「会員の広場」第2回 武藤康彦(1975・機械卒)

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〔投稿者〕 武藤康彦(1975年機械卒) :理工学部同窓会副会長・学生支援委員長

 「よき時代の先生」

 私の大好きだった材料力学(材力)研究室のN先生は淡々といろいろなことを語ってくれる先生だった。その話はどれも面白くいつも議論は無限に発散し、話し終わるのがもったいなかった。昼休みの"材力サロン"は4,5名の教員が常連で、1日の中で最も楽しいひと時だった。N先生は技術史にも造詣が深く、毎月連載を書いていた。出来上がるたびに「今度はこれだよ」とわざわざ私の部屋まで原稿のコピーを渡しに来られ、いろいろ話をしたものだ。
 しかし、私が学生の頃のN先生の印象は飛び抜けて学生をびっくりさせるものだった。材料力学のある日の授業は戦時中の飛行機の話、仏像をX線で調査した話、それに本題の材力の話が織り交ざる。「君達はテレビで育っているので集中力が持続するのは15分なんだよ」が持論。残り40分くらいになると演習となる。黒板に問題を書くと「じゃあ、できたら私の部屋に出しておいてね」と言い残して帰ってしまう。えっ、帰るって? これだけでも駆け出しの学生にとっては衝撃的だ。"見捨てられた学生"達は適当にグループになり課題を解こうともがく。
 N先生は一般教育(全学共通)で当時社会問題だった公害論の授業を持っていた。私も履修したが、N先生の一番おもしろい部分が発揮された実に興味深い内容だった。そして期末試験。結構準備して臨んだ試験問題はこうだ。
 問1. あなたはこの半年間、公害について考えましたか。考えたらA、考えなければBと書きなさい。 (以上)
ざわつく教室を後にさっそく先生に文句を言いに行く。
「なんですか、あの問題は!」、
「いや、考えればそれでいいんだよ。」
「そんな・・・じゃあ、どうやって成績をつけるんです?」
「そりゃあ、Aって書いてあればAだよ。Bって書いてあればBだ。」
おー、なるほど・・・
たまに、先輩が大学を訪ねてくる。「今、会社で材力が必要なんだけど、材力はN先生だったからなぁ、何も分からないよ」と機械科特有のベタな冗談をいう。「そんなもの自分で勉強しなきゃだめだよ」とN先生のささやきが頭の中で聞こえる。


  教員になってどのくらい経った頃だろうか、私は廊下でN先生に呼び止められ、先生の部屋に招き入れられた。そこで先生曰く、
「どーも君と僕とはねえ、機械科では不真面目だと思われているよ。」
え?・・・なんで? そして不真面目とは何かという話になった。しかし理由はともかく、もし、私がN先生と同じジャンルに分類されたのだとしたら、実に光栄なことである。

 話は変わるが、いつの頃だったか機械科の女子学生が教育実習のためにある都立高校にお世話になり、たまたま私が彼女の教える数学の授業参観をすることになった。授業前に担当の若い指導教員がやってきて、実習生の彼女が作った学習指導案に基づき入念に打合せが行われた。高校では教員は毎回の授業に学習指導案を書き、クラスの状況をまとめてその日の授業の流れをそれこそ1分きざみで組み立てるのだ。6分間この話をする、次の4分間でこの例題を説明する、このタイミングで机間巡視(きかんじゅんし)を5分行う、など具体的に細かい計画が立てられている。机間巡視とは教員が机の間を歩き回りながら生徒の進捗具合をチェックして指導をするという「あれ」である。「あれ」に名前がついているとは思わなかった。私が参観した授業には担当教員に加えて数学の教員があと2人参観(指導)にやってきた。いくら実習とは言え、本物の生徒達を目の前にしての本当の授業は実習生の彼女にとって大きな緊張の連続だっただろう。途中で演習が始まると隣にすわって見ていた3人の教員達が間髪を入れずに立ち上がり「机間巡視!」と目配せで確認したかと思ったら、もう生徒の間を指導しながら実習生と協力して歩き回っていた。一糸乱れぬ対応だ。その後は教壇での孤独に負けそうになったのか時折言葉に詰まりながら思わず涙を見せた彼女だったが、それをぬぐうこともせず気丈に最後まで頑張り続けた。私はハラハラし通しだった。職員室に戻って一息入れるとさらに研修は続く。「君は今日のテーマの説明方法について何通り考えてきましたか?」、「それぞれの方法のメリット、デメリットは何か」、「なぜ今日の方法を使ったのか」、また、「生徒への質問について、どのような生徒をなぜ指名したのか」、などいくつかの確認や議論を行って指導は一段落した。すばらしい。日本中の公立高校では毎日こんなことが普通に行われているのだろうか? それとも、あの指導教員は特別だったのだろうか。とにかく、教えるプロに徹していた。1コマの授業でこんなにも心が洗われたことはなかった。ウソではない。この熱血的な指導教員と彼女の涙のせいだと思うが本当に感動の帰り道だった。
 教育実習期間を終えて戻ってきた彼女とこの話題で盛り上がった。
 「あの人、絵に描いたような熱血先生だったね。すごかったよ。」
 「ホントですよ。もう、大変だったんですから。」
 「でも、久々に感動したよ。今度あの先生と一緒に飲もうか!」
 「あ、それはいいですね。絶対お呼びしましょっ!!」
・・・心の洗い方が少し足りてなかったかもしれないが、もっと彼と話がしてみたかったのは本心だ。
 大学には無限に科目があり、教員は学習指導要領とも免許とも無縁だ。百人百様の個性や価値観を持つ教員と広く付き合えば付き合うほど学生は自身で多くを考えるようになるだろう。先生達は良くも悪くも自分の個性、価値観をそのままぶつけて学生達と向き合っている。しかし、気がつけば一億総評価時代はすでに大学を包囲している。"教育の質の担保"のため、常に数値的な評価が求められるのだ。学生の品質保証、学生の到達度、成績の厳正な運用、オフィスアワー、学生による授業評価、剽窃チェッカー、Faculty Development、評価基準の公表と厳正化、自己点検・・・際限なく増殖する項目と共に教員評価を目指して大学は日夜進化し続けている。でも、数値化できるものには個性とか価値観、そして我々が人間たる証の多くは含まれてはいなさそうだ。N先生、大変ですよ! 先生の授業は数値化できないかもしれません。それはよき時代の大学の価値観であり、今どきの大学ではもう認め難いものなのかもしれない・・・ 
私は大学を思い出すとき、いつもN先生と名前も知らないあの熱血先生を思い浮かべる。

そういえば"教育実習事件"から1年余りが過ぎ、
「あの熱血先生と飲めなかったのホント残念でしたね・・・」
と言い残し、実習生だった彼女は教員になることもなく卒業して行った。

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