2014年度の最近のブログ記事

12月18日は、SKYエアロスペース研究所所長/JAXA客員の坂田公夫氏(機械1969)が、講義を行いました。坂田氏は、JAXAを中心とする日本の航空宇宙技術に関する研究開発、民間の航空機と航空用エンジンの開発製造、そして航空産業の基本的な情報と最近の話題について説明しました。以下では、講義の内容をご紹介します。
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日本の航空機産業
 私は皆さんより40年ほど前に上智大学の機械工学科を卒業した。大学時代の私の恩師は田中敬吉名誉教授で、初代の理工学部長だ。田中先生は東京帝国大学航空研究所が実験機(航研機)を開発した当時(1938年)の発動機部長だ(注:この航研機は、長距離無着陸飛行の記録を樹立した実験機で、この記録はわが国唯一の国際航空連盟認定の世界記録である)。大学で私は田中先生から熱力学やエンジン論を学んだ。卒業後、航空宇宙技術研究所に入り、そこで日本の民間ジェットエンジン開発の父ともいえる二人の先輩、松木正勝さんと島崎忠雄さんとともにジェットエンジンの研究開発を行った。それを出発点として卒業以来40年以上にわたって、日本の航空宇宙分野の研究開発に携わってきている。研究と実機開発プロジェクトがどういうプロセスを経て行われているのか、私が経験してきたことを中心にお話ししたいと思う。また、私がその推進にかかわった、日本の航空産業政策についても少しお話しをしたい。
 最初に日本の航空産業の歴史について説明したい。日本は戦前、零戦に代表される運動性の高い航空機を開発した実績を持つうえに、イギリス、ドイツ、フランス、アメリカについで世界で5番目にジェットエンジンも開発した国である。現在でも、ジェットエンジンを開発できる国はこの5ヶ国だけだ。戦後、日本はYS11型機を開発した。今から50年ほど前のことだ。YS11は性能がよく安定性も高いプロペラ機だったが、この直後にジェット機が出てきたため、歴史に少し取り残された機種ということになった。183機製造されたが、そこで開発製造にあたった国策会社が解散することとなった。ここから、日本の航空産業が大きく拡大することはなかった。それでもその後、60年代後半から70年代にかけてジェットエンジンの開発が行われ、80年代には防衛省向けの機種が開発されたりもした。しかし、民間機の開発は行われなかった。この後、日本の航空機開発はボーイングとの国際共同開発に活路を見出していくこととなる。あくまでもブランドはボーイングであり、日本という姿(ブランド)は見えなくなってしまった。ただし、エンジンに関しては少し異なる。ボーイング737の対抗機であるエアバス320の主要エンジンとなったV2500というエンジンの開発に、日本は関わっている。私自身も関わってきた。Vというのは5か国という意味で、日本、ドイツ、イタリア、アメリカ、イギリスとの共同ブランドということになる。
現在、世界の航空機産業における日本の市場シェアはわずか2.7%だ。我が国が高度科学技術立国であるとすれば、高度技術工業分野は、我が国のGDP比(世界のGDPにおける日本の比率7%程度)と同程度以上の市場シェアを持つべきと私は考えるので、これはいかにも小さな数値だ。一方で、日本ブランドとはならないが、国際共同開発・生産分担の領域では存在感を示している。日本は素材や加工技術が強く、1970年代半ばからボーイング社との国際共同開発に参加している。B767で機体(エアフレーム)全体の15%部分を担当。その後、B777では21%、B787では主翼部分を含め35%を担当している。次の計画はB777-Xの共同開発だ。エンジンでは、GE、P&W(プラット・アンド・ホイットニー)、RR(ロールス・ロイス)の開発に参加している。V2500の後継エンジンであるPW1100Gでは、23%程度の部分を日本が担当することとなっている。日本はフロントファンの部分を得意としており、各社のエンジンの15%から30%程度の部品は日本が分担して生産している。
では、日本はエンジンを含めた航空機体全体を開発できないのかと言われれば、実機システム開発を完結できる十分なポテンシャルを有していると言える。実際に、民間機ではないが水上艇US-2やP1哨戒機、C2輸送機なども開発している。また、三菱重工業の子会社である三菱航空機が、70人から90人乗りの小型旅客機(リジョナルジェット)MRJを開発中であり、2014年10月に待望のロールアウト(初号機の地上お披露目)を行った。日本にとってはYS11以来50年ぶりの自主開発旅客機となる。2017年春にはエアラインに配備される予定だ。世界の航空輸送需要は今後20年以上にわたって、年率5%以上の成長率で安定的に拡大する。この市場をめがけて各社が新機種を投入してくる。リジョナルジェット機の競争は激しく、厳しい市場争奪戦を戦わなければならない。競合は大型機のボーイングやエアバスではなく、ブラジルのEmbraer社、カナダのBombardier社、中国のCOMAC社、ロシアのSukhoi社といった企業で開発されている小型旅客機となる。世界マーケットは5000機くらいはある。現段階で1000機くらいの受注は見えているようだ。頑張れば1500機くらい売れそうだ。是非、成功してほしい。

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航空産業振興政策の必要性
 政策について話したい。航空機産業においては自主完成機ブランドを持つことが重要となる。自主完成機ブランドを持つことで初めて、技術、製造、販売と保守や改善、息の長いアフターマーケットの獲得が可能となるからだ。今、ようやくMRJの開発を通して日本の航空機産業が一人前になろうとしている。ただし、民間企業だけでは産業が成立しない特殊性を航空機産業は持っている。たとえば国際条約で設計国(開発国)は、設計と製造が世界基準に適合する安全性・信頼性を満たしていることを確認して、航空機に型式証明(TC)を発行しなければならない。これがないと商品化できない。販売後には車の車検にあたる耐空証明(AW)がある。これも1年ごとに更新が必要となる。これらの検査能力は、メーカーやエアラインが持つのではなく、国(日本では国土交通省)が持つ必要がある。日本はYS11以降MRJまで民間機の開発を行ってこなかったので、こうした能力が欠けた状態になっていた。また、エアラインが受けている航空管制、おもにJAXAがやっている研究開発といった仕事も、国の機関が担当している。これらの基盤がしっかりしていないと産業が成立しない。したがって政策が重要となるわけだ。
そのため現在、政策提言を行って基盤を整備しようとしている。2035年に世界市場の10%を獲得することを、長期ビジョンとして盛り込んだ政策提言だ。現在の市場シェア2.7%の3.5倍程度だ。この間に世界市場も3倍に拡大するので、現在の約10倍の産業規模に成長させようというビジョンだ。およそ10兆円の市場を日本に創出することを目標にしている。日本の自動車産業が24兆円規模なので、実現できればそれに匹敵する産業規模となるだろう。研究開発推進、中小企業振興、人材育成、防衛省との連携、国際共同開発を通した世界の航空産業におけるわが国の役割拡大などを柱としている。今は、自民党政務調査会が、提言レポートを政府に出した段階だ。今後、具体的な施策となっていく予定だ。
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航空機とエンジンの開発
ここからは具体的な航空機・エンジンの開発について説明したい。開発製造から販売に至る工程の概要は以下の通りだ。まず、市場調査、システム概念設計(基本要求・商品計画)、概念設計(空力、構造、制御、推進)が行われる。この段階からATO(Authorization To Offer)と呼ばれるカタログでの販売が開始される。MRJでは2008年から販売が開始され、当時は2015年納品というような計画だった。実際には2年遅れたこととなる。この後、開発設計(基本設計、詳細設計、製造設計)を行い、加工/製造、組み立てが行われ、大型開発試験、形式証明を経て販売に至る。MRJは型式証明をとるための飛行試験の段階にある。販売後はパイロット教育などの訓練、保守整備などの運用支援を行い、ここで得た知見を改善改良に生かしていく。一般的には5年から10年をかけた開発となる。
飛行機の設計において性能上最も重要なものは空力である。エンジンの搭載設計も重要だ。ここがうまくいかないと性能や信頼性が落ちる。コックピットの設計も重要だ。最近のコックピットはフラットパネルに飛行や機体の状態を表示して、制御するようになっている。新機種の開発コストの1/3は、こうしたコンピュータと電子機器に費やされている。MRJではJAXAの研究開発成果が提供されている。フラップの設計、風洞試験のデータ解析の方法、翼面圧力の可視化、高機能コックピットの設計、複合材構造技術などの面で開発した技術が生かされている。風洞もJAXAが整えている。コンピュータ(スーパーコンピュータ)の能力も重要だ。現在では、空力設計に必要不可欠な道具となっている。フライトのシミュレーション、組み立て保守設計にまで発展し、総合評価システムとしても活躍している。
飛行機の製造では300万点にものぼる様々な部品を、世界各国の会社が分担して製造する。B787では主要な部分だけでも、17社が参加し分担製造している。世界中に散らばって開発が行われているわけだ。これには3つの理由がある。一番大きな理由は技術的理由だ。300万点をすべて最高の技術で作るために、最高の技術を保有する企業に製造を分担する。そのため、結果として世界中の企業で分担することとなる。二つ目はお金(開発経費)の問題だ。ブランドはボーイングだが、1社のコストで開発するのではなく、儲かったら利益は分配するという形で、開発コストを分担するリスクシェアリングを行うためだ。3つ目はマーケット。つまり、ここの国の会社に造らせれば、完成品をこの国のエアラインが買ってくれるだろうという、マーケット開発の観点だ。飛行機のビジネスとして非常に重要な観点だ。
 

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JAXAプロジェクトと技術実用化
ここからJAXAプロジェクトと技術実用化について二つ説明する。一つ目は研究試作エンジンFJR710のプロジェクトだ。このプロジェクトの目的は1960年代に欧米で開発された高亜音速機用の高バイパス比ターボエンジンの開発技術を獲得し、日本のエンジン技術を世界レベルに引き上げることにあった。ファン、圧縮機、燃焼器、タービン、制御機器などの要素を研究開発し、すべてを組み立てた後、イギリスの試験設備で地上試験を行って性能を確認した。鳥吸い込み、豪雨模擬、氷雪吸い込みなど多様な地上試験を行ったうえで、C-1輸送機を用いた飛行試験を実施し、実験機搭載に必要な信頼性と安全性を立証したと認可された。このことが日本のエンジン開発技術の高さを証明することとなり、FJRは、80年代に始まるV2500の国際共同開発の契機となったエンジンであり、我が国はその主要な一員として参加することとなった。エアバスのA320シリーズに搭載されたV2500は6000台以上という大変多くの受注を獲得したエンジンとなった。このプロジェクトは、研究開発が実用に直結した成功事例である。後継のPW1100Gの共同開発も準備されており、前述したようにこの新エンジンでも、日本は全体の23%の部分の開発を担当することになる。
 

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二つ目は超音速機のプロジェクトだ。このプロジェクトでは、マッハ2クラスの次世代超音速機の重要技術を、飛行実験によって確立することを目的にしていた。1997年から2007年までの10年間にわたって研究が行われた。スーパーコンピュータ利用のCFD(数値流体力学)設計技術を含む自然層流境界層採用の主翼設計法と空力形状の開発を、一つの大きな無人実験機に統合させて飛行実験を行い、詳細な飛行データを取得することを目的としていた。2002年にオーストラリアのウーメラ実験場で行った第1回実験では、ロケットの不具合により失敗したが、原因除去と信頼性向上のために行った改修を経て、2005年に実施した第2回実験に成功し、計画したデータをすべて取得した。これにより、高い空力性能の機体形状設計技術を取得した。
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超音速機は騒音などの課題もあり、70年代のコンコルド以降実用化されていない。日本では現在、航空機が求められる高速という次世代の使命への挑戦として、小型超音速機の実現を目指して官民連携の研究会が活動している。10人乗り程度でアジア域を行き来するような機種を想定している。これから発展するアジア地域の、文化交流や政治、経済交流に貢献しようというものだ。世界に先駆けて実用化を進めることができれば極めて革新的な事業となる。今後の進展に注視して頂きたい。
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 1月8日は、東京ガス株式会社都市エネルギー事業部大嶋智一氏 (機械工学科1982年卒業)が「天然ガスを活用した環境都市の創造」というテーマで講義を行いました。
 講義に先立ち、質問形式で都市ガス事業の概要が紹介されました。1872年にガス灯に都市ガスが供給されて事業がスタートし、1969年からLNG(液化天然ガス)の輸入が始まりました。当時のオイルショックや公害問題への対応も可能なことから需要が拡大し、現在では世界最大のの39.2%のLNG輸入国となっていることなどが説明されました。

 以下に講義の概要を紹介します。

 

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教室全景

1.都市ガス概論
 都市ガスの製造・供給方式、用途別の割合、原料調達、都市ガスを取り巻く環境について説明されました。
 2013年3月時点で、東京ガスの顧客数は1100万件、地下に埋まっている導管の総延長距離は地球1.5周にあたる5万9600kmとなっています。
 天然ガス(主成分CH4)は、化石燃料の中で最も環境にやさしいエネルギーで、CO2、NOx、SOxの排出量が石炭・石油と比べて少ない優れた環境性が特徴であることや、今後は採掘技術の革新によりシェールガスをはじめとする非在来型天然ガスの生産が拡大され、可採年数は約4倍(237年)に伸びる可能性があることが示されました。

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2.業務用ガス機器
 業務用ガス機器は、CGS(コージェネレーションシステム)、空調、給湯、厨房に大別されます。
 CGS は、ガスエンジンで発電し、廃熱を回収して空調・給湯等に利用するもので、火力発電の総合効率40%に対し78.5%の高い省エネ性を実現するものです。さらにCGS、商用電力、非常用発電機、UPSの組み合わせによって電源の四重化が可能となります。耐震性の高い中圧導管によるガス供給とCGSによって、長期停電時においても電力供給が可能となり、防災性のメリットがあると紹介されました。
 空調は、セントラル方式と個別分散方式に分けられ、建物の規模が大きくなると電気よりガス方式の割合が増えることや、ランニングコストのメリットが示されました。
 また、環境に優しい水冷媒のナチュラルチラーの原理も説明されました。再生エネルギーの親和性も高く、太陽熱から得られる温水を利用し、冬場の暖房はもちろんのこと、夏場にソーラーナチュラルチラーを利用して冷水を作り、冷房を行うソーラークーリングシステムも解説されました。

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3.地域冷暖房
 地域冷暖房は、冷水や温水等を一箇所でまとめて製造し供給するシステムです。まとめて製造・供給することによって省エネルギーや省CO2などさまざまなメリットが得られます。

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 1970年2月、大阪千里ニュータウン中央地区で日本初の地域冷暖房供給開始され、1971年4月には新宿新都心地区熱供給開始されて、首都圏初の都市ガスによる地域冷暖房が稼動しました。1991年1月、新宿新都心地区地冷プラントが移設され、大規模CGS導入による省エネルギーと低NOx化(50ppm以下)を実現しました。2015年5月には、全国で78事業者が139事業を運営することになります。
 また、新宿新都心の地域冷暖房センターの規模は世界最大規模となることや、上智大学にもガス空調が導入されていることも紹介されました。

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4.スマートエネルギーネットワーク
 地域冷暖房の発展形ともいえるスマートエネルギーネットワークに関して、田町駅東口北地区の実例を紹介しました。

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 田町駅東口北地区の特徴としては、ITCの活用で建物とスマートセンターを連携し、エネルギー需給を一括管理・最適制御するSENEMSを日本で初めて導入したほか、再生可能エネルギー(歩行者デッキ上部に高温取出しが可能な真空管式の太陽熱パネルを設置することにより、従来の温水利用に加えてソーラークーリングシステムによる冷水供給が可能)、未利用エネルギー(近傍の地下トンネル水の熱特性を活かし、冬季は蒸気吸収HPの熱源水として活用し、夏季はスクリュー冷凍機の冷却水として活用)の活用によって高効率だけでなく環境性・防災性の向上も実現したスマートエネルギーネットワークを構築しました。また、開発が予定されている隣地の街区内に設置される熱源プラント間との冷温熱の面的融通も計画されており、更なるスマート化が期待されるとの説明がありました。

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5.都市ガスの安全性・防災性
 都市ガスの安全性・防災性への取り組みが説明が行われました。
 阪神大震災で道路や橋が崩壊しても中圧導管がガス供給の継続に支障が生じなかったのは、裏波溶接の採用や丈夫で伸びのある材料の採用による耐震技術です。
 世界最高レベルの地震防災システムSUPREME、世界でも類を見ない超高密度地震計SIセンサにより二次災害を抑制できる体制が紹介されました。東日本大震災の液状化範囲についても50mメッシュ単位で高精度に推定できました。

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 2014年7月に一部運用開始した「遠隔操作による地区ガバナの再稼働システム」や、万が一低圧ガス供給が停止した場合に臨時供給できる「移動式ガス発生設備」も紹介されました。
 さらに、都市ガス事業者の相互に復旧を応援する体制も、過去の大震災の事例をもとに説明されました。
 

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 最後に、大嶋講師は「天然ガスは、厨房、空調だけでなく環境に優しい街づくりに重要な役割を担っているエネルギーのひとつであり、さらに政府が推進している燃料電池や燃料電池車などの水素社会の実現にも大いに貢献できるポテンシャルを持ったエネルギーである」と強調して、講義を締めくくりました。

 

 

1月15日は株式会社OKLife代表取締役の浅見公香氏(電気電子1987)が、講義を行いました。浅見氏は、ご自身の経験をもとにいくつかのエピソードを交えながら、職業選択やキャリア形成の考え方について説明しました。以下では、講義の内容をご紹介します。

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人生はベンチャー経営
 
 私は1987年に理工学部電気電子工学科を卒業しました。娘は皆さんと同じ大学生です。大学時代に米国のIBMでインターンをして、その後10年間ほど米国・ヨーロッパ・アジア地域でエンジニアとして働いたのちにソニー入社で帰国し、その後起業しました。現在はOKLifeという会社を経営しています。この会社では、OKMusicという日本最大の音楽ソーシャルサイトを運営している他、ヤフーやグーグルといったサイトに芸能ニュースを配信する事業も行っています。アマゾンには音楽関連商品の説明欄に掲載される紹介文を提供しています。そのほかに、フリーペーパーの発行や街頭ビジョンや自社イベントスペースを活用した事業も展開しています。

今、なぜこのようなエンタテインメント系企業を経営しているかというと、その経緯はわりと偶然だったりします。終身雇用が崩壊している現在、人生そのものがベンチャー企業のようなものになっています。皆さんは自分の人生という会社を経営していく、経営者と言えるかもしれません。離婚率も高くなっています。そういう意味では人生の共同経営者の選択も重要です。会社は市場が無いとビジネスができませんし、求められる人材スキルは急激に変化しています。人生という会社を経営していくためには、市場を見極め常に自分を変化させていく必要があります。これから皆さんを待ち受ける不確実な未来について不安を感じるかもしれませんが、やったことのないことについて自信があるのはある意味おかしな事で、皆さんが不安を覚えることは当然のことです。これから就職して、キャリアを積んでいくことに関して、不安を抱えていて当然です。でも、どうぞ安心して進んでください。
 

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山登り型と波乗り型

最初に自分の特性を見極めることが大切です。あなたは、楽なことや、得意なことを仕事に選ぶ、プライベート充実型のタイプでしょうか。それとも、楽しいことや、やりたいことを仕事に選ぶ、仕事型人間でしょうか。ベンチャー企業の社長はこのタイプが多いです。私は子供ができて自立するまでは、どちらかというとプライベート充実型の人生でした。どちらのタイプでもよいと思います。どちらのタイプにもメリット・デメリットがあります。重要なことは自分がどちらのタイプか把握することです。

また、生き方には、山登り型タイプと、波乗り型タイプの2種類があります。長期目標がなんとなくあり、ある程度計画的にそこに向かっていこうと考えるタイプが、山登り型(登山家)タイプです。一方、その時々に気になったことに飛びついていくような、直感で行動して人生を切り開いていくタイプが波乗り型(サーファー)タイプです。

たとえば、幼い頃から天才ピアニストとして生涯を過ごすようなかたは、この山登り型タイプですね。ただ、若いころから明確に上りたい山が見つけられる人はまれです。20歳くらいでは、なかなか上りたい山がわからないのが現実ではないでしょうか。波乗り型タイプはビッグウェーブが来るまで、ぼーっとしているタイプです。私はどちらかというこちらのタイプでした。うまく波に乗れたこともあれば、難破して溺れそうになることもあります。

どのようなタイプであったにせよ、自分のタイプを把握して人生という会社を経営していった方がよいと思います。私は波乗り型であったにもかかわらず、山登り型で20年近くを過ごしたため苦労もしましたし、失敗したとも思っています。人生の早いタイミングで、自分がどちらのタイプなのかを把握することが重要だと思います。
 

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二つのタイプのメリット/デメリット

山登り型、波乗り型ともに、メリット・デメリットがあります。山登り型のメリットは、会社の評価や大人の理解を得やすいという点にあります。こういうことをやりたいと言い続けていると、周りの人たちが協力してくれます。それには3年から5年はかかます。最終的に大きなことを成し遂げたり、経営者として成功したり、研究者として成功したりする方は、山登り型の方が多いです。

山登り型のデメリットは、違う山に登ってしまうことがあることです。能力のある人は、どんな分野でもそこそこ仕事をこなして行けます。私はたまたまソニーで、経営者育成コースのようなコースに乗ってしまいました。ソニーでこのコースに乗れるのは上位2%程度なので、上司からは期待されるし、家族からも期待され、ある種アドレナリンが出ているような状態になって一生懸命仕事に取り組んでしまいました。けれども、役員のカバン持ちをやったり、経営計画を作成したりする仕事をしているうちに、本当にこれが私のやりたい仕事だったのだろうかと疑問を感じ始めてしまいました。ある日、もうこれ以上耐えられない、これ以上この仕事を続けていたら私の魂は腐ってしまうと考え、自分でサービスをつくりたいという思いで会社を辞めました。今、考えると、なんだかゲームに嵌っていたようにも思えます。無駄な時間を過ごしてしまったかもしれません。違う山に登ってしまったと感じたときは、降りる勇気が必要だと思います。

波乗り型タイプの人は大人の理解が得にくいというデメリットがあります。メリットは、毎日が文化祭状態で楽しく仕事ができることです。おそらくは、社会的には認知されない仕事であるかもしれないけれど、自分にとっては誇らしい仕事ができていると感じることができます。また、波待ちの時には浮いているだけで楽ができます。が、ひとたび大きな波が来たら、死ぬほど働いてチャンスをものにする必要があります。女性は妊娠・出産という期間があるので、山登りは大変だという現実もあります。波乗りであれば、その期間は波を見逃すことができます。一般的なキャリアカウンセリングは山登り型の指導しかしないので注意が必要です。一方で、たかだか22歳で極めたい山が判明している人はおそらく少数だろうと思います。

一番ワクワクすることは何ですか

私は前にも言ったように、どちらかというと波乗り型タイプでした。学生時代、インターネットやプログラミンが面白いと考え、たまたま指導教官が米国人のディータース教授だったため、推薦状を書いていただき、米国IBMでインターンをしてそのままアメリカでデジタルイメージングでは最先端だったコダックの研究所に入ってしまいました。英語の勉強もせずに行ったので最初は苦労しましたが、プログラミングの能力が高ければ尊敬される世界だったので何とかなりました。山登り型タイプだったら、あらかじめ英語の勉強をしておいただろうと思います。教訓は、波乗り型でもビッグウェーブが来る日に備え、基礎体力は養っておく必要があるということです。例えば英語力は重要な基礎体力のひとつです。身に着けておいたほうがよい基礎体力です。

山登り型、波乗り型に共通して押さえておきたいポイントは、苦手なこと、嫌なことを自分で把握しておくことだと思います。人間には不得意でも好きなことや、嫌いだけれど上手にできることがあったりします。いやなことや嫌いなことを続けていると魂が腐っていきます。重要なことは、自分が好きなこと、自分がワクワクできることを把握することだと思います。また、自然と人並み以上にこなせる得意なことも、把握しておくべきだと思います。そしてその内容を時々見つめなおして、たな卸しをする必要もあります。

私は出産と子育てを経験しなければ、もっと早く若いときにベンチャーを創業していたかもしれません。ただ、その当時、私にとって一番ワクワクすることは子育てであり母親であることでした。同じような年齢の人たちがベンチャーを創業して、成功していく様子を見ていました。だけれど、後悔はありません。自分の魂の納得感が重要だと思います。

少し脱線しますが、苦手を克服するより、得意を伸ばす方が、世の役に立つ上に、自身も出世できると思います。ソニーで様々なレベルのマネージャーをしている時に感じたことですが、基本的に部下の評価はプラス評価で足し算です。部下の良い所を見つけて評価していきます。だめな部分があっても減点要因にはなりません。一方で学校の教育というのは、苦手なものを人並みにしていくことが重視される世界です。会社は違います。国語の成績が悪くても数学や理科が抜群にできればそれでいいという世界です。このことは覚えておいたほうがよいかもしれません。
 

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大企業orベンチャー企業?

皆さんはキャリアをスタートするにあたり、大企業へ就職しようと思いますか、それともベンチャー企業に入りたいですか。確かに、どちらに入るかで人生は変わってきます。でも、大企業せよ、ベンチャーにせよ、山登り型でも波乗り型のタイプにかかわらず、どちらもそれなりに利用価値があります。2〜3年はどこで頑張ってもいいと思います。例えば、山登り型タイプの人が大企業に入れば、それなりの大きな山の中腹までは連れて行ってもらえるというメリットがあります。人脈や経験を組織的につけてもらえます。デメリットは大きな組織の歯車になるので全体の仕事はなかなかできないということです。

一方、ベンチャー企業に入れば、低い山だけれども頂上までの登山体験ができます。波乗り型の人はいろいろな波がやってくるベンチャー企業のほうが向いていると思いますが、大企業に入れば、電話の取り方やビジネスメール対応、財務諸表の読み方など基礎体力づくりができます。また、波が来るまではそこそこ働いていれば、クビにならずに食べさせてもらえます。波が来たらそれをとらえて頑張って仕事をすれば、とんとん拍子で出世できる可能性があります。ベンチャーに就職するといろいろな波が次から次へとやってくるので楽しいですし、パフォーマンスを上げれば給料も上がります。ただ、仕事で私生活は犠牲になる場合もあります。毎週キッチリデートしたいとかいうパートナーがいる人には向いていないと思います。

パートナーの話しが出たのでついでにお話ししますが、恋愛ではいくら好きでも結婚できないこと、縁が無いということも人生には起きます。ただし、人生のパートナーとしてではなく、友人として付き合いを保っておくとよいこともあります。Twitterはブロックしてもfacebookくらいでつながっておいて、関係をゆるく保っておくとよいと思います。私が起業した際にも、元カレで会計士になっている人や、弁護士になっている人が助けてくれた経験があります。異性の友人がしてくれるアドバイスは、同性の友人とは違った目線でとても役に立つ事が多いと感じています。 一時期でも魂が近づいた人は、親身になって相談に乗ってくれ、皆さんの事を良く理解したならではの、有益なアドバイスをしてくれます。
 

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二つのタイプを併せ持つ人生

山登り型と波乗り型の二つのタイプの話しをしてきました。しかし、実際の人生は複雑です。二つのタイプが混ざり合って進んでいくと思います。たとえば、恋愛や結婚については山登り型だけれども、仕事は波乗り型という人もいるだろうし、逆の人もいると思います。20代の時は登りたい山がまだ見つからないので波乗り型で基礎体力をつけ、30代になってから登る山を定めて山登り型に変わる人もいると思います。失敗したりうまくいかないこともあると思いますが、心折れることなく、転んでもまた立ち上がって、とぼとぼとでも歩き出すことが重要だと思います。人生のフェーズにおいてはタイプを選べない局面もあります。二つのタイプを切り替えて対応する必要があります。例えば、子育てはほぼ強制的に山登りになるし、病気になったり事故にあってしまった場合には、悪い波に乗ってしまったとあきらめて、何とか乗りこえるしかありません。

子育てについては、チャンスがあればぜひチャレンジしてほしいと考えています。人生にはままならないことが3つあるといいます。一つは親になること、二つ目は部下を持つこと、3つ目は会社を経営することだそうです。この三つをやると、人間として大きく成長するということだと思います。そういわれてみれば、子供を育てて初めて、上司として部下の足りない部分を許して、包み込んで成長を支援するというようなことが、理解できた気がします。会社をやったことで経済の仕組みを知り、儲けることと社会に貢献することの両面を知ることができました。もし、大変そうだから子供を持たないという選択をしようとしている人がいたら、大変だけれど自分を成長させることになるので、挑戦してほしいと言いたいです。

そして、重要なことはどんな状況になってもあわてず、自分の状況を把握しておくことだと思います。嵐の航海の中でも、自分という船の舵を握っているという自覚を失わないこと、そういう自分が幸せだと感じられることが重要です。大きな嵐にも果敢に挑戦してほしいと思います。大きな嵐を乗り越えると、それより小さな嵐は平気になります。私は妊娠時に子宮筋腫が大きくなっていることが発覚して手術することとなった経験があります。おなかに子供がいるので麻酔は限定的にしか使えず大変痛い思いをしました。出産時の痛さについてママ友からとても痛いと聞かされていましたが、この経験があったので少しも痛く感じませんでした。これ以降、多少の痛みは平気になりました。変な例えですが、大きな嵐を乗り越えると、それより小さな嵐は平気になります。

人生には無駄はありません。私はソニーで違う山に登ってしまいましたが、違う山に登ってしまった経験があれば次はうまく登れます。大企業でいろいろな仕事をしていたため、顧客が大企業になった時に、大企業の論理が理解できるようになりました。経験は基礎体力として効いてきます。前にも話しましたが、私はITバブルの時に子育てで、波に乗り損ねましたがそのことを後悔していません。乗れなかったのではなくて、乗らなかったのだと考えています。波に乗り損ねたことも、次のもっと良い波に乗れるチャンスと考えたほうが良いと思います。
 

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最後にもうひとつ大切なこと

もうひとつ大切なことがあります。それは、心と体が壊れないようにケアすることです。私の友人で大変優秀な人がいました。京都大学の医学部に受かったにも関わらず、途中で自分にはあわないと考え東大の工学部に入りなおしましたが、東大で法学部の授業に出たら面白いと感じてしまい、最終的には法学部を出て弁護士となりました。とても有能な弁護士で、銀座に個人事務所を構え、多くの企業を担当していましたが、ある日、癌に侵されていることが発覚して余命1ヶ月と宣告されてしまいました。彼はその後の1ヶ月間、後任の弁護士と担当企業を回って引継ぎをし、きっちり1ヵ月後に若くしてこの世を去りました。きっとやりたいこともたくさんあっただろうと思います。

別の友人で、詳細は控えますがとても優秀な男性がいました。大学での成績はトップクラスで、ソニーに就職し。私がソニーに中途入社した際に、十数年ぶりに再会しました。その後、彼と一緒にノートPC事業の立ち上げプロジェクトをやることとなりました。当時、NECは2800人のノートPC開発部隊がいたといわれていますが、それに対してソニーはわずか200人の開発部隊で、しかも半年という期限が限られた中で開発を進めなければなりませんでした。そんな激務の中で彼は心を病んでしまい、3年間休職して会社の規定により、結局退社することとなってしまいました。この時、彼は組織上は私の部下となっていたために大変つらい思いをしました。このことが、自分で会社をやりたいと思うきっかけにもなりました。くれぐれも、心と体が壊れないようにして欲しいと思います。

今日は、先輩の失敗から学んでいただければということで、私の経験をもとにキャリア形成についてお話しをしてまいりました。上智大学に合格した皆さんは、地頭が良く大抵の事なら器用にこなしてしまうでしょう。私がやった「成功しすぎて失敗」をしないよう、舵をとって生きて欲しいと心から願っています。 私の失敗経験が何らかの形で、皆さんの役に立てればうれしいです。


 

 12月11日は、株式会社本田技術研究所水村栄氏 (機械工学科1975年卒業)が「二輪車の商品開発と世界ビジネス展開―開発者の視点から―」というテーマで講義を行いました。

 最初に、ホンダの二輪車は昨年全世界で1600万台を超える販売実績がありながら、国内で生産された数は1%に満たないことが紹介されました。講義のキーワードは「グローバル化」と「もの造り」です。その象徴的な商品として、スーパーカブが「形状だけで識別できるほど独自性が高い」と認められ、その形状が立体商標として登録されたことも紹介されました。

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 以下に講義の概要を紹介します。

1.二輪車の市場概況
 二輪普及率は1人あたりのGDPと相関関係にあります。1000ドルを超える頃から急速に二輪車が普及し始め(NEXT市場)、5000〜1万ドルの基幹市場では二輪車が最も売れ、それ以上の先進国市場では二輪車より四輪車の需要が増えていくことなどが、それぞれの国の特徴とともに紹介しました。
 また、マーケット別に特徴をもつ二輪車機種群とや、先進国メーカーと進展国メーカー間の提携がすすむ二輪関連企業の相関関係なども紹介しました。

 

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2.Honda二輪のグローバル化の歴史と現状
 S(Sales、Service:販売、アフターサービス)、E(Engineering:生産・製造)、D(Development:商品開発)の視点で海外展開していますが、現在ではホンダ製品を販売しているのは165カ国、二輪車製造は21カ国30工場、二輪車研究所は10カ国14研究所に上ると紹介しました。

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3.商品企画から開発まで
 商品企画では、マーケットイン(ユーザーの要望や市場のニーズを正しく把握しそれに応える、競合する商品に対する競争力を与える、社会からのニーズや方向性を取り込む)と、プロダクトアウト(期待を超える新機能・新技術・新デザイン等を技術屋が蓄えた知識を発揮して実現する)の両輪をうまくバランスさせる必要があると説明しました。
 海外でのマーケティングの実例の紹介の後、ホンダ独特の研究開発体制の概要や品質工学にも話が及びました。
 またHGA(二輪R&Dセンター)では新技術・コア機種の開発をすすめ、海外の研究所ではそれぞれの市場ニーズにあったラインアップの提案や現地向け派生機種の開発などの役割分担をして、開発の効率とスピードを求めた連係をすすめています。

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4.開発へのこだわり
 創業者本田宗一郎の肉声のテープで、ホンダに受け継がれる以下の「開発へのこだわり」が紹介されました。
・技術を持って人の役に立ち、大衆に受け入れられる商品へのこだわり
・使っていただいてお客様に迷惑をかけない品質へのこだわり
・すべての人に平等に与えられているのが時間。二輪は特にスピードにこだわる
・開発を通じて、世界に通用する人材育成へのこだわり

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5.海外で生産するということ
 二輪車の造り方や海外工場での作業風景、アジア主要国の賃金比較を紹介したあと、海外工場への生産技術移転として、「完成車組立」の現地化、「部品製造」の現地化、「生産設備」の現地化、「生産技術開発」の現地化の4つのステップについて説明しました。その地域のニーズとシーズを見極めて移転していく技術と内容を決めています。
 また日本ではJIS規格で標準化されているのに対し、海外ではそれぞれの地域で規格が異なります。膨大な図面を現地化する作業をしています。さらに、製造拠点や部品メーカーの違いで、製造法案を現地化する作業も必要となります。このような地道な作業の積み重ねで廉価で安定した品質につながるのです。逆に言えば設計者や開発者の腕の見せ所との説明もありました。
 海外の人材活用も重要です。オールホンダで9万2千人のうち、日本人は6千人、海外の人材は93%の8万6千人にのぼります。言語・宗教・文化などの違いを超えて海外人材を活かすために、社是の共有、チームワーク、リーダー格の日本での研修、全員での日々の改善活動が行われています。

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6.海外でビジネスをするということ
 企業ブランドの確立や知的財産の確保に向けて、特許権・意匠権・商標権など知的財産制度(所有権)の活用が重要となります。初代スーパーカブ(1958年)の自動遠心クラッチ技術を日本で特許出願しながら、海外では出願しなかったため、特許出願をした外国会社にライセンス許諾料を支払うことになってしまったことがあります。それ以降、外国への特許出願も積極的に行っています。特許出願件数(全世界合計)は年間7600件、積極的に外国出願を実施しています。特許は各国で独立した権利のため、権利行使するためにはその国ごとに出願が必要です。
 さらに海外ビジネスにおいては、各国法規、各国国税、ビジネスパートナーとの関係、経済状況や国策、宗教や習慣の違い、免許や保険制度の違い、政治情勢など様々なリスクも考慮しなければならないと説明しました。

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7.更なるお客様の喜びに向けて
 今後のNEXT市場への対応や、早回しを目指す品質改善サイクル、交通安全への取り組みなども紹介されました。

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 最後に、これからグローバルなモノづくりを志す学生に対し、期待を込めた以下の言葉で講義を締めくくりました。

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水村講師

12月4日は、株式会社ナビタイムジャパン・代表取締役社長の大西啓介氏(電気電子1988)が、講義を行いました。今回も、教室は満席。大西氏は、学生時代の研究から創業に至るまでの経緯と、ナビゲーションエンジンで世界のデファクトスタンダードを目指す、同社の戦略について説明しました。以下では、講義の内容をご紹介します。
 

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縁あって経路探索が研究テーマに
 
 ナビタイムジャパンは2000年に設立した企業で本社は表参道にある。従業員数は約330名。経路探索のアルゴリズム作成を中核に、日本と海外でナビゲーションに関する事業を展開している。ビジネスモデルは、スマートフォンや携帯電話での有料課金ビジネスモデルだ。多くの経路探索サービスが無料で提供されているが、我々はユーザーが有料でも使ってくれるきめの細やかなサービスを提供することで、現在、日本で約400万人の有料課金ユーザーを抱えている。無料のユーザーまで含めると、月間のユニークユーザー数は約2600万人になる。

経営理念は 「経路探索エンジンの技術で世界の産業に奉仕すること」だ。2000年に5人で創業した時から、ナビゲーションエンジンで世界のデファクトスタンダードになることを目指し、全社一丸となって努力を続けている。一般的にナビゲーションサービスでは、目的地までより早く到着することを一番の目標としている場合が多いが、我々は「世界中の人々が安心して移動できるように。」をサービスコンセプトとしている。

大学3年生になって研究室を選択する際に、これからはコンピュータの時代が来るだろうと考え情報処理の研究室に進んだ。そこで創業のきっかけとなる経路探索が研究テーマとなった。同じ情報処理の研究室の中では、ひとり1テーマで研究をしていた。音声合成やコンピュータグラフィックスの研究をする学生もいた。私が、経路探索をテーマにすることになった経緯は、ジャンケンだったのか教授の指示だったのかは忘れてしまったが、振り返ってみれば縁があったのだと思う。
 

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いろいろな縁が重なって事業につながっているのだが、もう一つの大きな縁は、学生時代に経路探索の研究が、毎日新聞で取り上げられたことである。当時はメモリが300キロバイト程しかないNECのPC98という、Windowsが登場する前のMS-DOSパソコンでカーナビゲーションを作成していた。当時はデジタル化された地図もなく、自分で紙の地図をもとにデジタル化した地図も作成していた。パソコンで経路探索ができて最短ルートが探せるということが、画期的なことだった。将来は自動車に搭載できるようになるかもしれないと報道された。この事が、のちに事業化することに結びついていくこととなる。頑張って研究していたことが、結果として報道につながったということだと思う。どれくらい頑張ったかというと、修士課程は2年いれば卒業できるが、博士号は学会で論文が通らないと取得できない。情報処理学会や通信学会は、毎月数名しか論文が通らない。1日に16時間くらい勉強しているのでは時間が足らないと感じて、勝手に1日を36時間に設定して、24時間勉強して6時間寝て大学に来るというような生活をしていた。そして、何とか2本の論文を通して博士号をとった。

社内ベンチャーから始まったナビゲーションビジネス

 博士号取得後、就職したのは祖父が創業した大西熱学という空調の会社だった。大西熱学は世界中どこにもない冷房設備や暖房設備を特注でつくる会社で、南極昭和基地の設備を手掛けているユニークな会社だ。私は3代目として就職してソフトウェアの仕事をしていた。会社に入ってから3年目1996年にインターネットの商用化がスタートして、会社や自宅でインターネットが使えるようになった。社長である父が、インターネットを使ったビジネスで事業化を考えろと指示したので、大学で研究していた経路探索を事業化しようと考え、社内ベンチャーを立ち上げた。

これも一つの縁だが、SIベンダーに就職していた大学の後輩が、自分でやりたい開発ができないということで、退職して合流してくれた。それで、二人で事業をスタートさせた。ここで、先ほどの新聞記事が生きてくる。事業を始めた翌年に、モバイル時代が始まった。カシオやシャープといった企業が、通信機能のないPDA(パーソナル・デジタル・アシスタント)を発売した。当時は、少ないメモリで経路探索を提供できるソフトがなかった。いくつかのPDAを手がける企業が新聞記事を手掛かりに、大西熱学にそうした技術を持つ人がいると訪ねてきてくれて、技術を採用してくれた。業界でこのことが広まり、2年のうちにはすべてのPDA企業が大西熱学の技術を採用してくれた。98年になるとエリクソンやノキアといった海外の企業までが、大西熱学を訪ねてきて技術を採用してくれた。99年にはNTTドコモのi-modeが登場する。通信機能を備えた端末の登場だ。市場が拡大したことで、2000年に大西熱学から分社独立し、ナビタイムジャパンを設立した。多くのベンチャー企業は資金を調達して事業を拡大していく手法をとるが、我々は収支の範囲内で事業を大きくしていく手法で成長してきた。これまで借金無しで、事業を展開拡大してきた。

トータルナビゲーション

 何が我々のサービスを受け入れてくれるポイントになったかというと、「トータルナビゲーション」というコンセプトだったと思う。携帯電話を持つ人々は、自動車で移動するだけではなく、電車にも乗るし徒歩で移動もする。移動手段は単一ではない。すべての移動手段に対応したナビゲーションがほしいというニーズがあった。すべての移動手段に対してリアルタイム情報を考慮して、その日、その時刻、その場所で、その人にとって最適なルートを提示するサービスが求められていた。我々のアルゴリズムが携帯電話業界に受け入れられて、2003年にKDDIから発売された世界初のGPS搭載携帯電話の、標準ナビゲーションとして採用された。それがきっかけでさらに事業が拡大した。

 さて、トータルナビゲーションとは何だろう。たとえば、渋谷ヒカリエから東京タワーに移動するとしよう。「NAVITIME」では4つの経路候補を表示する。第1経路は車のルート、第2経路は徒歩+バスのルート、第3経路は徒歩+電車のルートだ。第1経路の車ルートでは、渋滞を考慮したルートだけではなく、高速料金やガソリン料金、タクシーを利用した場合の料金までわかるように表示している。タクシーアプリと連携して、タクシーを呼べるようにもなっている。第3経路の徒歩+電車ルートでは、乗車するホーム番号や便利な車両位置も表示、降車駅の神谷町での出口番号や、駅を出た後の進行方向まで表示するようにしている。徒歩の場合には、横断歩道の位置なども考慮して、道のどちら側を歩いたほうが良いかまでもナビゲーションしている。こうしたことを実現するためには、大変だがメンテナンスが極めて重要になる。メンテナンスの積み重ねがユーザーからの支持につながる。日々のメンテナンスをアルゴリズムに反映していく地道な努力が、サービスを向上させていくうえで重要な活動となる。
 

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ユーザーの声を機能に反映

ちなみに学生の方々からの要望が多くて実現した機能が、定期券区域を優先して通るルートを検索する機能だ。遠回りしても安く行きたいというニーズに応えた。ユーザーのニーズに応えて機能を付加してきた。鉄道運行情報メールも、その機能の一つだ。駅に行く前に自宅で運行情報を把握できるようにする機能だ。事故や遅延が発生すると、事前に登録したメールアアドレス宛に情報が届けられる。誰もが駅に到着してから、事故や遅延の情報を知る経験をしたことがあるだろう。このサービスを活用すれば出発前に、自宅にいながら運行情報を把握することができ、あらかじめ迂回ルートを調べることも可能となる。

最近提供を始めた新しい機能は、混雑予報だ。多少時間がかかっても混雑を避けたいという、ユーザーの要望に応えたものだ。電車の混雑状況に関するデータは、世の中に存在しなかった。社員が1日中電車の混雑状況を観測、運行ダイヤを加味して列車ごとにどの程度混雑するかを、6段階のレベルで予測するアルゴリズムを開発した。日本で初めて、混雑度を予報する機能を実現した。

ナビタイムジャパンでは、こうした豊富な機能をどのようにユーザーに伝えるかを考えて、広告戦略を展開している。ご覧になったことがあると思うが、「ミスターナビタイム」とか「ナビタイムおじさん」とか呼ばれているが、スマートフォンや携帯でアプリを立ち上げると出てくるナビタイムの化身(アラジンの魔法のランプの化身をイメージしている)が、ユーザーを目的地にまで時間通りに連れていくというCMを展開している。便利な機能を、いかにわかりやすく伝えて、ユーザーに理解してもらい、使っていただけるようにすることができるかが、広告戦略のポイントだ。昨年はみどりの山手線で、沿線のスポットを22ヶ所ピックアップして、「○○に行くならこの車両」というクリエイティブを、ドア横に掲載する車両ラッピング広告を展開、「NAVITIME」を使えば目的地に近い車両までわかることを訴求するキャンペーンを実施した。

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「NAVITIME」では2600万人のユーザーが検索したスポットのランキングも集計している。全国での集計はもちろん、半径2キロメートルの範囲での検索ランキングも提供している。例えば、ある時期、検索ランキングでトップとなった「ラピュタの道」という場所がある。雲海を見下ろした景色がまるで雲に浮いているようで、映画「天空の城ラピュタ」のイメージのようだということで、ライダーたちがそう呼び始めたスポットだ。つまり、「NAVITIME」の検索データを活用することで、ガイドブックにも掲載されていないホットなスポットを見つけることができるというわけだ。

トータルナビゲーションがナビタイムジャパンの強みであると説明してきたが、ユーザーの要望に応えて、移動手段を絞った単機能のアプリも提供している。自分の利用している移動手段に特化した、きめ細かいナビゲーションがほしいというニーズに応えたものだ。自転車NAVITIMEでは、サイクリングロードを優先した自転車用のルート検索やナビゲーションができる。このサービスでは当初、坂道の少ないルートを提供する機能を実装していた。ところが、自転車をトレーニングに活用する多くのユーザーから、逆に坂道の多いルートを表示してほしいという声が寄せられ、アップダウンが多いルートも検索できるようにした。
 
また、バス専用の「バスNAVITIME」も提供している。バスの弱点は、どこから乗ってどこで降りればいいのか、バス停の場所がわからないという点と、交通状況によって必ずしも時刻表通りに運行できず、利用の際にバス停で待たされることが多いという点だ。このバスの弱点を補うような機能を、「バスNAVITIME」では実装している。バス運行会社とデータ連携を行い、バス停へのバスの接近情報をユーザーがアプリで把握できるようにした。ユーザーは自宅にいながらバスの運行状況を確認でき、バス停で待つことなく利用できるようになった。この機能をリリースした2007年、減り続けていた都バスの利用客がV字回復した。ナビタイムジャパンがこのことに貢献したのだと考えている。
 

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純正カーナビを超える

カーナビゲーションビジネスへの対応について説明したい。ナビタイムジャパンが提供するハイエンドモデルの「カーナビタイム」は、車載専用のナビゲーションシステムの機能を凌駕していると考えている。スマートフォンの弱点は電波が圏外となるとナビゲーションができなくなることだったが、端末内に地図を保有し圏外でもナビができるようにしている。一般的に車載専用カーナビでは、DVDに記載された地図情報を数年ごとに書き換えて、利用するケースが多い。ビルの情報や地点情報は、1年で1/3が変わってしまう。建物やスポットの情報は日々変化している。車載の地図データはすぐに古くなってしまう。目的地が、わからなくなってしまうだろう。「カーナビタイム」はリアルタイムに情報を更新しているので、いつでも最新の地図情報が利用できる。渋滞を考慮したルート案内はもちろん、駐車場の空き情報もリアルタイムに提供している。テレビ番組で紹介されたスポットも表示される。例えば、料理番組で紹介された料理人がいるお店の情報なども提供している。紅葉の色づき情報など、季節限定のイベント情報なども提供している。
 
昨今、自動車の自動運転技術開発が進展してきた。自動運転になる、とナビゲーションシステムが自動車の頭脳となる。乗車したら口頭で行き先を伝えるというように、車とコミュニケーションする時代がくるだろう。ナビタイムジャパンでは端末に触れることなく、音声で地点検索やナビ設定ができる機能を開発している。ボイスコントロールと呼ばれる機能で、音声認識と音声合成を活用した仕組みだ。例えばガソリンスタンドを探す時など、音声で指示すればナビゲーション中のルート沿いにあるものを検索できる上に、ナビと会話することで価格の安いスタンドを探したり営業時間を確認したりすることも可能だ。特にゆっくりしゃべらなくても、普通の会話でサーバが内容を認識できるようになってきている。ボイスコントロール技術の進化を実現しているのは、ナビタイムジャパンの音声認識サーバが、これまでのユーザーとの膨大なやり取りを蓄積し、分析することで学習しているからだ。車載専用ナビでは単一ユーザーとのやり取りしか分析することができず、データを活用して学習する事には限界がある。この機能は日々進化しているのでぜひ機会があれば使って欲しい。
 

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一般ユーザー向けのエントリーモデルとして提供している「NAVITIMEドライブサポーター」では、警察の公開情報を取り込んで全国の交通取締情報を提供している。ユーザーには便利に活用してもらっているようだ。全国約2000カ所のライブカメラ情報(静止画)も確認可能で、渋滞情報や、霧・積雪などの天候をリアルタイムで見ることができる。

ここまでくると運転車が運転中にスマートフォンを利用できないことだけが障害となる。そこで、運転者がスマートフォンをダッシュボードに固定してカーナビとして利用できるように、車載用スマートフォンフォルダーを自社開発した。また、新しいカーナビゲーションの形として、車載の安価なディスプレイオーディオとスマートフォンをケーブルで接続し、スマートフォンのカーナビアプリを車載機上で利用できるサービスも開発している。車載機器としてはタッチパネルだけがあればいいという考え方だ。

アウディやBMWの新型車に搭載されたテレマティクスサービスには通信APIを通して駐車場やガソリンスタンド、ニュースなどの情報をナビタイムから提供している。フォルクスワーゲンとはドライブアプリを共同開発している。実験段階ではあるが、ディスプレイ機能(バックモニター機能)を実装したルームミラーとスマートフォンでBluetooth接続を行い、ルームミラーにナビゲーションを表示する機能も開発している。

移動を予測・最適化するビジネス

ナビタイムジャパンは個人ユーザー向けのサービスだけではなく、企業向けのビジネスサービスも提供している。PCとスマートフォンを活用し、動態管理とカーナビサービスを提供するクラウド型ソリューションだ。たとえば配送業において、自社の配送トラックにスマートフォンを搭載しておけば、管理者はその位置やステータスを地図上で確認して、ドライバーが次にどこへ移動すれば効率的に配送や集荷ができるかを把握し指示できる。物流業では渋滞なども考慮して、正確なトラックの到着時刻を把握することができる。プラスマイナス5分以内に、90%が到着するというような精度での管理が可能となる。物流業とって画期的なソリューションとなる。宅配ビジネスにおいても、荷物の到着時刻が正確に把握できるようなる。現在の宅配サービスは、2時間程度の幅で到着時刻指定ができるが、午後6時から8時までと言われても6時5分に来るのか8時近くに来るのかがわからない。お風呂に入っていいものか、化粧を落としていいものか、受取人は神経を使う。より正確な予想到着時間を、受取人のスマートフォンに配信するサービスを提供することなどで、受取人の時間的負担を軽減できる。
 
今後の展開として、交通コンサルティング事業への展開を図っていく。ナビゲーションサービスで10年以上培ってきた膨大なデータと技術を活かし、交通、移動に関するデータ提供分析コンサルティングを行っていく。ナビゲーションに加え交通自体の最適化、地域の活性化によって移動全体を最適化していくことを目指している。たとえば、検索データをもとに移動が集中する場所を事前に見つけることができる。これはももいろクローバーZのライブが、西武球場で開催される4月13日に、西武球場前を到着指定した検索数の推移だ。多くのファンが数日前から検索を始めている。こうしたデータを活用すれば未来の人の移動が予測できる。このデータからは開演時刻だけでなく、グッズ販売の開始時刻を意識した検索があることもわかる。公共交通機関の輸送量調整や混雑回避の誘導、駅付近のコンビニの商品仕入れ量などの調整に活用が可能だ。
 

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経路検索結果を分析し、利用者がどこで不便を感じやすいか、具体的な課題を抽出することも可能だ。これは広島県と実施した乗り換え改善計画の例だ。データからバスの到着より先にフェリーが出てしまうため、港で1時間以上待たされる観光客がいることがわかる。バス会社とフェリー会社のダイヤを自治体が仲介して調整することで、観光客が少ない待ち時間で目的地に到達でき、より長い時間滞在することを可能にした。こうした施策は地域の観光業にとってプラスになると考える。東京メトロとも実証実験を行っている。現在は路線図を参照して料金を確認してから、乗客が切符を購入することが一般的だが、今後は券売機の画面上の路線図から到着駅を選び、直感的に切符を購入できる仕組みなどを検討する可能性がある。

地域活性化に関する実証実験をニセコで行った。海外からの観光客を対象とした実験だ。ニセコ全山に対応した「ニセコゲレンドMAP」アプリを開発提供した。このアプリの言語設定によって、国別の観光客のゲレンデ利用状況が把握できた。中国からの観光客は低地で雪遊びをしており、オーストラリアからの観光客は上級者コースで滑っていることなどが分析できた。このデータを活用すれば、中国では雪遊びを中心としたプロモーションを展開するが、オーストラリア向けにはスキーをメインとしたプロモーションを展開するなどの、具体的なマーケティング施策に生かすことができる。このアプリでは雪崩が起きやすい場所などの情報も提供、減災政策への展開なども模索した。
屋内でのナビゲーションについても実証実験を行っている。

海外へ、そして訪日外国人誘致のインフラに

最後に海外向けのサービスについてもご紹介したい。「NAVITIME Transit」というサービス名称で、ロンドン、サンフランシスコで乗り換え案内サービスを提供している。昨年11月からはシンガポールで、今年はバンコク、クアラルンプール、香港、台湾、上海と、主にアジアでの展開を拡大した。現在10ヶ国語でサービスを提供している。特に宣伝もしていないが、イギリス向けアプリは100万ダウンロードを突破している。海外では日本と異なり、必ずしも交通機関が時刻表通り運行しないという状況ある。そのため、ナビゲーションサービスの提供は難しいのではないかという危惧があったが、逆に時刻表に頼れないからこそリアルタイムに状況を把握でき、迂回ルートを使って時間通りに目的地に到着できる、ナビタイムのサービスに対してニーズがあったようだ。

昨年は、訪日外国人旅行者が初めて1000万人を超えた、観光立国を目指す日本は一つの節目を迎えた。政府は、東京オリンピック・パラリンピックが開催される2020年に2000万人を目指すとしている。日本の観光ビジネスは新たな局面を迎えている。こうした動きにあわせ、訪日外国人向けのナビゲーションアプリを充実させていきたい。短期間しか滞在しない訪日外国人向けアプリは課金ビジネスに成り立ちにくいが、観光客や観光地にとって有益なサービスになると考え、昨年10月から「NAVITIME for Japan Travel」のサービスを提供している。すでに、ダウンロード数は20万を超えている。路線図からの駅を指定した乗り換え検索など、複雑な首都圏の鉄道網などもわかりやすく検索できるように工夫している。さらに、来日した外国人の方々は、まず無料WiFiスポットを検索してネットにつなげてから、様々なインターネットサービスを利用するケースが多いので、日本全国約5万ヶ所の無料WiFiスポットを、オフラインで検索できる機能も実装されている。このため、来日前に自国でダウンロードして利用する人が75%に上る。

利用の状況からどの国から来日した観光客が多いかがわかる上に、検索ルートランキングから、どこに宿泊していて、どこが人気の観光スポットになっているのか、などの分析も可能だ。新たな観光スポットを紹介したり、お祭りがあるといった情報を配信するなど、将来は訪日旅行のポータルとして、実際に日本に来てからの観光地までの案内に対応するだけでなく、日本に来る前からの様々な情報配信も実施して行きたい。訪日時に必要な情報を集約したプラットフォームとして、訪日外国人誘致のインフラに発展させていきたいと考えている。
 

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 11月27日は、ダッソー・システムズ SA持田修示氏 (物理科1996年卒業)が「ソフトウェアによるものづくり革命」というテーマで講義を行いました。
 持田氏はFrance(Paris)在住のため、インターネットを使った遠隔講義が予定されていましたが、スケジュール調整をしていただき満席の教室での講義となりました。
 持田氏は、最初にダッソー・システムズ SAが飛行機製造会社から設計部門が独立して設立されたこと、3Dソフトウェア技術により顧客のイノベーションを促進する会社であることを説明しました。
 その後講義は、
1.製造業について
2.ソフトウェアによる製造プロセス革命
3.ソフト製造業のこれから
の順に進みます。

 以下に講義の概要を紹介します。

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教室全景


製造業について
 「製造業とは原料に手を加えて品物をつくり上げる産業」という定義を紹介したあと、自動車製造を例にとりその工程とライフサイクルの説明に入りました。
 コンセプトデザイン、設計、生産技術、製造、品質管理、営業、サポートの順に工程が進みますが、最後のサポートは次期製品のコンセプトデザインにつなげることが重要になると強調されました。
 現在の自動車製造プロセスと1960年代のプロセスを動画データで比較しました。1960年代は、紙ベースの仕事、人手による仕事、試作・現物ベースであったので長い開発サイクルが必要であったのです。
 製造業のキーワードとしてQCD(Quality, Cost, Delivery)も紹介されました。Quality(品質の向上)、Cost(コストの削減)、Delivery(納期の短縮)が大切であり、そのためにソフトウェアの活用が求められているのです。

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ソフトウェアによる製造プロセス革命
 まずソフトウェアの定義を紹介し、その特性を利用した効果として、自動化・省力化、高速化、正確性の向上を指摘しました。さらに既存のプロセスをゼロベースで見直すことで改革を起こせること、そのためには若い柔軟な思考が必要であると強調しました。また製造業の現場ではバーチャルな空間での検証がよく利用されています。従来の試作品による検証と比べ大幅にコストダウンできるし、実際にはあり得ないような空間の中での検証も可能となってます。

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 さらに、ソフトウェアがもたらした変化の説明に移りました。自動車を例に角型デザインから丸みを帯びたデザインへ、開発サイクルの短縮、安全性の向上の変化が解説され、従来なら建設不可能と思われた新国立競技場の先進的なデザインも建設可能となったことも紹介されました。

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CADによる自動車設計・製造のプロセスを動画を交えて説明しました。単なる設計に留まらず、安全性の確認や製造プロセスもシミュレーションできます。
また文書作成作業におけるソフトウェアの活用例も紹介されました。3Dソフトを使った作業では、正確なデータ、3D CADデータのそのままの使用、実物や模型がなくても作業ができる、自動で設計変更に追従できるなどのメリットがあります。
 

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ソフト製造業のこれから
 これからのソフト製造業に関して3つ観点を指摘しました。
1.エクスペリエンス(ユーザー体験)の時代へ
 製造業のキーワードであるQCD以外に、iPhoneの登場以来エクスペリエンスが重要視されています。単なる製品の機能だけでなく、自分で新しい体験を求める消費者が増えています。

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2.医療分野への進出
 例えば、心臓手術の前に3Dソフトで心臓をバーチャルに体験すれば(3Dプ、個々の患者合わせた治療が実現します。人工骨を3Dプリンターで作成し移植することも技術的に可能となっています。
 

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3. つながる時代へ: ハードのアイコン化
 モバイル、クラウド、ビッグデータなどもいろいろな物が連係を密にしてつながっていく方向に向かっています。
 

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 講義の最後は、消費者が具体的な情報をフィードバックすることでより良い製造業が育っていくとまとめました。
「今後の製造業を支えていく主役は皆さんです」と強調されました。

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11月20日は、東京エレクトロンデバイス株式会社・代表取締役社長の栗木康幸氏(電気電子1979)が、「半導体装置を通したものづくりと組織論」というテーマで講義を行いました。今回も、教室は満席。栗木氏は、半導体の歴史や製造工程について解説しました。講義の中では、集積技術が限界に近づきつつある半導体産業の現状について触れ、今後の半導体産業には革新的な変化が必要であるとの考えを示しました。また、自らが社長として実践しようとしている、革新を生むための組織改革についても説明し、革新を生むための条件として「努力」「能力」「発想」「目的願望」の4つが必要であると述べました。以下では、講義の内容をご紹介します。

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半導体と私のかかわりについて

私が大学を卒業した直後の1980年代は、日本の半導体産業の絶頂期だった。日本企業が世界の半導体市場の60%近いシェアを占めていた。それが、今では日本企業は独立の大手では東芝1社しか残っていない。そんな激動の半導体業界で、私はずっと仕事をしてきた。

私は1979年に電気電子工学科を卒業した。所属していたのは庄野研究室だ。大学院には進まず学部卒で、東京エレクトロンという企業に就職した。この会社はTBSが出資した会社で、現在も本社は赤坂サカスのTBSのビルの中にある。35年間ずっと、半導体製造装置とLCD製造装置の事業に携わってきた。2010年から関連会社の東京エレクトロンデバイスに移り、そこで社長をしている。この会社では、海外の半導体製品を輸入して、国内のメーカーに販売する事業を展開している。

さて、最初に半導体とは何かについて説明しよう。トランジスタや集積回路(IC)のことを半導体と呼ぶ場合もあるが、正確にいえばこれらは半導体を利用した製品だ。半導体とは読んで字のごとく、電気を通す導体と通さない不導体の中間の性質を持った物質のことだ。外からのエネルギー(電気、光、温度)を受けて、電気を通したり通さなかったりする性質を持つ物質のことだ。シリコンがその代表的な物質。シリコンのほかに、ゲルマニウムなどの物質もある。半導体製品の材料としては、非常に純度の高いシリコンに、微量の不純物を混ぜたものがよく利用される。

私の学生時代、半導体の物性を研究する大学研究室はたくさんあったが、実際に集積回路を製造させてくれる研究室は、上智大学の庄野研究室しかなかった。庄野研究室では私が卒業した3年後に、学生が卒業研究として8ミクロンのデザインルールで、200個程度のトランジスタを載せた集積回路を製造し、その動作を確認している。当時この成果は非常に画期的なことでもあり、新聞記事にもなった。

半導体の集積度、その変遷

 現在のVLSI(超集積回路)の集積度について説明したい。1センチメートル角の半導体チップの上には天文学的な数字の素子が載っている。先ほど80年代初頭に、庄野研究室で製造していた半導体製品が、8ミクロンのデザインルールだったと説明したが、これは集積回路の中に書かれている線の幅が8ミクロンという意味だ。幅が小さくなればなるほど良いのだが、小さくなると線が切れたりするので当時はこれが限界だった。

インテルが1972年に発売した製品は、10ミクロンのデザインルールで製造されていた。80年代にはこれが8ミクロンとなり、88年には1ミクロンとなった。当時の業界では1ミクロンの壁は越えられないのではないかと言われていた。しかし、半導体製造技術の発展により壁はあっという間に乗り越えられ、今世紀には0.1ミクロンにまで線の幅は細くなった。そして現在は20ナノメーターまで小さくなっており、さらに一桁ナノメーターでの製品開発が進んでいる。

20ナノメーターは10ミクロンの1/500の幅ということになる。上智大学のメインストリートの幅を10メートルと考えると、その1/500は2センチメートルとなる。デザインルールの変遷の中で、電気の流れる道をどれほど細くすることができたのかを、イメージできるだろう。 
 

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人間の髪の毛は0.1ミリ程度(約100ミクロン)の太さだ。22ナノメーターという数値のおよそ5000倍だ。インフルエンザウイルスの大きさが、約100ナノメーターである。インフルエンザウイルスの1/5程度の線の幅で、現在の半導体製品は製造されている。ちなみにシリコンの原子の直径は220ピコメータだ。現段階からさらに1/100くらい細くしないと、この領域には到達しない。おそらく、シリコン原子の10〜20倍くらいの幅には、あと5年から10年くらいで到達するだろう。原子の大きさに線の幅は近づきつつあるということだ。 

別の表現でVLSI(超集積回路)というものを表現してみたい。1センチメートル角の半導体チップには、約2000メートルの配線が描かれている。日本の国土が38万平方メートルなので3800兆倍してルート(平方根)を計算して換算すると、2000mという長さは1億2300万キロメートル相当となる。実際の日本の道路の長さは、国土交通省のデータによれば、かなり細かい農道なども含めて、120万キロメートルだという。VLSIの配線は日本の道路の100倍の密度で線が引かれているということになる。

半導体の製造工程と歴史

半導体の基本工程は6工程ある。シリコンのウエハーの上につくりたい物質を載せる(成膜工程)。その膜の上に感光剤を塗る(レジスト塗布工程)。そこにパターンが描かれたマスクをかぶせて上から光を当てる(露光工程)。感光した部分が抜けて穴が開く(現像工程)。残ったレジストをマスクにしてそこを掘る(エッチング工程)。そのあと感光材を除去する(レジスト剥離工程)。これを何十回も繰り返す。現在のLSIの構造は多層構造になっている。素子の集積度が上がり、同じ面に配線ができないため、素子が並ぶ面とは別に配線する層をつくっている。配線も何階層にも重なっている。そのため、多いもので50回くらい、簡単なものでも20回くらい、この作業を繰り返す。一通り終わるのに3か月ほどかかる。先ほど説明したように配線の幅は20ナノメートルで、ウイルスよりも小さな幅である。不純物が混ざると機能しなくなるので、非常にクリーンな状態で作この業は行われる。この後に、後工程と呼ばれるパッケージング工程がある。
 

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LSIの歴史について少し説明しよう。半導体産業が過去50年目指してきたことは、ひたすら小さくすることだ。半導体の集積度は、1年半ごとに倍増するという「ムーアの法則」に沿って、進化してきた。というよりもこの法則に沿って開発しなければ、自分たちの仕事がなくなるという強迫観念の中で、仕事をしてきたといってもいいだろう。現在もこの法則に沿って開発が進んでいる。

ではなぜ小さくするのだろうか。小さくすることでメリットがあるからだ。同じサイズの中に、様々な機能を盛り込めるようになる。これによってコストダウンが図れる。動作速度も上がり、消費電力も小さくできる。PCやスマートフォンの機能が上がっていくのは、もとをただせばこのムーアの法則に沿って、半導体が進化しているからだ。

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集積回路(IC)の原理を開発したのは、アメリカの二人の研究者だ。ジャック・キルビーとロバート・ノイスという人物だ。1958年、テキサス・インスツルメンツ社にいたジャック・キルビーがまず特許を申請した。それから数か月後の1959年、フェアチャイルド社の研究者だったロバート・ノイスが同じような特許を申請した。二人は10年にわたって特許紛争を繰り広げた。一審でアメリカの地方裁判所は、ジャック・キルビーに軍配を上げた。判断基準となったのは二人が提出した実験ノートだ。実験ノートによれば、ジャック・キルビーの方が発明した日付が早かったということが、その判決理由になっている。STAP細胞の例を引き合いに出すのはあまり適切ではないかもしれないが、すべての科学技術において実験ノートをつけるということは、極めて重要な基本的作業であるということを肝に銘じていただきたい。それは50年以上前の、この裁判結果からも明らかだ。

実は10年間の特許紛争の後に、最後はロバート・ノイスが勝つことになる。今日では、複数の回路素子をひとつの半導体基板の上に配置するというキルビーの特許は、集積回路の前段階のアイデアと評価されている。一方で、ロバート・ノイスのアイデアである半導体の平面上に回路を構成する技術に関する特許(プレーナー特許)が、工業的な集積回路製造の基になったと考えられている。しかし、この決着がつく前に2社はお互いの特許をライセンスする契約をしていたため、産業的には大きな影響はなかった。このキルビー、ノイスの時代から製造工程は変わりがない。ひたすら小さくすることを追求してきたのが半導体産業の歴史だ。

革新が生まれる組織とは

さて、ここにきてムーアの法則に限界が見えてきた。小ささのメリットを享受することが困難になってきた。理由は二つある。ひとつは、デザインルールが原子サイズに近づきつつあるという物理的限界だ。そしてもうひとつは、半導体製造には莫大な投資がかかるが、それが組み込まれた最終製品は価格が下がり、投資を賄いきれなくなりつつあるというコスト的限界だ。半導体産業的に、革新的な変化が必要な時代が訪れているといえるだろう。
 

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では、革新を起こす組織とはどんな組織だろうか。まず、組織のジレンマについて話をしたい。組織では一般的に、現場で成果を上げた優秀な人が、評価されて昇進していく。この人々は、現場とは違ったマネジメントやリーダーシップといった能力を、求められるようになる。したがって、現場に残された人はそれ以外の人たちとなる。優秀な人はどんどん現場から離れていく。一方で、現場には成果が出せなかった人々が残り、そうした現場からは成果が出せなくなり、全体として成果を出しにくい組織になってしまう。これが組織のジレンマだ。

私の会社では新しいコンセプトに基づいた人事制度を試そうとしている。革新は有能な現場が起こす。そして名選手が必ずしも名監督ではない。そこで私の会社では仕事ができる人を、現場に残す制度を来年から試そうとしている。昇進ではなくて報酬で報いるという人事制度だ。またマネジメントクラスに配置する人は、もしかしたら現場ではスーパープレーヤではないかもしれないが、リーダーシップがあり組織としての成果を導くことが出来る人材を選ぶ。それが会社としては非常に重要であると思う。
事業を取り巻く環境変化はスピードが上がっている。年というような単位では対応できなくなってきた。環境変化に応じて、組織は映画のセットのように、役割は俳優の配役のように、フレキシブルに変える組織でなければ、スピードに対応できない。
 

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革新を生む条件について私の経験から4つほどキーワードを紹介したい。一つ目のキーワードは「努力」だ。先生よりできる生徒にならなければならない。先人の努力を超える努力をしなければ、先には進めないということだ。

二つ目のキーワードは「能力」だ。能力にはいろいろある。アメリカの鉄鋼王であるアンドリュー・カーネギーの墓碑には、「己の近くに、己より賢き人を、集める術を知っていた男、ここに眠る」と刻まれている。自分の限界を知り、自分にできないことをほかの人にやってもらう能力が、革新には必要だ。これはトップマネジメントだけではない。小さなチームでも同じだ。私はこれを質のいい手抜きと呼んでいる。不得意なことを他人にやってもらい、自分は得意なことに集中する。そしてチームのパフォーマンスを最大化する。これこそが能力だ。

次のキーワードは「発想」だ。これこそが今の半導体産業に求められていることだ。創造力、作り出す能力だ。ノーベル賞を受賞した江崎玲於奈博士は、「真空管をいくら研究して改良してもトランジスタは生まれない」と述べた。今ある技術をいくら磨いても、そこから違うものは生まれない。ひたすら小さくしようという今の発想を、誰かがブレークスルーしなければ、未来の半導体産業は成り立たない。では、誰ができるかというと、やはり半導体技術者が考えるしかない。真空管を究めた人々が、違う発想でトランジスタを開発した。半導体研究の中で、妄想に近い違う発想をする人たちが、今求められている。

最後のキーワードは「目的願望」だ。これは「Pale Blue Dot(ほのかな青い光)」という写真だ( http://visibleearth.nasa.gov/view.php?id=52392 )。惑星探査機「ボイジャー」は、1977年に打ち上げられ今も飛行を続けている。この写真は太陽から60億キロ離れた冥王星の軌道のあたりで、地球から送られた最後の指令である「地球を振り返って写真を撮れ」という命令を実行して、撮影した写真を地球に伝送してきたものだ。地球を一番遠くからとらえた写真だ。1990年に撮影された。ボイジャーはまだ、150億キロ離れたところを飛んでいる。人類が造ったものの中で一番遠くまで到達している物体だ。半導体が開発された頃に造られたものが、一度もメンテナンス無しに、今でも機能して飛行を続けている。10日後に、日本の「はやぶさ2号」が打ち上げられる。2020年に帰ってくる計画だ。はやぶさは、人類が一番遠くまで到達させて帰還させた物体だ。ボイジャーは帰還しない。でも、はやぶさは帰還した。日本の科学技術として世界に誇っていいことだと思う。何が、ボイジャーやはやぶさを作り出したかというと、それは「願望」という欲求意識だ。「こんなことをやってみたい」「行って見てみたい」という科学者の願望を、技術者が実現した結果だ。何かを成し遂げるときには、何かをしてみたいという絶対的な願望が必要だ。

最後に1枚シートを示したい。これは主要国の人口とエネルギー消費量のデータだ。地球環境は限界に来ている。今の生活レベルを維持しようと考えるならば、今後、すべてのエネルギー源を3倍から5倍の効率で利用するようにしなければならない。リアクションペーパーの課題として、次の三つテーマをお願いしたい。
1.全体の感想
2.人類が生存していく上での脅威とその克服
3.我々の生活を劇的に変化・向上させそうな技術
2と3はSF小説家のつもりで書いてもらってもいい。半導体産業にとどまらず、地球環境を守るためには、革新的な技術が必要だ。それを見つけるのは皆さんの仕事となるだろう。これが本日の私からのメッセージである。
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 11月13日は、大日本印刷株式会社の高橋洋一氏 (化学科1979年卒業)が「精密印刷技術の細胞工学への展開」というテーマで講義を行いました。
 今回も、教室は満席になりました。
 高橋氏は、印刷会社である大日本印刷がさまざまな事業に多角展開してきた歴史と、さらにライフサイエンス分野への関わりについて講義されました。

 以下に講義の概要を紹介します。

 

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教室全景


未来のあたりまえを作る。
 まず大日本印刷の標語である「未来のあたりまえを作る。」という言葉から説明されました。今はないけれど将来はあたりまえになっている技術や製品を開発するという意味です。
 例えば昔はレコードだったものがコンパクトディスク(CD)に変わり現在はネット配信が音楽では主流となっているように、技術の進歩により大きな変化が起こっています。医療の分野でも、医薬品による対症療法から細胞を用いた再生医療の様な根治治療へと進んでいくと予測されます。その未来に向けて細胞工学の技術開発が進められています。
 そして現在の大日本印刷の三つの事業分野の説明に続きます。情報コミュニケーション(印刷やICカードなど)、生活・産業(包装や住宅材や自動車の内装材など)、エレクトロニクス(フォトマスク・液晶ディスプレイ用のカラーフィルターなど)です。
 紙への印刷から、布やフィルムや鋼板への印刷に応用されたり、金属エッチング技術の応用がエレクトロニクスへ展開されています。 

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共通する技術コンセプト
 細胞工学の具体例の説明の前に、なぜこの分野をやっているかを解説されました。
 印刷は紙の上にインクパターンをのせることであり、紙を他の材料に変えれば建築材などになります。ガラスやセラミックスの上に精密パターンをのせることでエレクトロニクスに応用され、それと同じように生体組織の上に血管などのパターンをのせることで細胞工学へ展開できるのです。
 このように全く異なる分野に見える技術も、そのコンセプトは共通しているのです。

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パターン培養による毛細血管作成
 体外で毛細血管を作る技術です。まず血液を採取しその中の毛細血管を作ることができるヒト血管内皮細胞を抽出します。一方で表面加工技術を用いたパターン基板を作成し、その上に内皮細胞をのせるとその形状に沿って細胞が培養されます。そしてその細胞を生体材料であるヒトの羊膜に「転写」すれば、分化が起こりチューブ状の毛細血管が作られていくのです。この「転写」という技術は印刷技術の応用です。印刷ではインクを紙に転写しています。インクを細胞に紙を羊膜に置き換えた技術です。
 この細胞転写技術の応用で骨芽細胞再生も研究が進んでいます。骨を再生したり、おやしらずから歯の細胞を抽出し培養して歯周病の治療などに期待されています。

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再生医療向け細胞シート
 実用化が進んでいる技術として、温度変化で接着性が変化する細胞培養用高分子材料も紹介されました。シャーレの上に高分子材料を付けます。その細胞培養材料は、温度により周りの水を吸収して伸びたり縮んだりする性質があります。培養温度37℃では細胞は増殖を始め、増殖が終わったところで温度を20℃に下げれば高分子材料が水を吸収して細胞は縮み剥がれていきます。
 このようにして角膜上皮シート、食道への口腔粘膜シート、心筋シートなどが作られ移植に利用されようとしています。


家畜受精卵体外育成用マイクロバイオリアクターシステム
 黒毛和牛の受胎率は低く、これを高くして生産効率を上げることが課題となっています。黒毛和牛の受精卵を体外に取り出し、子宮環境に近い装置の中で培養します。その受精卵の卵割の状態を自動計測して状態の良い受精卵を牛の体内に戻すことで受胎率を上げようという試みです。
 従来のシャーレでの培養では受精卵が動いてしまうため、最適の受精卵の識別が難しいとの問題がありました。流路の形状により受精卵の位置を変えずに培養できるマイクロバイオリアクターと、卵割の状態をリアルタイムで画像解析し最適な受精卵を選ぶソフトウェアの開発により大幅に、受胎率を高めることが可能になりました。
 受精卵培養ディッシュは人間の不妊治療クリニック用にも商品化されています。

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 講義の最後は、

 大日本印刷は今後も新規分野に挑戦し続ける
「未来のあたりまえを作る。」ために

という言葉で締めくくられました。
 

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五味コーディネーターと高橋講師

 10月30日は、京都大学iPS細胞研究所・講師の中川誠人氏(化学1997)が、「iPS細胞の研究と将来展望」というテーマで講義を行いました。今回も、教室は満席、話題のiPS細胞がテーマということで、どうしても話しを聞きたいという学生たちが数多く押し寄せ、講義は熱気に満ちた状態で行われました。中川氏は「つくる」というテーマに基づき、体を「つくる」細胞について、iPS細胞を「つくる」こと、次代の再生医療を「つくる」こと、そして次代の研究者を「つくる」ということについて、講義を展開しました。
以下では、講義の内容をご紹介します。

 

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私たちの体をつくる細胞について

 最初に自身の手の写真を見せながら、手にはどんな細胞があるか考えてみたことがあるでしょうか?と問いかけ、体をつくる細胞についての説明から話しを始めた。手には皮膚やツメがあり、手を動かす筋肉もある。それらはすべて細胞からできている。頭で考えて手を動かすわけだから、頭で考えたことを伝える神経細胞もある。手を太陽にかざすと血管が見え、その血管の中には血液が流れていてその血液の中にも様々な細胞がある。人間の体が多くの細胞からできていることをイメージしてほしい。

人間の体は260種類の60兆個の細胞からできている。細胞の大きさはおよそ10 μm(1 cmの1/1000の大きさ)であり、この細胞の中に核があってその中にDNAが存在する。DNAは生命をつくる設計図である遺伝情報だ。細胞が変化すれば人の人生も変わることがある。身長や髪の毛の色の違いといったものも元をただせば細胞の違いから生み出されている。また、細胞がガン細胞に変わればその人の人生はつらいものになることもある。しかし、iPS細胞を活用した新しい技術で、今まで治療できなかったガンを直すことができれば、その人の人生はまた明るいものとなる。バイオサイエンティストの究極の目的はヒト(の生命活動)を理解することであり、そのためには細胞を理解する必要がある。

iPS細胞をつくることについて

iPS細胞をつくることには、明確な目的があった。それはES細胞の課題を克服することである。iPS細胞はよく万能細胞と呼ばれるが、iPS細胞が登場するまではES細胞が臨床研究に応用できる万能細胞として期待されていた。まず、ES細胞の課題について説明するために、ES細胞とは何かを説明しよう。ヒトの受精卵が分裂して胚盤胞になった段階で、いろいろな体の部位に変化できる万能性を持った細胞のかたまりができてくる。この一部を採取して実験室で培養したものがES細胞である。

ES細胞は二つの特徴を持っている。一つはすべての細胞へ分化できる多様性である。もう一つは、ほぼ無限に増殖できる能力だ。この増殖能力はガン細胞に匹敵する能力である。ES細胞はヒトの体のほとんどの細胞になることが可能で、ケガや病気で失われた細胞の替わりを果たす細胞をつくることができるとして、再生医療に応用できることを期待されていた。たとえばパーキンソン病は脳の神経伝達物質であるドーパミンをつくる細胞が減っていく病気であるが、ドーパミンを作る神経細胞をES細胞からつくって移植することで治療ができるのではないかと考えられていた。また、脊髄損傷の患者にES細胞からつくった神経幹細胞を移植して治療することや、ES細胞からつくった心筋を移植することで心筋梗塞や心不全の治療ができるものと期待されていた。

しかし現状では臨床研究はほとんど行われていない。これは、ES細胞が二つの課題を抱えているからだ。一つ目の課題は倫理的な問題だ。ES細胞はヒトの受精卵からできるので、ES細胞をつくるには本来人間として生まれてくるはずであったヒトの受精卵を壊す必要が生じる(実際には不妊治療後の余剰胚を用いる)。こうしたことから、日本ではES細胞の利用については慎重である。もう一つの課題は、移植後の拒絶反応だ。ヒトの体にはバリヤーがあり、他人のES細胞からつくった細胞を移植すると受け付けず、患者の体には拒絶反応が生じて移植が成立しない。

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研究者たちは、自分の細胞から幹細胞をつくり、それを目的の細胞に分化させることができれば、倫理的な問題と拒絶(免疫反応)の課題を解決できると考えた。こうして生み出されたのがiPS細胞である。たとえば心臓病の患者に対して患者自身の心筋を採取し、それを増やして移植すればよいと考えるが、実際には心筋はあまり増殖させることができない。そこでほかの細胞、たとえば血液をとってきてそれを心筋にすればよいと思うが、血液を直接心筋にすることは現状では難しい。そこで血液の中の細胞を初期化して幹細胞を作製し、それを増殖させて今度は心筋に分化させることができれば有効ではないかと考えたわけだ。

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では、iPS細胞をつくるには、どのような方法が用いられているのだろうか。iPS細胞は、ヒトの血液などの体細胞からできている。ヒトの体細胞に、たった4つの転写因子を作用させるだけで、iPS細胞をつくることができる。山中研究室では2006年にマウスのiPS細胞の樹立に成功し、翌年にはヒトのiPS細胞をつくることに成功した。

まず、転写因子について説明しよう。セントラルドグマという言葉を聞いたことがあるだろうか。細胞の中に核があり、その中に遺伝情報であるDNAがある。DNAは細胞が分裂するたびに複製される。こうして、同じ遺伝情報が伝わっていく。このDNAからRNAというものができる。このステップのことを転写という。DNAの中にある遺伝子の情報を呼び出す作業にあたる。そして、RNAからタンパク質ができる。できたタンパク質が実際の細胞の中で働く物質となる。RNAというのは中間体であり、タンパク質をつくる情報となる。このRNAをつくることを制御しているものが転写因子である。遺伝子が働くかどうかのスイッチの、オン・オフ操作をしているのが転写因子であるといえる。

体細胞をiPS細胞につくり変える4つの転写因子とは、SOX2、OCT3/4、Myc、Klf4と呼ばれるものだ。SOX2とOCT3/4は、もともとES細胞において重要な役割を果たす転写因子として知られていた。また、MycとKlf4は癌化と関連性のある因子として知られていた。ガン細胞と同じように増殖性のあるiPS細胞の作製の際に、この因子が働いていたことは後から考えてみればリーズナブルであった。

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次代の再生医療をつくることについて

ヒトのiPS細胞ができたことで次代の医療が進み始めている。iPS細胞技術応用の大きな方向性は二つある。一つは病態モデルをつくって新薬を探すという方向性だ。たとえば、パーキンソン病の患者の細胞をとってきてiPS細胞を作製するとしよう。パーキンソン病は、ある遺伝子の変異から起きることがわかっている(場合が多々ある)。当然、患者から採取した細胞にも遺伝子の異常が入っている。この細胞からiPS細胞をつくったとしても、その異常は残る。そしてこのiPS細胞からつくった神経細胞にもその異常は残る。つまり、その細胞は、試験管の中で患者の脳の中で起こっている病態を再現できるということになる。患者の頭の中から神経細胞をとってこなくても病態を再現できる。これを病態モデルと呼んでいる。病態モデルがあれば患者の体を使わず、試験管の中で新しい薬をつくる創薬のための実験や、薬の毒性を測る試験、副作用の試験などを行うことができる。

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もう一つの方向性が細胞移植治療である。iPS細胞からいろいろな細胞をつくって、患者に移植し治療するというものだ。細胞の移植には、自家移植と他家移植という2種類の方法がある。自家移植は自分の細胞を移植する方法であり、他家移植は他人の細胞を移植する方法である。自家移植は自分の細胞を使うため、移植の際の拒絶反応はなく理想的ではあるが、iPS細胞をつくるために1年から2年の期間が必要となる。また大きなコストも必要となる。一方、ひとつのiPS細胞を様々な患者に使う他家移植は、凍結させた作製済みのiPS細胞を患者がすぐに使え、多くの人が利用することで単価が下がり、安価な費用で治療が行えるというメリットがある。iPS細胞を使った移植治療は、当面は他家移植が進んでいくであろう。

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他家移植を進めるためにiPS研究所の中で、iPS細胞の備蓄計画を進めている。健常者から血液を採取してiPS細胞をつくり備蓄する計画だ。研究所の中に専用のクリーンルームを構築してこの計画を進めている。この備蓄計画のポイントは、他家移植による拒絶反応の問題を、解決することにある。iPS細胞の元となる細胞はHLAのホモドナーから提供してもらう。HLA(ヒト白血球抗原)とは人のほぼすべての細胞が持っているもので、免疫拒絶反応に深くかかわる因子だ。人は母親と父親からそれぞれHLAを受け継いでいる。母親と父親から偶然同じ型のHLAを受け継いだ人をホモドナーと呼ぶとする。HLAの型が違う人に細胞を移植すると拒絶反応が起こる。しかし二つのHLAうちどちらかのHLAの型が、同じHLAの型のホモドナーからの移植であれば、拒絶反応は起こらないと理論的に考えられる。日本人はHLAのタイプに偏りがあり、多くの人が持っているHLAの型がある。この最高頻度のHLAを持ったホモドナーからiPS細胞をつくれば、日本人の人口の約20%をカバーできる。iPS細胞研究所では日本赤十字社と協力してホモドナーを探している。ホモドナーがいれば色々な人へ移植ができ、他家移植が実現できると考えている。

 

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さて、進み始めたiPS細胞技術の臨床応用であるが、その一層の進展のためには基盤技術の確立が重要である。我々の研究室では、臨床に使えるiPS細胞の培養方法について、研究を進めている。臨床に使える培養液(培地)と、基材(コーティング材)の開発が重要であり、この研究を進めてきた。現在、iPS細胞の培養をより簡単に行なうことのできる、新フィーダーフリー法と呼ばれる手法が開発されている。この手法では、ラミニンと呼ばれるヒトの体に多く含まれるタンパク質を、コーティング材に使用している(協力:大阪大学・関口教授、ニッピ)。また、培地にはStemFitという味の素と共同開発した培地を使用している。これにより、臨床応用可能なiPS細胞ができるようになってきている。作製したiPS細胞を様々な細胞に変化させる分化誘導の研究も進んでいる。iPS細胞研究所の中ではドーパミンを産生する神経細胞や、心筋細胞など様々な体の細胞が作れるようになっている。

再生医療の現状について少し説明しよう。先日、神戸理化学研究所の高橋政代先生が主導するプロジェクトの中で、目の病気を治療するために、iPS細胞からつくった細胞を移植する手術が行なわれた。世界で初めてのiPS細胞を活用した臨床応用だ。パーキンソン病、心臓病の治療、血小板の作製による献血に頼らない製剤の開発などの研究も日本で進んでいる。

米国のアドバンストセルテクノロジー社は、ヒトのES細胞から目の細胞をつくって移植する治療を十数例行って、大半で良好な結果を得ているようだ。臨床研究から一歩進んだ治験の段階に入っている。また同社は先日、ヒトiPS細胞由来の血小板製造に関する論文も発表しており、競争は激しくなってきている。

今後の展開は、説明してきたように細胞移植治療と創薬の2方向で、臨床応用が進んでいく。臨床応用を支えるのが基礎研究だ。iPS細胞の性状解析、初期化メカニズムの解明、分化誘導メカニズムの解析、培養方法の開発、iPS細胞樹立方法の開発などの研究が重要だ。iPS細胞研究所は、臨床研究を行う研究者と基礎研究を行う研究者が同じ建物の中にいて、効率的に研究が進んでいる。1日でも早く基礎を臨床に結び付けていきたいと考えている。

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次代の研究者をつくることについて

中川氏は講義の途中で、次代の研究者をつくりたいというメッセージをこめて、ご自身の研究人生についてもコーヒーブレーク的に、話しをしました。
「私は、上智大学の4年生の時に生化学の研究室に入りたかったのですが、定員に対して希望者が多く、あみだくじにはずれて入ることができず、応用無機化学の研究室に入りました。そこでは、金属錯体のX線構造解析の研究をしていました。しかし、バイオサイエンスへの思いは断ちがたく、奈良先端技術大学院大学に進みました。そこで、研究(と人生)の師匠である貝淵弘三先生に出会い、貝淵先生の異動とともに名古屋大学に移り博士号をとりました。たまたま、貝淵先生が神戸大学における山中先生の先輩だったこともあり、貝淵先生の紹介で助手を探していた奈良先端大の山中先生の研究室に移ることとなりました。その後、山中先生とともに京都大学に移り、そこでiPS細胞ができて、今まで研究を続けることができました。やりたい研究ができて、世界で初めての発見ができる喜びを味わえることを本当にありがたいと感じています。山中研究室も最初は少人数だったのですが、研究の進展とともに徐々に人が多くなり、山中先生が2012年10月にノーベル賞を受賞して、いまでは5つの部門からなる300人規模の研究所となっています。そこで、私も独立研究者の一人として研究を行っています。いろいろな方々の協力のおかげで今の自分があります。研究を続けていく上では、人と人とのつながりが重要であると考えています。」

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(以上)

 10月23日は、一般社団法人伊都医師会ゆめ病院事務長 久保田俊雄氏(数学科1969年卒業)が「医療情報ネットワークおよびシステムの創造」というテーマで講義を行いました。
 今回も210席の教室は満席となりました。
 コーディネーターの高橋和夫准教授の紹介の後、久保田氏は学生に語りかける口調で講義を始めました。ときおりジョークも交え、和やかな雰囲気のなか、講義が進みました。

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 以下に講義の概要を紹介します。

 まず和歌山県の伊都医師会の状況から講義が始まりました。
 二次医療圏である伊都地方では中核病院と100近いクリニックが存在しています。今までは病院内でLAN(ローカル・エリア・ネットワーク)による情報網でした。今は病院だけでなくクリニックや調剤薬局、検査会社、訪問看護ステーションなども含むWAN(ワイド・エリア・ネットワーク)による地域全体で患者を診る方式に進んでいます。
 予防接種、アレルギー情報、病歴、自分や家族の使っている薬の情報などを地域全体で情報を共有し、IT技術でバックアップが取れていれば安心できます。たとえば東日本大震災のように病院のカルテが津波で流されてしまうことがあっても大丈夫なのです。そういうことを目指して作った病院がゆめ病院です。
 

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 そして講義は「なぜゆめ病院が必要とされているか」という話に続きます。毎年1兆円増えつづけ今や40兆円近い医療費の問題があります。実は医療費の約3割は重複検査や重複診療といわれています。医院同士の診療情報共有により、これらを減らし医療費の削減が期待できるのです。また療養型病院に長期入院している患者を退院させて在宅で治療することも医療費削減につながると厚生労働省が推奨していますが、その場合も情報共有が必要になります。訪問看護師がタブレット端末を操作しバイタルセンサーや正常時トレンドグラフを使い正確で効率的な看護サービスにつながります。さらに情報共有により、薬の間違いを減らしたり、医療過誤も減らして医療の質の向上も期待できます。
 情報共有を作るポイントとしては、人的連携が基本(ICT[インターネット・コミュニケーション・テクノロジー、あるいはインフォメーション・コミュニケーション・テクノロジー]はあくまでも連携支援ツール)、医師だけでなく多職種の連携、施設をまたぐデータ交換のため個人情報の守秘義務などがあげられました。とくにユーザーを巻き込みながらシステムを作る、作る側の立場よりも使う側の立場に作ることが何よりも重要であると強調されました。

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 さらに、これまでのゆめ病院の15年の歩みに移ります。
2000年の構想開始、2002年のゆめ病院開局からはじまり、2005年頃からネットワークのスピードが速くなり端末機器の性能もあがり、画像を電子カルテで見られるようになり、2010年は広域連携(和歌山県と奈良県)がスタートし、現在では登録患者数約8万、検体検査数約24万、画像送信患者数約2万の規模となっています。

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 今後の課題としては、ヘルシーなスマートハウスも目指しています。そのために理工学部の高岡研究室と共同研究を進めています。血圧計のデータをトレンドグラフにしてネットワークにつなげようという試みです。
 最後に上智大学理工学部同窓会からスタートした「医療情報システム研究会」の活動を紹介しました。この研究会には理工学部だけでなく看護、福祉、法律関係のメンバーも入り、皆でこれからの医療システムをかんがえていこうという試みです。

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 講義の後の質疑も学生から活発な発言がありました。最後にリアクションペーパーの課題が発表されました。自分がゆめ病院の院長なら何をやりたいのか、ゆめ病院の機能で嫌な物があれば書いてくださいという課題でした。学生たちから、率直なや意見が寄せられることを期待したいとのことです。

 10月16日は、森永乳業株式会社執行役員食品総合研究所所長の大川禎一郎氏(化学科1980年卒業)が、「乳製品製造技術の特徴と進歩」というテーマで講義を行いました。前回の講義同様、教室は満席となり、学生たちは熱心に大川氏の話に聞き入っていました。講義は、牛乳、ヨーグルト、アイスクリーム、育児用ミルクの4製品に関する製造技術の解説が、主な内容となりました。

 大川氏は自己紹介を行った後、2017年に創業100周年を迎える森永乳業の事業概要と、自身が所長を務める同社の食品総合研究所について説明しました。あわせて、日本の食品産業について、市場規模や食糧自給率、人口動態のグラフを用いながら、成熟化する国内食品市場と海外にシフトする業界動向について解説しました。特に乳業に関しては、国内の飲用牛乳以外の乳製品の需要が高まっていることから、乳製品の世界的な需要が拡大する中、長期的には需給は逼迫傾向にあると述べました。一方で、飼料価格の高騰などにより酪農家・乳牛頭数・生乳生産量ともに減少している現状を説明しました。食品産業における研究開発の課題とし、企業内における部門間の壁を打破することや、経済性と安全性の追求という社会的要請に対応することを指摘しました。また、森永乳業では年間数多くの製品を開発しているが、最終的にヒット製品と言えるものは一つか二つあればいいほうであると説明しました。

 

 ここから本題の「乳製品製造技術の特徴と進歩」についての講義に入りました。
 最初に取り上げたのは牛乳。導入として「牛乳を飲むと太るのか?」「牛乳はどれも同じ味か?」という一般的な興味から話を始め、牛乳の組成、殺菌技術の変遷、生産量、法令などについて解説しました。製造工程に関しては、受乳、浄化、予備加温、均質化、殺菌、冷却、貯乳、充填、箱詰め・冷却の各工程を順に説明しました。製造工程における殺菌温度や殺菌方法などが、牛乳の風味に影響を与える要因であると解説した上で、消費者に対して「おいしさ」をアピールするためには、イメージやパッケージデザインも重要であると付け加えました。

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 続いて、取り上げたのはヨーグルトの製造技術について。
 日本のヨーグルト生産量が増加傾向にあることをグラフで示しつつ、オランダ、フランス、デンマーク、ドイツなどの大消費国に比べると日本の消費量はまだ少なく、米国人はあまりヨーグルトを食べないことなどを紹介しました。ヨーグルトには、殺菌した調乳液にスターターを接種し容器に充填して発酵させる「後発酵ヨーグルト」と、タンクで発酵させ容器に充填した「前発酵ヨーグルト」の2種類があると紹介し、製造工程が2種類のヨーグルトで異なることを説明しました。その後、均質化、殺菌・冷却、スターター接種、充填(後発酵)、発酵・冷却(後発酵)、発酵(前発酵)、冷却(前発酵)、カード破砕(前発酵)、フルーツプレザーブ混合(前発酵)、充填(前発酵)の各工程を順に説明しました。また、乳酸菌について説明し、ビフィズス菌は狭義には乳酸菌ではない(広義では乳酸菌の一種)と述べた上で、ビフィズス菌には人の腸内環境の改善など様々な生理効果があり、アレルギー抑制作用など様々な研究が行われていることを紹介しました。ヒトの腸内環境においては加齢とともにビフィズス菌が減少するので、食品から摂取することが求められていたが、ビフィズス菌は酸や酸素に弱いという特性を持っており食品への応用が困難だったと説明、森永が発見したヒト由来のビフィズス菌BB536は、酸や酸素に強く、ヨーグルトに利用することが可能になったと、自社の研究成果を紹介しました。

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 アイスクリームについての講義では、歴史や製造工程を紹介した後、アイスクリームの食感や風味に影響を与える空気の混入割合である「オーバーラン」の計算方法について説明しました。オーバーランが高い(空気含有量が多い)とクリーミー感が強くふわっとした食感となり、低いと口溶けが良くすっきりした風味となると解説しました。

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 育児用ミルクの説明では、まず母乳の不思議について説明しました。母乳は1回の授乳の中で、飲み始めは脂肪含量が少なめで飲みやすく、飲み終わりの頃には脂肪含量が増えて濃厚になるという特徴を説明、これは赤ちゃんが満腹感を覚え、飲み過ぎを防ぐ自然の摂理なのではないかと解説しました。赤ちゃんにとっては健康なお母さんの母乳が最良であり、育児用ミルクは止むを得ない理由で、母乳が与えられない場合に、安心して赤ちゃんに与えられるものが必要ということで提供されているものであり、そのため厳格な品質管理下で製造されていると説明しました。森永における育児用ミルクの歴史と種類を解説する中では、先天性代謝異常症用の特殊ミルクについても説明を行いました。製造工程については一連の流れを解説しました。育児用ミルクの説明の中では、女性の痩身志向の高まりなどにより、出産適齢期の女性のBMIが急激に減少している状況を説明。至適体重者の割合が減少し、妊娠期のトラブルや分娩異常のリスクが増大していると指摘しました。約10人に一人の割合で低出生体重児が生まれているというデータを示しながら、妊娠期の低栄養は出生児の将来の生活習慣病リスクを高める可能性が報告されており、妊娠期間中の栄養管理の重要性が再認識されていると訴えました。

 講義の最後に大川氏は大学・大学院教育に期待するものとして、グローバル化対応人材の育成を挙げ、語学力、専門性、メンタリティー、体力が重要と締めくくりました。質疑も活発に行われ、非理工系の学生からも多くの発言がありました。大川氏から出されたレポートのテーマは、「食品産業の今後のあり方」と「牛乳に対する要望」。学生たちから、多様で斬新なアイデアや意見が寄せられることを期待したいとのことです。

写真など

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