国の裾野産業の育成支援に係わってきました。

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〔投稿者〕 北村柴乃(1990年電気電子工学科卒:金研究室):理工学部同窓会理事

 「卒業後を振り返る」

 卒業して31年となった。勤めている会社の歴史において数名だけしか女性管理職は存在していなかったのだが、この春からその指をもう一本折って、数に入れてもらえることとなった。
 大学を卒業した後一旦は進学して修士を目指したものの、「私の分の教育費用は学部卒業段階で使い果たした」と親に言われて始めた「働く大学院生」としての生活。その生活は私に「勉強だけしていれば何一つ苦労のない学生生活」と「働かなければ収入が無くて食べ物も買えない労働者生活」と言う両極端な世界を突き付けた。親からの仕送りをもらって大学院生生活を満喫している学友を横目に見ながら、住み込みのプリント基板工場で分けてもらった弁当を研究室でお昼として食べている様な生活。しかもその弁当は、一食分を半分に分けて二日分のお昼ご飯として大事に大事に食していたものだったから、こんなありさまは、進学を許した親にとって想像できない姿だったであろう。
 学生と労働者、そのギャップを日々双方向に渡り続けた生活により心も財布も一年半で破綻、現在勤めている会社に文字通り「拾われた」。それでもけじめとして、もらっていた奨学金は半額に減免してもらったものの毎月数万円ずつ返却(賞与時は10万円)したので初ボーナスは数千円だった。だから満額給与や賞与がもらえるようになった時の感慨は(人には言えないが)ひとしおだった。

 のほほんとした学部生時代、心が病んだ大学院時代を経てたどり着いた会社員生活だったので、借金はあれども、これからは「自分で稼いだ金で、自分で食べていける」と言う漠然としたい期待に胸が膨らむと同時に、学部卒業から会社に入るまでの一年半が他人はおろか自分自身でさえも触れたくない部分となってしまった。それからしばらくは四谷方面に足を運ぶ事もなかったし、大学時代の同期や後輩と連絡を取り合う事もほぼなかった(と言うか敢えてしなかった)。

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〔投稿者〕 武藤康彦(1975年機械卒) :理工学部同窓会副会長・学生支援委員長

 「よき時代の先生」

 私の大好きだった材料力学(材力)研究室のN先生は淡々といろいろなことを語ってくれる先生だった。その話はどれも面白くいつも議論は無限に発散し、話し終わるのがもったいなかった。昼休みの"材力サロン"は4,5名の教員が常連で、1日の中で最も楽しいひと時だった。N先生は技術史にも造詣が深く、毎月連載を書いていた。出来上がるたびに「今度はこれだよ」とわざわざ私の部屋まで原稿のコピーを渡しに来られ、いろいろ話をしたものだ。
 しかし、私が学生の頃のN先生の印象は飛び抜けて学生をびっくりさせるものだった。材料力学のある日の授業は戦時中の飛行機の話、仏像をX線で調査した話、それに本題の材力の話が織り交ざる。「君達はテレビで育っているので集中力が持続するのは15分なんだよ」が持論。残り40分くらいになると演習となる。黒板に問題を書くと「じゃあ、できたら私の部屋に出しておいてね」と言い残して帰ってしまう。えっ、帰るって? これだけでも駆け出しの学生にとっては衝撃的だ。"見捨てられた学生"達は適当にグループになり課題を解こうともがく。
 N先生は一般教育(全学共通)で当時社会問題だった公害論の授業を持っていた。私も履修したが、N先生の一番おもしろい部分が発揮された実に興味深い内容だった。そして期末試験。結構準備して臨んだ試験問題はこうだ。
 問1. あなたはこの半年間、公害について考えましたか。考えたらA、考えなければBと書きなさい。 (以上)
ざわつく教室を後にさっそく先生に文句を言いに行く。
「なんですか、あの問題は!」、
「いや、考えればそれでいいんだよ。」
「そんな・・・じゃあ、どうやって成績をつけるんです?」
「そりゃあ、Aって書いてあればAだよ。Bって書いてあればBだ。」
おー、なるほど・・・
たまに、先輩が大学を訪ねてくる。「今、会社で材力が必要なんだけど、材力はN先生だったからなぁ、何も分からないよ」と機械科特有のベタな冗談をいう。「そんなもの自分で勉強しなきゃだめだよ」とN先生のささやきが頭の中で聞こえる。


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〔投稿者〕 平田 賢典(1987年化学卒) :理工学部同窓会理事・総務委員長

『同窓会は皆勤賞』

1987年3月に卒業以来毎年開催されてきた研究室の同窓会、昨年は残念ながらコロナ禍の影響で中止となったが、これまで皆勤賞を通してきた。私は、化学科の有機工業化学第二(高分子化学)研究室の出身である。
就職は、科学技術の経済的価値を正当に評価できる社会づくりに貢献したいと考え、化学を学んだがあえて父親が勤務していた銀行に就職した。銀行では、当初の念願がかない数年の支店経験の後で銀行のシンクタンクで研究活動に従事してきた。私の就職した1987年は、いわゆるバブル経済の時代で「文系就職」が流行った時代である。これは、後から聞いた話であるが、当時の化学科の担任のM教授(故人)は父兄向けの就職説明会で「高い費用をかけて化学の教育をしてきて銀行や商社に就職することはとんでもない」とおっしゃっていたとかで、私はそのM教授のおっしゃる「とんでもない学生」の一人であったわけである。

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     2002年緒方先生古稀祝賀パーティー      2017&2018年マクロ会の様子

 

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 新型コロナの影響で同窓会活動が中止を余儀なくされています。同窓会の諸活動を、また、同窓生の交流を少しでも活性化させたいとの思いから「会員の広場」コーナーを開設しました。
 このコーナーでは、同窓会員のエッセイ、同期生の集い、学科/研究室のニュース・思い出など、また、最近の理工学部の活動情報などを継続的に発信してまいります。
 卒業生会員の皆様、そして現役学生の皆様、積極的な投稿・活用をお願いします。

     2021年3月26日
理工学部同窓会会長 福本高一郎

 (注)今後、数回/月のペースで記事等を掲載する予定です。
   投稿を希望される会員は下記理工学部同窓会の広報委員会宛に連絡下さい。
   (広報委員)
    rikougakubu-alumni@sophiakai.gr.jp


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